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【短編小説】 蜜柑と泣きぼくろ

快速列車はゆっくりと、
トンネルへ差しかかろうとしている。

太陽の光が閉ざされ、
暗闇の中に、LED電球の灯りだけが
浮かび上がってくる。

わたしはその眩しさに目を閉じた。
直線的なその光は、暗闇の中では暴力となる。

シャツのボタンを締め直し、
やがて心地よい揺れにうつらうつらする。

……いつの間にか、
眠ってしまっていたみたい。
目を覚ますと、まだトンネルの中だった。

長いこと眠っていたと感じたけれど、
一瞬だったのかもしれない。

「隣、いいでしょうか?」

声をかけられて、身体がビクッとする。
驚いたことに戸惑って、
反射的にちょっとムッとしてしまう。

寝起きに、急に声をかけるの、
背中から「わっ!」てするのと、同じじゃない?

見ると、一人の男性だった。
和風の合わせにトレンチコート。
変わってるけれど、妙に似合っている。

わたしより若いような気もするけれど
落ち着きはらった雰囲気のせいか、
歳上にも見える。目尻に泣きぼくろ。

新手のナンパかしら?
いやだわ、間に合ってます。

「……他に席、空いてますよ?」

そう返した。
車内は二人席が向かい合って、
四人席のように配置されている。

車両に、他の乗客は居ないし、
わざわざわたしと相席しなくてもいいでしょ?

列車はごうごうと、トンネルを進んでいく。

男は答えず、斜め向かいの席に座った。
片方の膝だけが、触れ合いそうになる。

わたしはぷいと横を向いた。
彼は涼しい顔で、
スマホを取り出し、目を滑らせている。

なんとなく、気になってしまう。

わたしは目線を移し、
ロンシャンの鞄から、蜜柑を取り出し剥いた。

香りが車内に弾ける。
ひと房自分の口に放り込むと、
爽やかな甘さが、口いっぱいに広がる。

男は驚いたようにわたしの顔を見つめ、
それからぷっと吹き出した。

「蜜柑、お好きなんですね」
「だめですか?」

馬鹿にしてるのかしら。
まだ笑っている。肩が揺れてるもん。

「いいえ、ちっとも」

わたしは無意識に、
「召し上がります?」と口に出していた。

「いや、大丈夫です」

わたしの表情を読み取ったのか、
彼は慌てて
「すみません。今は、いただけないんです」

お気遣いありがとうございます。
と言って、またスマホに目を移した。

断られたけれど、嫌な気持ちはしなかった。

蜜柑の皮をゴミ袋に包んで、鞄にしまう。
立ち上がろうとすると、

「立ち上がっては、ダメです」と言う。

「どうしてですか?」
わたしは首を傾げた。
お手洗いに行きたいだけよ。

彼は、泣きぼくろを穏やかに下げた。

「会いたいのでしょう?」



意味を、聞き返す時間はなかった。

ふっと、車内の灯りが消えてしまったからだ。
ぼんやりと、薄い影が見える。

さっきの男かしら?
それにしては、やけに影が小さい。

蜜柑の香りがする。
あの子の、好きだった蜜柑。

小さな手のひらが、
わたしの手を包んだように感じた。

柔らかい手のひら……!

小さな影は、
大きな影に手を引かれていく。

子ども用のシャツと、トレンチコートの袖。
手を繋いで遠ざかっていく。

「……!」

名前を呼ぼうとしたその時、
急に視界が真っ白になった。

快速列車はトンネルを抜けていた。
窓の外が眩しい。

影も、男も消えてしまった。

ふと気づくと、膝の上に蜜柑がひとつ、
乗っていた。

「あの子を、お願いします」

わたしは皮を剥いた。
蜜柑の汁が目に沁みたけれど、
トンネルの先は、晴れていた。






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