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信じていないけど、信頼してます。

信頼するとは、
まるごと信じることだと思っていた。

この人を信じる。

この会社を信じる。

この未来を信じる。

そう決めたなら、
疑ってはいけないような気がしていた。

けれど実際には、
そんなふうに簡単にはいかない。

信じたいのに、
少しだけ引っかかる場所がある。

大丈夫だと思いたいのに、
そこだけ心が立ち止まる。

一度気になり始めると、
信じたい気持ちとは別に、
その部分だけが残ってしまうことがある。

でも、それは本当に、
信頼していないということなのだろうか。


友人に、

「ほんとかよー」

と言うことがある。

相手の話を、
そのまま全部は受け取っていない。

少し笑いながら、
少し引っかかりながら、
でも、まだ聞いている。

それで関係が壊れるわけではない。

むしろ、
近いから言えることもある。

「それ、盛ってない?」

「無理しちゃってない?」

「いいよ、そこは信じてない」

そんなふうに言える関係は、
一見すると信頼がないようで、
実はかなり信頼しているのかもしれない。

その言葉は疑っているかもしれない。

でも、
相手そのものからは離れていない。

相手の発言を、
全部そのまま信じることと、

相手との関係を、
信じていることは、

同じではない。


昔の恋愛ゲームの中で、
こんな会話があった。

「あーあ、好感度さがっちゃったな」

「さがるとどうなるんですか?」

「嫌われる」

「好感度があがるとかさがるとかはよくわからないけど、好きなものは好きです」

この言葉が、ずっと印象に残っている。

好感度が上がる。

好感度が下がる。

その場の反応は揺れる。

でも、
好きであることまで、
その点数に回収されていない。


信頼も、
それに近いのかもしれない。

ひっかかりが一度もないこと。

不安が一度も出ないこと。

何を言われても、
そのまま全部受け入れること。

それが信頼なのだとしたら、
信頼はとても脆い。

一か所でも引っかかった瞬間に、
全部が壊れてしまうからだ。

けれど、

「疑っているわけじゃないけど…」

と言いながら、
疑って。

「まあ、話はんぶんで」

と言いながら、
それでも関係を閉じていなかったりする。

そこにあるのは、
まるごとの肯定ではなくて、

揺れても残る何か

だと思う。


投資やマーケットにしても
似たようなところがあるのかもしれない。

例えば、
AIへの期待はある。

けれど、
AIなら何でもいいわけではない。

どこに需要があるのか。
誰が費用を負うのか。

その投資は、
どこで売上につながるのか。

どの部分は信じられて、
どの部分は様子見なのか。

ひとつの言葉で
全部を塗りつぶさなくなる。

でもそれは、
期待が消えたからではなくて。

むしろ、
信じたいからこそ、
ひとくくりに信じないのだと思う。

信頼とは、
引っかかりがないことではない。

引っかかりが出ても、
関係を閉じないこと。

たとえ好感度というパラメーターが
揺れたとしても、
好きなものは好きと、言えること。

もしかすると信頼とは、
まるごと信じることではなく、

揺れながらも、
関係の奥に残っているものを、
一緒に扱っていけることなのかもしれない。


── 観測ログ


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