「もういっかい」は、いちばん短い感想文。
「もういっかい」
絵本『ドーナツペンタくん』を読み終えると、四歳の娘はすぐに言った。
最近の娘のお気に入りで、毎日のように読んでいる。
一度読み終えて表紙を閉じても、娘の中では、まだお話が終わっていないらしい。
「今日も読むの?」
そう笑いながら、私はもう一度、同じ表紙をひらく。
同じ絵本を何度も読む娘に、「どこが好きなの?」と聞いてみたこともある。
けれど、うまく答えられるときばかりではない。
絵が好きなのか。
お話が面白いのか。
ペンタくんが気になるのか。
娘自身にも、まだ説明できないのかもしれない。
それでも、また読んでほしいことだけは、まっすぐに伝わってくる。
先日、娘とプールへ行った。
すると娘は、絵本の中で見たことを、楽しそうにまねしはじめた。
「あっ、ペンタくんのまね?」
私が気づくと、娘はうれしそうに笑った。
その姿を見て、絵本を閉じているあいだも、娘の中では物語が続いていたのだと気づいた。
お話の中で見つけたものを、今度は自分の体でやってみる。
物語を、現実の遊びへ連れてくる。
それはきっと、娘なりの感想なのだ。
「感想文」と聞くと、きちんとした文章を書かなければならない気がする。
どこが心に残ったのか。
どうしてそう思ったのか。
読む前とあとで、どんな変化があったのか。
私も誰かの作品について書くときには、できるだけ魅力を取りこぼさないように、言葉を探す。
「面白かった」だけでは足りない気がして、もう一歩深いことを書こうとする。
けれど、感想は最初から文章の形をしているわけではないのかもしれない。
もう一度、本をひらくこと。
誰かにも読んでほしいと思うこと。
心に残った場面を、ふとまねしてみること。
読み終わってからも、ときどき思い出すこと。
そうした小さな反応もすべて、本とその人のあいだに生まれた感想なのだと思う。
司書として働いていると、たくさんの本が借りられ、そして返されていく。
何回借りられたかは、数字として残る。
けれど、その本が誰かの枕元に何晩置かれていたのかは、わからない。
どの場面で笑ったのか。
読んだあと、どんな遊びが生まれたのか。
悲しい日に、少しだけ心を軽くしてくれたのか。
そんなことは、貸出記録には残らない。
それでも、本は見えないところで誰かの暮らしに入り、その人の中に何かを残している。
感想文とは、その見えないものに、少しだけ形を与えることなのかもしれない。
だから、感想文を書くのが苦手な人にも伝えたい。
立派なことを書かなくてもいい。
「ここが好きだった」
「よくわからなかった」
「もう一度読みたい」
そのひとことから始めていい。
感想文は、本を正しく説明するための文章ではない。
一冊の本と出会ったあと、自分の中で何が起きたのかを残すものなのだから。
今夜もきっと、娘は同じ絵本を持ってくる。
私は少し笑いながら、その表紙をひらくだろう。
「もういっかい」
それは、いちばん短くて、いちばんまっすぐな感想文だ。
あとがき
花邑 灯火さん主催「灯火杯7th 2026 Summer」のテーマ「感想文」から、四歳の娘が見せてくれた、文章にならない感想について綴りました。
誰かの中で物語が続いていること。
それは、本をつくった人へ送られる、小さなエールなのかもしれません。
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