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灰の降る街で、君の名前を呼んだ

ナチス・ドイツが人間を効率的に処理する「工場」として構築したアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、レンガ造りの兵舎からなる第1収容所、果てしない泥の荒野に数々のガス室と焼却炉がそびえる第2収容所ビルケナウ、化学企業と結託した奴隷労働キャンプである第3収容所モノビッツなど、40以上の網の目の底で構成されていました。

そこへ運び込まれた人々は、親衛隊(SS)の医師(悪名高きヨーゼフ・メンゲレなど)が指先一つで左右に振り分ける、恐怖の「選別」の洗礼を受けました。
左側を指された老人や子どもは、荷物を預けたまま「衣服に番号を書き、忘れないように」という欺瞞の指示を受け、シャワー室に偽装された地下室へ送り込まれ、天井の穴から投下されたチクロンB(青酸系毒ガス)による苦悶の窒息死を遂げました。
右側の労働用へ選ばれた者も、髪を刈られて名前を剥ぎ取られ、左腕に消えない囚人番号の刺青を彫られ、隙間風が吹き抜ける不衛生な木造バラックで1枚の木板に数人がすし詰めになって眠り、翌朝には夜明け前の極寒の中で泥にまみれ、一切れのパンと濁ったスープだけで力尽きるまで酷使される日々を送りました。

しかし、この極限の絶望が渦巻く地でも、人間が「人間らしくあること」を諦めない驚異的な抵抗がありました。

ナチスが国際赤十字の目を欺くために作ったチェコ系家族の「カモフラージュ区画(BⅡb区画)」では、見つかれば即座に首を吊られるという死の恐怖のなか、大人たちが密かに囚人の荷物から抜き取ったボロボロの『世界史概観』や地図帳など「わずか8冊の本」を守るため、14歳の少女ディタ・クラウスを「図書係」に任命しました。
ディタは毎朝、特別に縫い付けたポケットで服の下に本を隠してバラックを移動し、看守が来れば床板の隙間に隠しながら、子どもたちの空想の翼と知性を守るために本を配り続けました。
彼女はその後、別の収容所への移送を経て、飢餓とチフスの死体の山の中で死にかけながらも辛うじて終戦を迎え、戦後はイスラエルへ移住して、晩年は「亡くなった人々のために語るのが義務」として世界中で講演活動を行い、2025年10月18日に96歳でその尊い生涯を閉じました。

また、この巨大な要塞から「収容所で起きている大量虐殺の事実を外部に伝える」という目的だけで、命がけの脱走を成し遂げた青年たちもいました。
1944年4月、スロバキア出身のユダヤ人、アルフレート・ヴルバルドルフ・ヴェツラーは、収容所の拡大工事用に積まれていた材木の山の中に小さな空洞を作り、そこに身を潜めました。
彼らは、ナチスの規則で「脱走が発生した際の全域警戒・捜捜索期間は3日間」と決まっていることを見抜き、捜索犬の鼻を狂わせるために材木の周囲へ「ガソリンとタバコを混ぜた強烈な液体」を撒き、看守たちが捜索を諦めて警戒が解けた4日目の夜、暗闇に乗じて有刺鉄線の外へと這い出しました。
労働の割り振りを担当していた彼らが脳裏とメモに刻み、スロバキアで命がけで作成した32ページの「ヴルバ=ヴェツラー・レポート」は、秘密裏にイギリス首相チャーチルの元へも届けられ、ナチスの嘘を暴いて世界を震え上がらせ、当時予定されていた約12万人以上のハンガリー系ユダヤ人の移送を中止させ、彼らの命を救うという歴史的奇跡を起こしたのです。

さらに、収容所の深部では、自らも死を義務付けられた特務班「ゾンダーコマンド(ガス室の死体処理などを強制された囚人部隊)」による、絶望的な武装蜂起(1944年10月)まで計画されました。
兵器工場で働くユダヤ人女性たちが命がけで服の裾や爪の間に隠して持ち出した「火薬の粉」を、何ヶ月もかけてバラックへ集め、手製の爆弾を製造。
そして、自分たちの処刑順が回ってきたその日、彼らは命を捨てる覚悟で反乱を起こし、第4焼却炉(クレマトリウムIV)を文字通り爆破し、数人の親衛隊員を道連れにして倒れました。

やがて1945年1月、ソ連軍の進撃が間近に迫ると、ナチスは罪の証拠を隠滅するため、残るガス室をダイナマイトで爆破し、動ける囚人約6万人を極寒の雪原へと連れ出す「死の行進」へと駆り立てました。
防寒着もないまま歩かされ、立ち止まった者はその場で射殺されるという、数日間に及ぶ地獄の行軍により、さらに1万5千人以上の命が失われました。

そして1月27日、静まり返ったアウシュヴィッツにソ連軍の兵士たちが足を踏み入れたとき、そこに残されていたのは、ナチスが見捨てていった瀕死の生存者わずか約7千人と、倉庫に遺された「何万足もの靴」、山のような「眼鏡」、そして衣服の材料にするために刈り取られた「数トンに及ぶ人間の髪の毛」でした。

鉄柵が開け放たれたとき、生き残った人々が見上げた空は、もう煙突の煙で汚れてはいませんでした。
アウシュヴィッツの記憶は、人類が二度と繰り返してはならない過ちの象徴として、今もあの錆びついた線路とともに、静かに世界へ問いかけ続けています。

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