【創作】アカリウム肝試し――その水槽には、何も入っていない。
ちょっぴり心理学を交えて、怖いお話を書いて見ました。
「肝試し、行かない?」
午前一時過ぎの熱帯夜。
エアコンは冷たい風を吐き出しているというのに、部屋の温度計は微動だにせず、まとわりつくような湿気だけが肌を焦がしていた。友人の直樹がスマホの画面を突きつけてくる。そこに映っていたのは、noteの企画ページだった。
企画名: 『第2回アカリウム企画 夏の肝試し』
内容: 心霊体験や、不思議で怖い話を集める企画
「怖い場所へ行って、体験談を書く。だから面白いんだよ」
笑う直樹の横顔を見ながら、僕はまだ気づいていなかった。人間の心理には、未知のものに対する興味(知的好奇心)を、生存本能よりも優先させてしまう危うい罠があるということを。この企画の本質が、自分から「怖い場所へ行くこと」などではなく、「怖いものに見つけてもらうこと」だという残酷なルールを、僕の脳はまだ正常性バイアスで否定しようとしていたのだ。
🏚️ 廃水族館の呪われた水槽 —— 正常性バイアスという罠
二日後、僕たちは山深い斜面にひっそりと佇む、二十年前に経営不振で閉館した廃水族館へと足を踏み入れた。錆びついた門はなぜか開いており、懐中電灯の光が照らし出す館内は、外の蝉の声すら届かない異常な静寂に包まれていた。
「まさか本当に何が出るわけじゃないし」
そんなふうに、僕は自分のなかに生じる不安を「ただの気のせいだ」と必死に合理化し、正常性バイアスでかき消そうとしていた。
最奥の大きな廊下。
その突き当たりに、その「噂の水槽」はあった。
どんな重機を使っても撤去できず、放置された。
どんなに水を抜いても、翌朝には必ず満水になる。
地下の水槽の中に「女」が立っている。
「何もないじゃん」
直樹がライトを向け、水槽を覗き込んだ瞬間だった。
コン。
冷え切ったガラスの内側から、乾いたノック音が響いた。
人間の脳は、自身の理解を超える現象に直面したとき、パニックを避けるためにそれを「聞き間違い」や「錯覚」だと処理しようとする。だが、もうごまかしは利かなかった。慌てて直樹がスマホのカメラを向け、シャッターを切る。
「おい、見てみろよ……!」
震える画面の奥、誰もいないはずの漆黒の水槽の底に、長い髪をした細い身体の影が立ち尽くしていた。
その直後、二人のスマホが同時に震えた。
noteからの通知――『スキがつきました』。 投稿なんてしていない。勝手にアップロードされた記事のタイトルは、冷酷にこう告げていた。
『見つけた』
画面を覗き込むと、そこに映っていたのは水槽を覗く僕たちの「背後姿」。そして、ガラスの向こうからこちらを真っ直ぐに凝視する、見えない長い髪の女の姿だった。
🏠 逃れられない連鎖 —— 同調圧力と認知の歪み
「帰ろう!」
恐怖に駆られて逃げ出そうとしたが、何度廊下を走っても、たどり着くのは必ずあの水槽の前だった。これはパニックによる方向感覚の喪失(ラビリンス効果)なのだろうか。後ろから足音に変わった「コン、コン」という乾いたノックが、すぐ背後まで迫ってくる。非常口を突き破り、どうにか夏の夜の熱気の中へと這い出た。
だが、悪夢は自宅に帰ってからも終わらなかった。
直樹とは連絡が取れなくなり、僕のスマホには見知らぬアカウントから新たな記事とコメントが届き続ける。
コメント: 『次はあなたの家に行きます』
通知: 『暑いね』
そして深夜五時。冷房が効いているはずなのに異常な熱気を感じて振り返った瞬間、自室の壁が不自然に膨らみ、じっとりと濡れていることに気づいた。スマホの画面を開くと、そこには「自分の部屋のベッドに座る背後」と、背後の壁に突如として現れた「巨大な水槽、そしてその中で微笑む白い顔の女」が写し出されていた。
電気が消え、暗闇のなかで冷たい水が足首からひたひたと言葉もなく満ちていく。 耳元で、濡れた髪を纏った女が囁いた。
「やっと……入れた」
💻 終わらないバトン —— あなたの背後にあるもの
翌朝、部屋の床は乾ききっており、すべては幻覚だったかのように思えた。人間の脳は、耐え難い恐怖を体験したとき、「夢だったのだ」と思い込もうとする防衛本能が働く。
しかし、スマホのnoteを開くと、昨夜の恐怖がそのまま『アカリウム肝試し』というタイトルで記事として綴られていた。
最後に残された一文。
『次に読む人を、ひとり連れてきてください』
アカウントを消し、スマホを投げ捨てても、もう遅かった。今、この瞬間も、僕のパソコンの画面には、意思とは無関係に勝手に文字が打ち込まれている。
『読んでくれて、ありがとう』
『あなたの後ろにも、水槽があります』
おかしい。
僕の後ろには、ただのコンクリートの壁しかないはずだ。 それなのに、耳の奥で、ちゃぷん、と誰かが水を踏む音がする。人間の脳は、暗闇や背後に対する想像力を極限まで高めると、存在しないはずの足音や気配をリアルに創り出してしまう(感覚遮断による幻聴)。
今、三度目のノックが響いた。
もし、ここまで読んだあなたの脳が、「そんな馬鹿な」と笑い飛ばそうとしているなら――。
その正常性バイアスこそが、怪異を引き入れる最高の隙(ギャップ)になる。
お願いだから、絶対に振り返らないでください。
コン。
……今、あなたのすぐ後ろから、音が聞こえませんでしたか?
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