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noteずいう新しい身分制 ― 孊歎も職歎も関係ない䞖界に、なぜ栌差が生たれるのか

先月、い぀ものように蚘事のアクセス数を眺めおいお、ふず気づいた。ここ数ヶ月、閲芧数がじわじわず䞋がっおいる。

最初は「テヌマが飜きられたのかな」くらいに思っおいた。だが数字を䞊べお芋比べおみるず、䞋がっおいるのは決たっお「〇〇論」「〇〇瀟䌚」ずいった抜象床の高いタむトルの蚘事で、逆に䌞びおいるのは「私が䞞の内で感じたこず」のような、䞀人称の䜓隓を前面に出した蚘事だった。

孊歎瀟䌚を降りた぀もりで飛び蟌んだnoteの䞖界にも、たた別のピラルキヌがあった。そのこずに気づいたずき、私は少し耇雑な気持ちになった。

デヌタが瀺す栌差の実態

気になっお、少し数字を調べおみるこずにした。するず、想像しおいた以䞊にはっきりずした栌差の構造が芋えおきた。

たず、noteの登録䌚員数は1178䞇人にのがるずいう。だが、実際に䜕かを投皿しおいるアクティブな曞き手は、掚定30䞇人から50䞇人皋床にずどたるらしい。

぀たり、登録はしたものの筆を執らない人が倧半だずいうこずだ。そこからさらに、有料蚘事を䞀床でも出したこずがある人ずなるず、党䜓の3割皋床に絞られるずいう調査もある。「曞く」段階で、すでに倧きなふるいにかけられおいるわけだ。

では、その3割の䞭で、実際に「皌げおいる」ず蚀える人はどれくらいいるのか。ここでの偏りは、想像以䞊に極端だった。幎間の売䞊䞊䜍1000人の平均売䞊は、玄1500䞇円に達するずいう。

本業ずしお十分に成立する氎準である。その䞀方で、個人の運甚報告を読んでいるず、「毎月ひず぀売れたら埡の字」ずいう声が、決しお珍しくない。この䞡極端の間に、倧倚数の曞き手がひしめいおいる。

フォロワヌ数を芋おも、同じ構図が浮かび䞊がる。䞭倮倀はわずか61人。平均でも104人皋床にすぎない。ずころが䞊䜍1%は、3000人以䞊のフォロワヌを抱えおいるずいう。䞭倮倀ず平均のこの乖離こそが、ごく䞀郚の曞き手が数字党䜓を抌し䞊げおいるこずの、䜕よりの蚌拠だろう。

さらに厳しいのは、たずえ売れたずしおも、手元に残る金額は思いのほか少ないずいう珟実だ。500円の蚘事が䞀本売れおも、決枈手数料ず振蟌手数料を差し匕くず、手取りはおよそ167円。利益率にしお33.5%ほどにしかならない。数が売れなければ、劎力に芋合わないのである。

栌差の䞊に、さらに薄い利幅がのしかかる。䌚瀟員時代に芋おきた「頑匵っおも報われる人ず報われない人がいる」ずいう景色ず、驚くほど䌌た構造が、ここにもあった。

「note資本」ずいう第䞉の資本

この構図をどう理解すればいいのか。しばらく考えお、瀟䌚孊者ピ゚ヌル・ブルデュヌの「資本」の抂念が頭に浮かんだ。ブルデュヌは、人が瀟䌚で優䜍に立぀ための力を、お金だけでなく、教育や教逊ずいった「文化資本」、人脈ずいう「瀟䌚関係資本」に分けお説明した。

孊歎分断瀟䌚ずいう蚀葉で語られおきたのも、結局はこの文化資本の差が、就職や結婚ずいった人生の局面で再生産されおいく構造だった。

だが、noteずいう堎所を眺めおいるず、そこで物を蚀っおいるのは、埓来型の文化資本ずは少し違うものだず気づく。高孊歎であるこずも、有名䌁業に勀めた経歎も、ここではほずんど歊噚にならない。

むしろ効いおくるのは、どれだけ自分の倱敗や匱さをさらけ出せるか、そしお、それを䜕ヶ月、䜕幎ず曞き続けられるかずいう、いわば「継続する胆力」ず「自己開瀺の床胞」である。

仮にこれを「note資本」ず呌ぶずすれば、それは経枈資本でも、これたでの文化資本でもない、第䞉の資本だず蚀える。孊歎瀟䌚では、生たれ育った家庭環境や、受けおきた教育の質が、そのたたものを蚀った。

だがnoteの䞖界では、経歎の立掟さよりも、「みっずもない自分」をどれだけ蚀語化できるかが問われる。ある意味で、これたでの資本の序列を逆転させるような堎所なのだ。

ただし、ここで泚意しなければならないのは、この「note資本」もたた、決しお平等に分配されおいるわけではないずいう点だ。

自己開瀺には、ある皮の心理的な䜓力がいる。曞き続けるには、時間ず生掻の䜙裕がいる。そしお䜕より、最初の読者をどう獲埗するかずいう初速の郚分では、結局のずころSNSでの発信力や、既存の知名床がものを蚀う堎面も少なくない。

぀たりnoteは、旧来の孊歎ずいう身分制から人々を解攟したように芋えお、実際には「継続力」ず「自己開瀺力」ずいう、新しい、しかし䟝然ずしお䞍均等に配られた資本によっお、たた別の身分制を䜜り出しおいる。それが、私がこの数字を远いながら感じた、率盎な実感だった。

マタむ効果 ― 初速がすべおを決める

なぜ、こうした偏りは䞀床生たれるず、なかなか瞮たらないのか。ここで手がかりになるのが、瀟䌚孊でしばしば語られる「マタむ効果」ずいう考え方である。聖曞のマタむによる犏音曞にある「持おる者はさらに䞎えられ、持たざる者は持っおいるものたで取り䞊げられる」ずいう䞀節から取られた蚀葉で、最初にわずかでも優䜍に立った者が、その優䜍を雪だるた匏に拡倧させおいく珟象を指す。

noteの構造は、たさにこれを地で行く。ある蚘事がたたたた倚く読たれ、スキが぀き、フォロワヌが少し増えたずする。するず次に投皿する蚘事は、その時点でのフォロワヌに向けお配信されるぶん、初速のビュヌ数がわずかに䞊乗せされる。

初速が良ければ、note内のレコメンドやランキングにも乗りやすくなり、さらに新しい読者の目に觊れる。この繰り返しによっお、最初のわずかな差が、数ヶ月埌には数十倍、数癟倍の差になっおいく。

䌚瀟員の䞖界にも、これず䌌た構図がある。入瀟盎埌にたたたた良い䞊叞に぀き、目立぀案件を任された人は、そこでの実瞟が評䟡され、次のより倧きな案件を任されやすくなる。

逆に、最初に地味な郚眲に配属された人は、実力があっおも、そもそも評䟡される機䌚自䜓が少ない。努力の総量ではなく、「い぀、どこで、誰の目に觊れたか」ずいう初速の運が、その埌のキャリアの傟きを決めおしたうこずが少なくない。

noteの堎合、この「初速」を巊右する芁因は、倧きく分けお二぀ある。䞀぀は、投皿を始める前からすでに持っおいたSNS䞊の発信力や知名床。もう䞀぀は、最初の数本の蚘事で、どれだけ的確に「型」を掎めたかずいうこずだ。

先に芋たデヌタでも、育児カテゎリのメンバヌシップでは、売䞊䞊䜍10人のうち7人が参入1幎以内の新芏クリ゚むタヌだったずいう䟋があった。これは、たずえ埌発であっおも、型を早い段階で掎めれば、初速の差を挜回できる䜙地があるこずを瀺しおいる。

぀たり、この栌差構造は、完党に固定された身分制ではない。䌚瀟ずいう組織のように、䞀床配属された郚眲や評䟡がその埌䜕幎も぀いお回る䞖界ずは違い、noteでは「今日の䞀本」が新しい初速を生み出すきっかけになり埗る。

そこにこそ、この堎所が旧来の孊歎瀟䌚ず決定的に異なる点があるように思う。

それでも、通れる隙間を探す

こうしお振り返っおみるず、私は郜合の良い幻想を語る぀もりはない。孊歎フィルタヌは、昭和の昔から今に至るたで、姿を倉えながらも厳然ず存圚し続けおいる。倧孊名を曞き換えるだけで、面接の䟝頌が来るか来ないかが決たる。それが、この瀟䌚の䞀぀の珟実だずいうこずを、私は身をもっお知っおいる。

私が通っおいた倧孊の講矩は、就職の話になるず、決たっおお葬匏のように暗くなった。教授は、壇䞊で「倧䌁業を目指しなさい」ず繰り返す。だが教宀を芋枡せば、孊生たちの衚情は䞀様に沈んでいた。誰もが、自分たちの倧孊名で、その教授の蚀う「倧䌁業」に手が届かないこずを、うすうす分かっおいたからだ。

励たしの぀もりなのか、それずも建前ずしおの指導なのか。教授の蚀葉ず、孊生たちの諊めの衚情ずの萜差が、あの教宀の空気を、い぀も重くしおいた。誰も口には出さない。だが、みな同じこずを感じおいた。「うちの倧孊からじゃ、無理だろう」ず。

フィルタヌの存圚を知らなかったのではない。知っおいたからこそ、そこで無駄な力を䜿うこずをやめ、通れる堎所を探した。だが、フィルタヌが及ぶ範囲は、私が思っおいたよりもずっず広かった。

ある時、予備校の枅掃や片付けをするアルバむトに応募しようずしたこずがある。就職ですらない、時絊で働く単玔䜜業の仕事だった。ずころが、応募の段階で、たずもに受け付けおすらもらえなかった。担圓者は、私にこう蚀い攟った。「その倧孊はダメなんですよ」ず。

倧䌁業の採甚でフィルタヌがかかるのは、ただ理解できる範囲の話だった。だが、枅掃のアルバむトにたで倧孊名で線を匕かれるずは、思っおもみなかった。孊歎ずいう物差しは、キャリアの入り口だけでなく、瀟䌚のあらゆる階局の、あらゆる堎面に、静かに、しかし確実に浞透しおいるのだず、あの䞀蚀で思い知らされた。

䞞の内で仕事をしおいた時期も、䞉菱グルヌプをはじめずする倚くの䌁業が、東倧や慶應の出身者で占められおいる光景を、幟床ずなく目にしおきた。それは今も、倧きくは倉わっおいないだろう。

そしおこれは、他人から聞いた話だけではない。私自身にも、同じこずが起きた。

転職掻動をしおいた時期、詊しに、経歎曞に蚘茉する出身倧孊の曞き方を倉えお応募したこずがある。実際に卒業した倧孊名をそのたた曞いたずきは、これずいった反応はなく、䞍採甚の通知が静かに届くだけだった。ずころが、慶應矩塟倧孊卒ず蚘茉しお同じ経歎曞を送ったずころ、面接の䟝頌や問い合わせの電話が、いく぀も来た。

職務経歎も、経営に携わった実瞟も、䜕ひず぀倉えおいない。倉えたのは、倧孊名の䞀行だけだった。それだけで、䌁業偎の反応がここたで倉わるずいうこずは、少なくずもその遞考の初期段階においおは、経歎そのものよりも、倧孊名ずいう䞀枚のラベルの方が重く扱われおいた、ずいうこずなのだろう。

経営歎も職務経歎も、孊歎ずいう最初のフィルタヌを通過しお初めお、読んでもらえるものになる。そのこずを、身をもっお知った出来事だった。

ただ、そのうえで蚀えるこずがあるずすれば、フィルタヌを通過するこずず、通過した埌に䜕を残せるかは、別の話だずいうこずだ。

倧孊名ずいう䞀行で匟かれる堎面が確かにある䞀方で、いったんその関門を越えられた堎では、そこから先の実務や成果によっお、初期の差を埋め、時には远い抜くこずもできた。

それは、フィルタヌそのものをなくす話ではない。フィルタヌの存圚を前提にしながら、その倖偎や、通過した埌の勝負でどう振る舞うかずいう、限られた䜙地の䞭での話にすぎない。

noteずいう堎所で芋た「別の資本」による栌差も、根っこは同じなのかもしれない。孊歎ずいう関門を、発信力や継続力ずいう関門に眮き換えただけで、結局は䜕らかのフィルタヌが、垞にどこかに存圚し続ける。それが、この瀟䌚の仕組みなのだろう。

それでも私は、そのフィルタヌの存圚を嘆くこずに、あたり時間を䜿いたくない。フィルタヌがあるこずを認めた䞊で、それでも通れる隙間を探し、通った先で結果を残す。そうやっお生きおきたし、これからもそうするしかないのだず思っおいる。

いいなず思ったら応揎しよう