オーストラリアで働いて見えた、日豪の働き方の違い――私が日本で苦しかった理由
オーストラリアで働いて見えた、日豪の働き方の違い――私が日本で苦しかった理由
日本でのフルタイム勤務がどうしても自分に合わず、心身の調子を崩したあと、私はオーストラリアで働くことを通して、ようやく「自分に合う働き方」の輪郭を考え直せるようになりました。
この記事では、日本とオーストラリアの働き方を比べながら、私が日本で何に苦しみ、オーストラリアで何を見直すことになったのかを書いてみたいと思います。
大学生の頃から、私は正社員になりたくないと思っていました。
できるだけ友達と過ごす時間や、自分の勉強の時間を優先したかったからです。毎日フルタイムで働いて、仕事を中心に生活が回っていくような生き方には、当時から強い抵抗がありました。
その頃の私は、YouTuberのような働き方にも関心を持っていました。
自分で何かを発信して、それを仕事にできたらいい。会社に入らなくても、もっと自由な形で生きられるのではないか。そんなふうに考えていた時期があります。
けれど、大学4年生になって現実を見ると、「YouTubeで生きていくのは難しい」と思うようになりました。
結局、私は就職を選びました。
今振り返ると、あの就職は自分にとってかなり無理のある選択だったと思います。当時もフリーランスという働き方はありましたが、今ほど一般的ではありませんでしたし、自分の中でもそれを現実的な進路として選び切るだけの勇気がありませんでした。あのときの自分には、就職するしかないように見えていたのだと思います。
日本でのフルタイム勤務は、私にとって『続けること』そのものが苦しかった
実際に日本でフルタイムで働いてみても、私は仕事にやりがいを感じることができませんでした。
もちろん、新卒の頃は「お金のために仕方なく働こう」と思っていましたし、社会人として働く以上、ある程度しんどいのは当たり前だとも思っていました。けれど、働き続けるうちに、私にとってはその「当たり前」がどんどん重くなっていきました。
残業を含む働き方の中で、私は少しずつ心身の調子を崩していきました。
仕事そのものにも意味ややりがいを見出せず、毎日をこなすこと自体が苦痛に近くなっていた時期があります。心療内科に通いながら、処方された薬で症状を抑えて働いていた時期もありました。
働いても、そのお金が診察代や薬代に消えていく。
そんな生活の中で、「自分は何のために働いているのだろう」と感じることが何度もありました。
けれど、つらいからといってすぐ辞められるわけではありませんでした。退職するにもエネルギーが必要です。すでに心身がすり減っている状態では、その一歩を踏み出すことすら難しかった。結果として、私は合わない働き方の中で5年間を過ごしました。
今振り返ると、あの5年間を単純に『無駄だった』と言い切ることはできないかもしれません。
けれど少なくとも、自分にとってフルタイム勤務という働き方がかなり苦しいものであり、このまま同じように働き続けるのは難しい、ということははっきりわかりました。私にとって必要だったのは、転職というよりも、もっと大きく環境を変えることだったのだと思います。
日本で働いていた頃、私にとっての一日は、仕事を中心に組み立てられていました。
たとえば、朝の時点で『今日は定時で終われるだろうか』よりも、『今日もどこかで残業になるだろうな』と考えるほうが自然でした。仕事が終わったあとの時間は、自分のための時間というより、翌日をなんとか乗り切るための回復時間になっていたように思います。そうなると、仕事と生活のバランスを取るという以前に、生活そのものが仕事の影響下に置かれていく感覚がありました。

オーストラリアのワーホリは、働き方を変えるというより『人生をやり直す』ための選択だった
そうして考えた末に、私はオーストラリアのワーキングホリデーに行きました。
海外に出て、環境を変えて、一度人生をリセットしたい。日本で積み重ねてしまった苦しさや惰性から離れて、もう一度、自分に合う働き方を探し直したい。オーストラリア行きは、私にとって単なる海外挑戦ではなく、人生をやり直すための行動でした。
私はもともと、仕事のために生きるという考え方があまり好きではありません。
仕事以上に人生の中で大事なことはたくさんあると思っています。友人との時間もそうですし、自分の勉強や関心事に向き合う時間もそうです。日本にいた頃は、その感覚そのものがどこか許されにくいように感じていました。仕事を優先するのが当然で、仕事以外を大切にしたいと感じることには、どこか後ろめたさがつきまとっていたように思います。
だからこそ、オーストラリアで働くことに、私は単なる環境の変化以上の意味を求めていました。
働き方が変われば、自分の感じ方も変わるのではないか。少なくとも、日本での働き方を唯一の前提として生きる必要はないのではないか。そんな希望があったのだと思います。

オーストラリアで働いてわかったのは、『どちらが正しいか』ではなく『自分に合うかどうか』だった
オーストラリアで働いてみて、最初に感じたのは、日本にいた頃よりも『仕事が人生の中心になりすぎていない』ということでした。
少なくとも私が経験した働き方では、仕事のために生活のすべてを差し出すような感覚は、日本にいた頃よりかなり弱かったように思います。
日本で働いていた頃、私にとってのワークライフバランスは、理想として語られることはあっても、実感としてはかなり遠いものでした。
仕事と私生活のバランスを取るというより、現実には仕事に生活全体が引っぱられていく感覚のほうが強かったからです。体調や気持ちを崩しても、まず仕事を優先しなければならない。そうした状態では、『バランスを取る』という言葉自体がどこか現実離れして感じられることもありました。
一方で、オーストラリアで働いていたときに私が感じたのは、単なるワークライフバランス以上のものでした。
仕事と私生活をただ両立するだけではなく、自分にとって大事な時間や価値観を守りながら、生き方全体としての満足感を考えられる状態があったように思います。言い換えるなら、それはワークライフフルフィルメントに近いものだったのかもしれません。つまり、仕事と生活を単に両立させるのではなく、自分にとって納得できる生き方に少しずつ近づいている感覚です。
さらに、私にとって大きかったのは、オーストラリアでは自由な時間をかなり確保しながら働けたことでした。
私はマッサージの仕事をしていましたが、日本の会社員時代のように長時間拘束され続ける働き方ではなく、自分の時間を持ちながら働くことができました。給料も日本より高かったので、たくさん働かなければ生活できないという感覚も薄かったです。仕事が終わったあとに、まだ自分のために使える時間が残っている。その感覚は、私にとってかなり新鮮でした。少なくとも、自分の生活全部が仕事に飲み込まれていく感じは、日本にいた頃よりずっと弱かったのです。
もちろん、オーストラリアでの仕事そのものに、ものすごいやりがいを感じていたわけではありません。
仕事は仕事ですし、理想だけで成り立っていたわけでもありません。ただ、マッサージを受けたお客さんが実際に喜んで帰っていく姿を見ると、『少なくとも自分の仕事が、目の前の人にとって意味のあるものにはなっているのかもしれない』と思えることがありました。その感覚は、日本で働いていた頃にはあまり持てなかったものでした。
だからといって、オーストラリアが楽園だったわけではありません。
外国で働くことには、外国で働くことなりの不安定さや大変さがあります。言葉の壁もありますし、将来の見通しが立ちにくいという問題もあります。けれど、それでも私にとって大きかったのは、別の働き方の現実に触れたことで、日本で自分が何に苦しんでいたのかが少し見えたことでした。
私が日本で苦しかったのは、忙しかったからだけではなかったのだと思います。
もっと根本的には、自分に合わない働き方の前提に、自分を無理やり合わせようとしていたことが苦しかったのだと、今は感じています。
長時間働くことが当たり前になっていること。
多少つらくても、続けること自体が評価されやすいこと。
仕事のために生活が削られていくこと。
そういう前提が、自分には合っていなかった。オーストラリアで働いてみたことで、そのことが以前よりはっきり見えるようになりました。
日豪の働き方を比べてみて、私が最終的に感じたのは、『どちらが正しいか』ではありません。
日本にも良さはありますし、オーストラリアにも厳しさはあります。ただ、比較したことでわかったのは、働き方にはいろいろな前提があって、そのどれが自分に合っているのかを考えることがとても大事だということでした。
私にとっては、仕事が人生の中心になりすぎないこと。
自分の時間を持てること。
心身を壊さないこと。
そして、少なくとも自分の仕事が誰かに少しでも喜ばれていると感じられること。
そういう条件が、働くうえで思っていた以上に大切でした。
もし今、日本で働きながら『このままでいいのだろうか』と感じている人がいたら。
あるいは、外国の働き方を知ることで、自分の違和感を少し整理してみたいと思っている人がいたら。私は、そういう人にとって、日豪の働き方を比べることには意味があると思っています。
比較することの意味は、『海外のほうがいい』と言うためではありません。
自分が何に苦しみ、何を大事にしたいのかを見つけるために、別の現実を知ること。私にとってオーストラリアで働いた経験は、そのための大きなきっかけでした。
これからもこのnoteでは、海外で働いて見えてきたことや、そこから考え直したキャリアのことを少しずつ書いていきたいと思います。
次は、こうした違いを通して見えてきた『自分に向いている仕事・向いていない仕事』についても、もう少し具体的に書いてみたいと思っています。
同じように働き方に違和感を持っている人にとって、何かひとつでも考えるきっかけになればうれしいです。
