見出し画像

写真館 「朽ちる」

おはようございます。

甲子園もはじまり、子供の夏休みも真っ只中、暑さも続いている状況です。まさに夏真っ盛りという感じですが、自然は変わらずに時間の経過を示すシグナルを出しています。

紫陽花はまだ何とか形は残っていますが、色が変わり時期の終わりを告げています。

このような形や色の変化に綺麗さや美しさを見出すのは、それに対する考え方を変えたり、想いを馳せることだと思っています。

それでは今日も、カメラのテーマで、保土ケ谷公園にレッツゴー♬

親父のためにプレゼントで買ったカメラが、「使えない」という理由で返された、という物語です♬

勢いよく空に向かって伸びていた草木も、季節とともにその姿を変えて、次の時期の到来を教えてくれます。気温や日照時間などの変化を察知しているのかもしれません。

木の枝葉の様子も少しずつ勢いが減り、葉の色にも変化があるようです。

公園を見渡せば、緑がたくさん覆われていますし、セミの鳴き声も響き渡り、夏の景色に相違ないと感じますが、少し丁寧に確認するとそこには変化があるのに気づきます。

時間の変化、特に四季の移り変わりは、日々の中ではほんの少しずつ起こっているものです。

それでも、体感としては一年という大きな時間の中で感じる変化なので、どこかゆっくりと進んでいるように感じます。

そのため、私たちの身体が季節に馴染んでいく時間と、季節そのものが少しずつ変化していく時間には、ある種の調和があるのではないかと感じています。

日々の仕事や生活に追われ、身の回りのことや、やるべきことに集中していると、毎日はあっという間に過ぎ去っていきます。

特に「自然に目を向ける」ということは、日常生活の中では、直接的な価値につながるものではありません。

仕事が片付くわけでもなく、生活が便利になるわけでもありません。

だからこそ、心に余裕がなければ、普段なら気づくはずの小さな変化にも、目を向けることがなくなってしまいます。

目の前のことに精一杯になっていると、そこにあるものを「見る」ことはできても、「気づく」ことができなくなるのかもしれません。

8月7日は「立秋」だったということで、暦上ではもう秋の始まりでもあるようです。わずかな変化、それが積もっていくのでしょう。

朽ちる」ことは終わりではなく、時間を受け入れた姿なのかもしれません。その変化に気づける「心の余裕」を大切にしたいと思います。

夏真っ盛りの保土ケ谷公園。

セミの声が響き、緑に覆われた景色の中にも、確実に「夏の終わり」の兆しがあります。季節は、私が気づくよりも少しだけ先に進んでいるのかもしれません。

次回も何かの「縛り」で楽しんでみますね🎵

いつもありがとうございます!!

Have a nice day!!

いいなと思ったら応援しよう!