なぜ、800年の歴史を持つパリ大学は、13に分割されたのか?
はじめに:パリに「大学」はいくつある?
私は現在も、フランスの大学院に在籍し、研究を続けています。 ここに至るまで、私はパリのいくつかの大学を渡り歩き、それぞれの校風の中で学んできました。
最初に通ったナンテール(パリ第10)で、「現代フランス語(C2レベル)」のDU(Diplôme universutaire)を取得。 さらにソルボンヌ・ヌーヴェル(パリ第三)で、「フランス語音声学」のDUを取得。 そしてソルボンヌ(パリ第四)では、社会学の学士号(Licence)を取得しました。
ふと疑問に思われるかもしれません。「なぜ、パリにはそんなにたくさんの『大学』があるの?」と。 日本の東大や京大のように一つの「パリ大学」があるのではなく、最大で「パリ第13」まで、番号がついた大学がバラバラに存在しているのです。
なぜ、このように細かく分割されているのか? 実はこの姿こそが、以前の記事で紹介した1968年「五月革命」の直接的な結果であり、別の記事で触れた「政府にNOと言える強い大学自治」の源泉なのです。
今回は、歴史あるパリ大学が、なぜこのように分割されたのか。そのドラマと、そこで学生たちが勝ち取った「権利」についてお話しします。
1. 巨大すぎた「パリ大学」と、必然だった分割
1968年以前、パリには「パリ大学」という、とてつもなく巨大な組織が一つだけ存在していました。
それは中世からの歴史を誇ると同時に、完全に限界を迎えていました。ベビーブーム世代の到来で学生数は激増しているのに、システムはナポレオン時代から変わらない中央集権的なもの。「教授は絶対、学生は沈黙」という古い体質が支配し、管理機能はパンク寸前でした。
その「圧力釜」のガス抜きのためにパリ郊外に作られたのが、私が最初に学んだナンテール(後のパリ第10)でした。しかし、前回の記事で書いた通り、そのナンテールから革命の火の手が上がり、やがて本丸のソルボンヌが学生たちによって占拠されます。
カルチェ・ラタンでの激しい衝突の後、政府は悟りました。 「パリ大学という巨大な組織を、そのままにしておいてはいけない」 。あまりに巨大で力が集中しすぎた大学は、管理不全を起こすだけでなく、一度火がつくと国家を揺るがす存在になるからです。
2. 「エドガー・フォール法」による大学の再編
事態を収拾するために任命された教育大臣エドガー・フォールは、1968年11月、「高等教育基本法(通称:フォール法)」を成立させます。
この法律によって断行されたのが、「巨大なパリ大学の分割」でした。
巨大な組織は13の独立した大学へと分けられました。 法学部を中心とした大学、医学部を中心とした大学、人文系を中心とした大学……。それぞれが独自の運営方針を持つことになったのです。
私が実際に通った3つの大学も、この時「キャラクター」が明確に分かれました。
パリ第10(ナンテール): 革命の発火点。パリの過密を避けた広大なキャンパスを持ち、社会科学や語学教育に力を入れています。私がここでC2レベルのDUを取得したことからもわかるように、留学生受け入れにも積極的です。
パリ第三(ソルボンヌ・ヌーヴェル): 「新しいソルボンヌ」の名が示す通り、現代語学や演劇、映画など、新しい人文科学を志向する「リベラル校」。伝統的な文学研究ではなく、私がここで「音声学」という科学的なアプローチを学んだこと自体が、この大学の進取の気性を表しています。
パリ第四(パリ・ソルボンヌ): 古典文学や歴史など、伝統的な学問を守る「保守の本流」。由緒あるソルボンヌの校舎を受け継いだ、いわゆる「ザ・ソルボンヌ」です。
これらの大学を渡り歩く中で、大学ごとに専門分野も学生の雰囲気も驚くほど違うことを肌で感じてきましたが、それはこの「1968年の分割」によって、それぞれの大学が独自のアイデンティティを歩み始めたからなのです。
3. 分割と引き換えに手に入れた「自治」という武器
しかし、政府の狙いは単なる「分割統治(バラバラにして弱くする)」だけではありませんでした。学生たちの怒りを鎮め、大学を正常化するために、政府は法の中に、それまでになかった「3つの画期的な原則」を盛り込みました。
自律性(Autonomie): 大学は教育省の下部組織ではなく、自分たちで方針を決める独立した法人とする。
参加(Participation): 教員だけでなく、学生や職員も大学運営に参加する。
多分野性(Pluridisciplinarité): 学部の壁を取り払う。
ここで、以前の記事(授業料値上げ拒否の話)に繋がります。
このフォール法で定められた「参加(Participation)」こそが、フランスの大学を根本から変えました。 それまで「教えられるだけの対象」だった学生が、大学の運営評議会(Conseil)のメンバーとして、正式な「投票権」を手に入れたのです。
「自分たちの学ぶ環境は、自分たちで決める」
これが、1968年の学生たちが勝ち取った戦利品でした。 だからこそ、2019年に政府が「授業料大幅値上げ」を決定した際、フランスの各大学の評議会では、学生代表たちが堂々と議論に参加し、大学として「否決」することができたのです。
日本の大学で、学生が理事会で学長と同じ一票を持ち、予算や学費の決定権を持つことは想像できるでしょうか? フランスでは、それが半世紀前からの「当たり前の権利」なのです。
まとめ:番号に残る「自由の精神」
現在、パリの大学は国際競争力を高めるために再び再編・統合の時期を迎えています(例えば、パリ第四と第六が合併して新たな「ソルボンヌ大学」となるなど)。
しかし、1968年に刻まれた「番号」の歴史と、そこで確立された「精神」は消えていません。
私が学んできたナンテール、パリ第3、パリ第4。 そして今、大学院生として研究を続ける中で感じるのは、「学生は、大学という共同体の主役の一人である」という確固たる空気感です。
「なぜフランスの大学は政府に従わないのか?」 「なぜパリの大学は分割されたのか?」
その答えは同じ場所にあります。 それは、かつての若者たちが国家権力と戦い、大学という巨大な権威を変えてでも手に入れようとした「自由と自治」が、今も制度として生き続けているからなのです。
いいなと思ったら応援しよう!
執筆活動は皆様のご支援に支えられています。 いただいたサポートは、思考の質を維持し、より鋭い視座を提供し続けるための「活動資金(資料・取材費)」として大切に使わせていただきます。