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外科医にはプライベートを犠牲にしてでも、学ばなければならない時期がある

これは、少し時代遅れな考え方かもしれない。

働き方改革の時代だ。
プライベートも大切だ。

それは間違いない。

人生は仕事だけではないし、家族や友人との時間を犠牲にすることが、常に正しいわけでもない。

でも。

それでも私は、プライベートを少し犠牲にしてでも、学ばなければならない時期が人生にはあると思っている。

特に、若くて、体力があって、少しずつ仕事ができるようになり始めた時期。

油が乗り始めた時期。

その時期に何をしたか。

何を見て、何を経験して、何を考えたか。

そして何を残したか。

それは、おそらくその後の人生を大きく変える。

症例数だけではない

外科医にとって、経験症例数は大切だ。

多くの手術を経験する。

多くの患者を診る。

多くの合併症を経験する。

もちろん、それは重要だ。

しかし、私は思う。

経験は、ただ症例数をこなしているだけでは増えない。

例えば、少し遅くまで病院に残っていた。

すると、予定外の緊急手術が始まる。

珍しい症例が運ばれてくる。

「ちょっと見ていくか」

その何気ない一言が、後になって大きな経験になることがある。

あるいは、自分の担当ではない手術。

別に見に行かなくてもいい。

呼ばれてもいない。

それでも手術室に行く。

「どうやってやっているんだろう」

そう思って、人の手術を見る。

その積み重ねが、いつか自分の手術に出てくる。

手術というのは不思議なものである。

見たことのない操作は、なかなかできない。

しかし、一度でも見たことがある操作は、必要になったとき、頭の片隅から出てくる。

「あの先生は、こうしていた」

それが自分を助ける。


人の手術を見に来る人間には、チャンスが訪れる

これは、ある意味では当たり前のことだと思う。

人の手術を見に来る。

手術後に質問する。

次の症例について考えている。

学会に行く。

論文を書く。

手術を振り返る。

そういう人間を、上司は見ている。

ずっと見ている。

本人が思っている以上に。

「こいつは、本気で上手くなりたいんだな」

そう思われる。

そして、あるときチャンスが来る。

「次、やってみるか」

「この症例、任せてみようか」

「学会で発表してみないか」

チャンスは、突然降ってくるように見える。

でも、実際には違う。

それまでに積み重ねてきたものがあるから、その人にチャンスが回ってくる。

何もしていない人に、いきなり大きなチャンスが来ることは少ない。

少なくとも私は、そう思う。


サボっていたら、見ている人は見ている

少し厳しいことを言えば。

サボっている人も、見られている。

もちろん、若い人にもプライベートはある。

恋愛もある。

友人との時間もある。

遊ぶことだって大切だ。

それを否定するつもりはまったくない。

ただ、何かを得ようと思うなら、何かを差し出さなければならない時期もある。

専攻医の時期。

若手の時期。

まだ自分に大きな実績がない時期。

その時期に、

「今日はいいか」

「別に自分の症例じゃないし」

「学会は面倒だから行かない」

「論文なんて誰かが書くだろう」

そうやって、少しずつ楽な方へ流れていく。

その差は、最初はほとんど見えない。

でも、5年後。

10年後。

驚くほど大きな差になる。



耐えたものしか、得られないものがある

少し乱暴な言葉かもしれない。

でも、私はそう思う。

耐えたものしか、得られないものがある。

眠い日もある。

疲れている日もある。

うまくいかない手術もある。

論文を書いても、リジェクトされる。

学会に行っても、自分の発表は散々かもしれない。

それでも続ける。

手術を振り返る。

人の手術を見る。

文献を読む。

論文を書く。

また次の学会に行く。

そのすべてが、すぐに結果になるわけではない。

むしろ、ほとんどは何も起こらない。

でも。

10年後に振り返ったとき、気づく。

あのとき無駄だと思っていた時間が、無駄ではなかったと。



若い、油が乗った時期に何をしたか

結局、そこなのだと思う。

若い時期に何をしたか。

少し仕事ができるようになったとき、そこで満足したのか。

それとも、さらに上を見たのか。

人より少し多く手術をしたこと。

人より少し多く手術を見たこと。

学会に行ったこと。

論文を書いたこと。

失敗した手術を何度も振り返ったこと。

すべてが今の自分を作っている。

症例数だけではない。

肩書きだけでもない。

自分がその時代に、どれだけ必死だったか。

そして。

何を学び、何を自分の中に残したか。

それが、後になって大きな財産になる。



今の時代、「身を捧げるように働く」という言葉は、受け入れられないかもしれない。

それでも私は、若い時期に一度くらい、

何かに夢中になって、自分の時間を惜しまず、圧倒的に打ち込む経験

があってもいいと思っている。

全員が同じ生き方をする必要はない。

でも、自分が何かになりたいのなら。

自分にしかできないものを作りたいのなら。

どこかの時期で、少し無茶をする必要があるのかもしれない。

あの時期に、何をしたか。

何を残したか。

おそらく人生の後半になっても、人はそこを振り返る。

そして私は、少なくとも、

あのとき、もっとやっておけばよかった。

そういう後悔だけは、したくない。

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