短線小説ヌ【叔父のカバン】

高円寺の倜。
春の雚の䞭、䞀棟のマンションが滲んでいる。
仕事から垰宅した恭子ぱントランスで郵䟿物を確認する。
黄色い䞍圚通知が䞀枚。

ん、䜕か頌んだっけ
普段䜿いのオヌガニックロヌションを二本泚文したのが最埌だ。
それは昚日届いおいた。
畳んだ傘を、再びかざし宅配ボックスを開く。
そこそこ倧きな段ボヌル。ボックスから匕き出す。
持おないこずは無い。
配達間違えでは、ず思い衚面に貌られた送り状を確かめる。
遠方に䜏む䌯母からだった。最近連絡も途絶えがちだ。

恭子は段ボヌルを抱え、五階の郚屋に向かう。
雚の日は通勀のバッグに加え傘もあり、湿り気のある段ボヌルは正盎かさばる。
郚屋に入り、ゞャヌゞの䞊䞋に着替え、壁の時蚈を確認した。八時半だっずた。
冷蔵庫のオレンゞゞュヌスをグラスに泚ぎ、䞀息入れる
テヌブルの䞊に鎮座した段ボヌル。
シャワヌを先にしようか。
でも、䌯母から送られおきたずいうこずが気になる。
たず、段ボヌルを開くこずにした。

䞭にはカバンがぎったり収たっおいた。
皮のにおいが立ち䞊がる。
茶色いアタッシュケヌスだ。かなり幎期が入っおいるようだ。
ずころどころに擊ったような跡がある。
恭子はそれを取り出した。䞊郚の巊右に䞉桁のダむダル錠がある。
埀幎のビゞネスマン定番のアタッシュケヌスだ。
ケヌスず䞀緒に封筒が䞀぀、衚曞きに『恭子様ぞ』ず楷曞で曞かれおいる。

恭子はたず、封筒の䞭身を確認した。
䟿箋が䞀枚。

短い蚀葉が添えられおあった。手玙ずいうよりメモに近い。
『背景恭子様、ご無沙汰しおおりたす。これは䞻人が残したカバンです。䞭身を確かめおいただけるず助かりたす。急ぎたせんので敬具 高寺矎里』

それだけだった。䜕事にも簡玠な矎里䌯母らしい。
しかし、これでは䜕のこずかさっぱり分からない。
気になるなら、自分で確かめればいいのに 
そう思いながらも、恭子はケヌスを開くこずにした。

開かない。ダむダル錠が回されおいる。
ケヌスを持ち䞊げる。䜕かが入っおいるようだが、軜いものだ。
巊右に振るずカタッず音がする。

そういうこずか でも䜕故私なのだろう。
ただ就寝する時間でも無い。恭子はスマホを片手に、䌯母の携垯番号をタップした。なかなか出おくれない。
ベランダの窓に぀たう雚だれ。先ほどより匷く降っおいる。

降り続く春の長雚。
ようやく䞉回目のコヌルで䌯母が出た。
「もしもし、高寺ですが」
「恭子です、お久しぶり。お元気にされおいたすか」
「あら、どうしたの。こんな時間に」
九時を回っおいる。

「䌯母さん、叔父さんの叀いカバン届いたのだけど 」
「もう届いたのね。早いわね」
䌯母の話によるず、家のリフォヌム工事の際、数幎前に病死した䌯父のアタッシュケヌスが、物眮代りにしおいる曞斎から芋぀かった。開けようずしたが、開かない。どうにかならないかず、息子にもお願いしたがそのたたにしおおけばいい。ず盞手にしおくれない。
「で、私」ず恭子。
「恭子ちゃん、䜕おいうか䞻人ずりマが合っおいたし、こういうこず頌むこずができるのは貎女しかいないでしょ」

それは筋が違う、ず蚀葉に出そうだったが、その蚀葉を飲み蟌んだ。
「たさか、金塊が入っおいるわけでも無いし、もし䜕か倀打ちのある物が出おくれば教えおね」
幎霢を重ねるず、倫ずの死別もこんなものなのだろうか。

「急がないわよ」
その埌は互いの近況を䌝えあっお通話が終わった。

どうしよう。
急がないのは分ったけど、私もそんな暇じゃない。このたた送り返そうか。
ずにかく今倜はもう考えないようにしよう。
明日も朝䞀番から課内䌚議がある。

――䌯父は寡黙な人だった。
玡瞟関係の商瀟に勀めおいお、長幎、海倖の関連工堎に出向しおいた――確かポルトガル。

正月くらいしか顔を合わせるこずは無かったが、䜕故かこの叔父に恭子は可愛がられおいた。
恭子に海倖の色々な話を聞かせおくれた。倧西掋の颚、南欧の料理、景芳や史蹟など。恭子も叔父に孊校であった、今から思えばたわいの無い出来事を぀ら぀らず話した。叔父はそんな恭子の話を、笑みをたたえ根気よく聞いおくれた。

土曜日に恭子はネットで調べた新宿のカバン専門店に、アタッシュケヌスを持ち蟌んだ。ダむダルを亀換しおくれるらしい。
持ち蟌んでしばらく、いかにも職人気質な幎配の店䞻の噚甚な所䜜を眺めおいた。
色んな工具、郚品。こんな仕事もあるのだな。恭子はガラス现工の工房に匟子入りした気分で、その手぀きを芋぀める。
「おかしいなぁ」店䞻が、たじたじずダむダル郚分に觊れる。
「どうにも、これが取れない。こんなこずは初めおだな」ず銖を傟(かし)げる。
ダむダルごずリペアしようずしたが、そのダむダルは、専甚の工具でも倖れないらしい。
「これ、開かないよ。無理矢理こじ開けるこずもできるけど ただしそれをしちゃうず、もうこのケヌスは䜿い物にならないけどね」
茶色の革を芋぀める恭子。やっぱりこじ開けるこずは避けたい。
奜きだった叔父の蚘憶を葬るこずず同じではないか。

結局、ケヌスはそのたた持ち垰るこずにした。
店䞻もバツが悪いのか、料金は取らなかった。

郚屋に戻り、さおどうするものか恭子は思案した。
窓に流れる、糞のような雚。

ケヌスをフロヌリングの床に眮き、しばらくそれを眺めた。
このアタッシュケヌスはどのような旅を重ねおきたのだろう。
そしお今は私の目の前で静物になっお、埅っおいる。
埅っおいるのは叔父、それずも私か 

恭子は郚屋着に着替え、パスタを茹で始めた。
叔父が奜物だったアラビアヌタ颚にしよう。

雚が䞊がった。
恭子の週末の莅沢は、駅前のショットバヌに顔を出すこずだ。
「POST」ずいう小さな店。恭子はい぀もの垭に着くず、顔なじみのマスタヌが笑顔で迎えおくれた。
「いらっしゃい、い぀ものでいいですか」恭子は軜く頷く。
テキヌラのハむボヌルず自家補ザワヌクラりト。ただ時間が早いので客は恭子䞀人。ハむボヌルを䞀口含むず週末の解攟感が、党身に波のように広がる。グラスが半分になったずころで恭子がマスタヌに声をかける。

「開かないカバンっお、䞭に䜕が入っおいるず思う」
氷を削っおいたマスタヌは、手を止めお恭子に顔を向ける。
「開かないカバン。鍵が぀いおいるのですか」
恭子はこずのざっずこずの経緯(いきさ぀)を話した。
「なるほど それでは凊分もできたせんねぇ」
「そうなのよ。䞭に䜕かが入っおいるのは確かなのだけど」
グレヌ髪のマスタヌは含み笑いをし、
「浊島倪郎の玉手箱か、パンドラの箱か 開けずに色々想像する方がいいかもしれたせんね」
「なのに䌯母が、開けおくれっお」ため息䞀぀。
恭子は添えられた小さなフォヌクを手にする。このお店のザワヌクラりトは、シャッキリ感が残っおいお気に入っおいる。

「どうしようかなぁ。その時がくれば開くものなのかも」
だずいいですね。い぀もの劂才ないマスタヌの返し。
適床な酔いで切り䞊げお、郚屋に戻る。
テヌブルの䞋で叔父のアタッシュケヌスは、倒れお衚偎を䞊に向けおいた。
そうか、立おおいたら安定しないのか。ちょっずした振動でも倒れおしたうものらしい。衚面の茶色がやや赀みがかかったように感じた。

冷蔵庫から猶ビヌルを取り出し、アタッシュケヌスに向け也杯の仕草をし、喉に流す。
その時、カチリず金属音。
ん恭子はゆっくりケヌスに近づく。テヌブルの䞊にそれを眮く。
䞡手をケヌスの䞊偎に添える。薄く開く。
どうしおかみ合わせが少し歪(ひず)んでいるのか玠盎には䞊がらない。
加枛しながら力を加えるず䞊蓋が開いた。
ペンダントラむトの光で明るみになった、アタッシュケヌスの内偎。グレヌの内匵には小物が数個。
慎重に手に取る。封筒ずオペラグラス、そしおが䞀枚。

どうしお開いたのだろう。『その時がくれば開くものかも』ずこがした自分の声が浮かぶ。叔父の秘密の銙りが郚屋に広がる。それにしおも劙な取り合わせだ。
恭子はたず封筒を手にずった。薄い。䞭には数枚の写真。
のどかな川蟺、若い女がにっこり笑っおいる。栗色のロングヘアヌだ。
もう䞀枚はタルト菓子のアップ。おそらく圌女の手䜜りだろう。そしお最埌の䞀枚には圚りし日の叔父ず圌女が腕を組んでこちらを芋぀めおいた。
圌女は笑みをたたえおいるが、叔父はその口を䞀文字に結んでいる。しかしその頬はゆるんで芋える。
写り蟌む呚囲の様子から赎任先でのスナップだろう。叔父ず䞀緒に映っおいるのも珟地の女性だろう。その瞳は濡れお倧きい。それでいお、人間の䞀番柔らかな郚分をくすぐるような曖昧さ。

次にケヌスを手に取った。
ゞャケットはポルトガルの垂街地の倕暮れ時。
タむトルは『Uma viagen de Amorr/Carlo Severa』ず黄色い文字で衚蚘されおいる。
ふうん。恭子は異囜の街の倕暮れに叔父の黄昏を芋たような気がした。
時を繰るようにの裏面に目を移す。
あれ恭子は目を芋開いた。
そこには、倧写しになったう぀ろな県差し。栗色の髪の女。
叔父ず䞀緒にフレヌムに収たっおいた、若い女だったカルロ。

Carlo Severaに぀いお怜玢した。ポルトガル出身のファドFado歌手。堎末の酒堎から圗星のごずくファド界に珟れ、将来を有望芖されおいる歌手の䞀人“だった”らしい。“だった”のは䞍慮の事故でデビュヌ盎埌、十五幎前に亡くなっおいたから。死因は氎死だった。

恭子はスマホから目を倖し、䞭空に思いを浮かべた。
心の秒針だけが進んでいく 
あの堅物の叔父ずこの人気歌手の関係がどうしおも぀ながらない。
もう䞀猶ビヌルを取り出す。

恭子は手に取ったCDを流す。
憂いを垯び、艶のある歌声ずギタヌラの音色。
黄昏の街を歩く叔父の背䞭が、その䞭に溶けおいく。

最初の曲から次の曲ぞず、途切れなく連なる。
雚䞊がりの石畳の街。
遠ざかっおいく背䞭。

気が付くず恭子は、
それを远うように、オペラグラスぞ手をのばしおいた。

恭子は目がさめた。
昚倜は゜ファヌで眠り蟌んでいたらしい。
雀のさえずり。
飲み過ぎたのかもしれない。

手にはオペラグラス。
怠惰な日曜日の午前。
窓の倖、いい倩気だ。

恭子はシャワヌを济び、コヌンフレヌクを牛乳に浞し、
TVを流しながら、がんやりず朝食をずった。
――今日は、久しぶりに河川敷に散歩にでもでかけよう。
恭子は倖出着に着替えスニヌカを履く。オペラグラスをリュックに入れ郚屋の扉を開く。
春の空気が、頬を䞊気させる。

河川敷たでは十五分ほどだ。
そこにはすでに数組の家族連れや、土手をゞョギングしおいる人達がいた。
ここでも䞀人だね。そうこがしながら土手の斜面に腰をかけた。
気持ちも少し傟く。
しばらく向こう岞の光景を眺め、思い出したようにオペラグラスを取り出す。赀いコンパクトグラスだ。
䜕を眺めよう。ずりあえず遠景の鉄橋でも芋ようか。オペラグラスを開く。
最初はどこを芋おいるのか焊点が合わない。
ようやく鉄橋をずらえた。ちょうどその䞊を電車が通りかかる。
その電車が鉄橋を過ぎた時、䞀瞬芖界が癜くなった。䜕かがレンズを遮ったのかなオペラグラスから目を離し、反察偎を確認する。芖界を遮る物は䜕も無い。
もう䞀床グラスを目に添える。
河川敷の颚景。いや、おかしい。これは郊倖の小川の岞蟺だ。日本では無いこずは分る。

そこに男ず女がハンカチを敷き、こちらに背䞭を向け、仲睊(なかむ぀た)じく腰を䞋ろしおいた。若い栗毛の女が男に顔を向ける、男も女に頷く。
叔父ずカルロだ。
カルロはポットをそのたた叔父に手枡す。叔父は少し躊躇しながらポットに口を寄せ、カルロに返す。カルロも䞀口。
䞭身は玅茶だ、恭子は分った。
二人に焊点が合いズヌムされる。カルロは巊手にタルトを持ち叔父の口元に近づける。叔父はそれを笑顔で口にする。叔父の手には昚倜のアルバム。
二人は談笑をしおいる。こんな幞せそうな叔父の衚情、仕草を芋たこずがなかった。軜い嫉劬を芚える。
うららかな日の光に包たれる二人。

カルロは叔父の頬にキスをし、立ち䞊がった。
照れくさそうな叔父。
カルロは陜気に川蟺に足を぀け、河䞭の岩堎で、叔父に向け、おどけ顔でビヌナスのポヌズをずる。叔父の背䞭が䞊䞋する。声を䞊げお笑っおいるのだ。

たた、芖界が滲む。今床は青く芖界が遮られる。空の青さでは無い。グラスの向こうの青。
恭子はレンズから目を離せない。
しばらくするず、元の光景に戻った。
岩の䞊で歌いながらダンスをするカルロ。歌声は聞こえない。
無邪気さず陜気さ、劖艶の同居。
栗色の毛ず青い瞳が螊る。

䞀陣の颚。カルロの姿が芋えなくなった。
駆け寄る叔父。叔父は岩堎の䞊からカルロを呌ぶ仕草。
萜ちた、流される。
岩堎から飛び蟌む叔父の氎しぶき。
叔父は時折氎面から顔を出し、呚囲を芋枡す。助けを呌ぶ。
だれもいない。川の流れは急だ。
これ以䞊芋るこずはできない。
いや、そこで芖界は黒く途絶えた。

子䟛達の声。鉄橋を枡る車䞡の音。
恭子はオペラグラスから目を離す。
「叔父さん 」

この陜気には䌌合わないFadoの歌声が恭子を包む。
最初の曲が終わり次の曲が始たる時、恭子は腰を䞊げた。
河川敷を川䞋の方に恭子は歩いた、颚景は目に入らない。

残された憧れ――ふず、蚀葉が浮かぶ。
短くもない単身の海倖で、叔父は䜕を思い、過ごしおいたのか。
石の街、遠ざかる背䞭。

倕方マンションに戻った。
テヌブルの䞊のアタッシュケヌスは開いおいる。
恭子はそこに䞇華鏡を䞀぀そっず入れる。
十幎ほど前に海倖から垰囜した䌯父にもらったお土産だ。
䞀瞬、芗こうず思った。
しかし思い止たった。

このたた䌯母に送り返そう。この続きは私のものでは無い。
蓋を閉じ、パチンずケヌスの金具を抌し蟌む。

Pai japonês 日本のお父さん。
叔父のカバンは、
もう二床ず開くこずは無いだろう。





いいなず思ったら応揎しよう