「火星の女王」を観ながらふと思ったこと
画面に広がる赤い砂漠を見た瞬間、
ここが地球ではないことだけは、はっきりと分かります。
物語の説明は、まだ何も始まっていません。
けれど、この世界に立ってしまった、
という感覚だけが先にやってやってくるのです。
第1章 力作であることは、すぐに分かる
NHKが本気で挑んだSF大作『火星の女王』。
2125年の火星移住社会、地球と火星の微妙な力関係、正体不明の謎の物体。
豪華なキャストに、テレビドラマとしては一段上のVFX。
画面からは、この作品に注がれた熱量がはっきりと伝わってきます。
だからこそ、観終わったあとに残ったのは、
素直な称賛よりも、「惜しいな」という感情でした。
力作であることは疑いようがありません。
けれど、その力が、思ったほどこちらに届いてこなかったのです。
第2章 もし最初の10分が、砂漠だけだったら
もし冒頭の10分から15分が、
ただひたすら火星の砂漠だけだったらどうでしょうか。
言葉も説明も一切ありません。
赤い砂が風に舞い、遠くの地平線が揺らぎます。
砂嵐がゆっくりと迫り、その奥で謎の物体が小さく光ります。
音は、風の唸りと、不気味な低音だけです。
字幕で「2125年、火星移住社会」と一瞬だけ示して、
あとは映像にすべてを委ねます。
『プラネットアース』のように、
言葉より先に風景が語りかけてくる時間。
あるいは『デス・ストランディング』の冒頭のように、
歩くだけで孤独が身体に染み込んでくる感覚です。
そんな時間が流れるだけで、
視聴者は一瞬で理解します。
ここはもう、地球ではないのだと。
説明は、あとからでいいのです。
最初に必要なのは理解ではなく、体感です。
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