ジャックの灯りと ぼくのひとこと(小説)
今年のハロウィンは、オレンジ色の夕焼けがとろけそうに甘かった。
でも、ぼくの舌はカラカラで、「トリック・オア・トリート」が喉の奥に引っかかったままだ。
仮装した友だちが、ピンポンを押しては元気に言う。
「トリック・オア・トリート!」
玄関が開くたび、チョコとキャラメルの雨がバケツにざらざら落ちる。ぼくの番になる。口を開く。――……声が出ない。
胸がどきどきして、足の裏が床にくっついたガムみたいに剥がれない。
「つぎ、君だよ?」
後ろからドラキュラの牙でしゃべる太郎が押してくる。
ぼくは首をぶんぶん振って、列からそっと抜けた。太郎は肩をすくめて、行列の最後に戻っていった。
公園のベンチに腰をおろして、ため息をひとつ。
月が、かぼちゃみたいに丸い。いや、ほんとにかぼちゃがあった。電柱の足元、誰かが置き忘れたみたいなジャック・オー・ランタンが、ぽうっと灯っている。
「……君、声が詰まってるね」
かぼちゃがしゃべった。ランタンの口がにやっと動いて、三角の目がぱちくりした。
「ひぇっ」
「ひぇっ、じゃないよ。ハロウィンだからね。しゃべるかぼちゃのひとつやふたつ、いて当たり前」
当たり前なのか。ぼくは心の中でつっこんだ。
ジャックは葉っぱのついた帽子をちょこんと揺らして、ぼくの顔を覗きこむ。
「名前は?」
「……りく」
「りく、いい名前。では、ランタンのジャック先生が、ひとことの魔法を伝授しよう」
先生? ぼくは思わず姿勢を正した。
「まず胸をふくらませて、息をためる。お腹で“ほわっ”と温める。言葉は、温かい空気に乗せると遠くまで届く」
ジャックは自分の火をちょっと強くした。ふわりと甘い匂い。シナモンと焼きりんごのにおいがした。
「次に、舌先で“ト”をたたく。歯の手前。ほら、“ト”。」
「……ト」
「そう、それから“リック”。ここで笑う。口角をちょっと上げて、相手を好きになる」
「リック……」
「“オア”は橋。“トリック”と“トリート”をつなぐやさしい橋。最後は“トリート”。ここでもう一度笑う。お礼の形にして言うんだ」
ぼくは深呼吸して、夜の空気をお腹にためた。温かい。
「トリック……オア……トリート」
「いいね!」ジャックが拍手した。と言っても、手はないから葉っぱがぺちぺち鳴っただけだけど。
「じゃ、実戦。行っておいで」
ぼくは立ち上がった。さっきの家の玄関まで戻って、ピンポン。
ドアが開く。魔女の帽子のおばさんが顔を出した。
「……ト、トリック・オア・トリート!」
言えた。ちゃんと、最後まで。
「はーい、上手に言えたねえ」
おばさんは笑って、パンプキン形のクッキーを二枚、ぼくの袋に入れてくれた。
「ありがと、ございます!」
礼まで言えた。胸の真ん中に、ジャックの火みたいな温かさが灯る。
公園に戻ると、ジャックが得意げに頷いた。
「できたじゃないか」
「うん。ありがとう、ジャック先生」
「せっかくだ。合格祝いに、秘密の会場へご招待」
ジャックは地面に転がるどんぐりを一個、ころんと押した。
コトン。マンホールのふたみたいな丸い模様が土の上に浮かび上がり、オレンジ色に光る。
「ここは“カボチャ通り・裏口”。合言葉は?」
「……トリック・オア・トリート」
「正解!」
光の丸がパカッと開いて、階段が下に伸びた。ぼくとジャックは並んで降りていく。
足元はキャンディみたいにすべすべ。壁はキャラメル色。手すりはプリッツ。
「かじってもいい?」
「降りてからにしなさい。手すりが折れると、大人が怒る」
最下段まで降りると、目の前がぱっとひらけた。
そこは――お菓子の国のハロウィン会場だった。
巨大なドーナツ型のアーチをくぐると、綿菓子の雲から金色の紙吹雪が降ってくる。
骨のように細いクラリネットを吹くスケルトン、マシュマロ色のゴースト、ココアパウダーのコウモリ。
みんな笑っている。怖くない。むしろ、ちょっと間抜けでかわいい。
「主賓のご到着ー!」
パンプキンバンドのドラマー(種でできたドラムスティックを持っている)が叫んだ。
「主賓?」
「初めて“言えた子”は、毎年主賓なんだよ。勇気は、この国の通貨だからね」
ジャックがウインクする。
「りくくん、こちらへ!」
砂糖の結晶でできたステージに上がると、ゴーストたちが一斉に帽子をとって拍手した。葉っぱの音みたいな優しい拍手だ。
「では最初のゲーム、キャンディ・バランス!」
司会の魔女が、キャンディケーンを一本手渡してくれる。鼻の上にのせて、落とさずに歩けたら勝ち。
ぼくがそろそろと歩くと、観客席のスライムたちが、ぷるぷる震えながら「ぷるぷるーっ」と声援を送る。
よろけた瞬間、ジャックがすかさず「お腹!」と叫ぶ。
ぼくはお腹に力を入れ直して、成功。会場がどっと沸いた。
「二つ目はグミ・リレー!」「三つ目はマカロン・ジャンプ!」
遊びはどれも甘くて、ちょっとだけ難しい。失敗してもみんな笑って、誰も怒らない。
太いミミズみたいなグミを落としてしまったとき、スケルトンが骨の手で拾ってくれた。
「大丈夫、骨身にしみる楽しさってやつさ」
うまいこと言うなあ、この骨。
やがて、パンプキン・ダンスの時間になった。
オルガンが鳴って、かぼちゃの灯りがリズムに合わせて瞬く。
ぼくはジャックと向かい合って、足踏み、手拍子、くるりと回って、ぴょん。
ジャックは頭だから足はないけど、葉っぱをプロペラみたいに回してくるくる踊る。
「りく、笑ってるね」
「うん。今まででいちばん、言葉が軽い」
「勇気を出したあとの言葉は、羽根が生えるのさ」
パーティのクライマックスは、カボチャ花火だった。
天井の綿菓子がひらいて、オレンジ色の光が弾ける。
ぱんっ、ぱんっ。光の種が降ってきて、地面に触れると小さなかぼちゃの芽になる。
芽はたちまち小皿になって、その上にチョコやクッキーがぽん、ぽん。
「これは、勇気の芽。言えた言葉のぶんだけ、芽が増えるんだ」
ジャックがぼくの肩――の高さに合わせて、そっと寄り添う。
「りく、次は誰かの勇気に火を貸してあげる番だね」
「ぼくが?」
「うん。今日の君みたいに、声が詰まってる子は、いっぱいいる」
たしかに、ぼくはさっきまでそうだった。
胸の真ん中の火を、誰かに分けてあげられるなら――。
気がつくと、会場の灯りがふっと小さくなっていった。
砂糖のステージは透明に透け、スライムの声援は遠くなり、ジャックの顔の輪郭も、とろけるアイスみたいにやわらいでいく。
「帰りの時間だ」
ジャックの声が、温かく揺れた。
「また会える?」
「もちろん。ハロウィンは毎年やってくる。勇気も、毎日ここにある」
ジャックの灯りが、ぼくのおでこにそっと触れた。ほんのり熱い。だけど、ぜんぜん痛くない。
次の瞬間、ぼくは自分のベッドの上にいた。
カーテンのすき間から、灰色の朝がのぞいている。
枕もとには、昨夜もらったパンプキンクッキーが一枚、きちんと袋に入って置かれていた。……あれ、二枚もらったはずだけど、一枚はどこへ?
「りく、起きた?」
台所から、母さんの声。トーストの匂い。
ぼくは布団をけって、階段を降りた。
「おはよう」
「おはよう。昨日は楽しかった?」
「うん……ねえ、聞いて。ぼくね、言えたんだよ。“トリック・オア・トリート”」
「それはすごい!」母さんは目を丸くして、ニコッと笑った。「がんばったね」
ぼくは一息に、ジャック先生のこと、裏口の階段、お菓子の国のパーティ、骨のクラリネット、カボチャ花火――全部話した。
母さんは「へえ」「まあ」「おいしそう」と、ちゃんと合いの手を入れて聞いてくれる。
「それでね、ジャックが言ったんだ。次は、だれかに火を貸してあげなさいって」
母さんは少しだけ考える顔をして、ふっとやわらかく笑った。
「今日、階段を降りるとき、りくが手すりをなめなかったら、もっと火を貸せるかもね」
「なめてないよ!」
二人で笑った。バターの香りが、部屋いっぱいに広がる。
食卓に座ると、母さんがミルクのコップの横に、見慣れない小さな器を置いた。
それは、小さな――ほんとうに小さな、オレンジ色の皿。かぼちゃの形。
「どこで見つけたの?」
「今朝、玄関を掃いてたら、ドアの前にちょこんと置いてあったの。可愛いでしょう」
ぼくは目を丸くした。昨夜のカボチャ花火で生まれた“芽”の皿。――に、似ている。
皿の真ん中に、欠けたクッキーが一カケ、のっていた。
ぼくはそっと指でつまんで、口に運んだ。
シナモン。焼きりんご。ほんのり、葉っぱのにおい。
夢は夢。でも、灯りは、たしかにここにある。
ぼくは学校に行ったら、言葉がつかえてる子に笑いかけよう。
もし誰かが「トリック・オア・トリート」を言えなくても、ぼくは隣で息を合わせて、お腹を“ほわっ”と温めて、一緒に言ってあげよう。
ジャック先生、またね。
来年のハロウィンまで、ぼくは毎日、ちょっとずつ――
小さな火を、分けていく。
