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御恩と奉公の終焉(1)ーーサラリーマンは現代の御家人なのか?

歴史は一夜にして動かない。

社会はある日突然変わるように見えるが、実際には長い時間をかけてじわじわと変化している。その渦中にいる人間は、変化になかなか気づけない。もちろん、最後に決定的となる出来事はあるが、その下地となる変化は昨日と今日で劇的に違うわけではない。

しかし、十年、二十年と時間が経過したあとで振り返ると、「あの時代は確かに終わっていたのだ」と気がつく。変化とは歴史の教科書のように数行で終わるものではない。

1333年、鎌倉幕府滅亡、とあっさりと書かれても実際には、御家人たちの困窮、不満、離反、恩賞不足といった小さな綻びが、長い年月をかけて積み重なった結果だった。

そして今、日本のサラリーマン社会も鎌倉時代末期と似たような転換点に差しかかっているように思えてしかたない。

昭和のサラリーマン社会は、ある意味で、鎌倉時代のような「御恩と奉公」によって成り立っていた。会社に人生を捧げて忠誠を尽くす「奉公」の代わりに、終身雇用、昇給、年金、住宅ローン信用といった「御恩」が与えられる。

高度成長期、このシステムは強力だった。企業には余裕があり、拡大一直線で、社員もまた「この会社にいれば老後まで安泰」という感覚を持てた。この昭和ベルトコンベアーには大量の人が乗り、満員御礼で運ばれいった。しかし、世の中は諸行無常で、その全盛期も永遠ではなかった。

経済成長は止まり、人口は減り、企業はグローバル競争へ投げ込まれて苦戦している。企業は、かつてのように「御恩」を配給できなくなり、ベルトコンベアーの定員はどんどん減らされている。

しかし、不思議なのは、「奉公」だけは残っていることだ。忠誠、同調、空気読み、自己犠牲。昭和的な会社文化は弱まりながらも、いまだに日本社会の深部に残っている。

繰り返しだが、昭和のサラリーマンシステムとは、現代版の御恩と奉公だったのだろう。そして恩賞を配れなくなった社会では、サラリーマンたちは鎌倉末期の御家人のように、静かに困窮していく宿命を背負ってしまったのかもしれない。

つづく