目覚めた瞬間に夢が消える理由:よつぎちゃんの夢講座
「夢は、さだに知られぬものかな。まことにありしことの、なほ心に残りて、目覚めてもいとあはれなるものなり。いはむや、うつつとも夢ともわかぬこと、さてもありなん。」
(清少納言『枕草子』)
夢とは、ほんとうに不思議で知りがたいものだ。まことにある出来事が、心に残って、目覚めてもなんともしみじみとした気持ちになる。ましてや、現か夢か区別のつかぬことが、ままあるものだ。
薄暗い部屋の中、私はベッドに座って膝を抱えていた。窓から差し込む明かりが、ぼんやりとした私の顔を照らしている。さっきまで見ていた夢のキラキラした余韻が、まだ胸の奥に残っていて、でもそれがスルスルと消えていく感じに、なんだか寂しくなる。
夢から覚めたばかりの私は、まるで現実と夢の狭間に漂っているみたいだ。私のとなりには、よつぎちゃんが扇情的なポージングで横たわっていて、いつもの無表情に近い顔で私を見つめている。……少しの沈黙の後、よつぎちゃんが口を開いた。

「ねえ、撫公。前に話した夢の話、覚えてる? 僕が教えた『夢を見るコツ』。で、今回はその続き。お前が気にしてた『夢の記憶や余韻が、目覚めた瞬間に消えちゃう理由』について、ちゃんと話してあげるよ。長い話になるけど、いいよね?」
私はベッドの上で少し身を乗り出して、よつぎちゃんの言葉に耳を傾けた。夢の話、いつも不思議で、でもよつぎちゃんの話はなんだかスッキリさせてくれるから好きだ。
「うん、よつぎちゃん。ありがとう。私、ほんと不思議で……。夢の中って、すっごく楽しくて、自由で、なんていうか、全部がキラキラしてるのに、目が覚めると全部消えちゃって、なんか……つまんない世界に戻ったみたいで、寂しくなるんだよね。その理由、ちゃんと知りたいな。」
よつぎちゃんの話は、いつもちょっと難しいけど、ちゃんと聞いてると頭の中でパズルがカチッとはまる感じがする。彼女の声は静かだけど、どこか引き込まれる力があって、私は膝を抱えたまま、じっと耳を傾けた。
「ふむ。じゃあ、順番に話していくよ。まず、夢の話から。レム睡眠のとき、どこか知らない場所を自動的に進行していく。親しい誰かといるんだけど、その誰かが誰だかハッキリしない。考えたことないようなアイデアが、でも妙に納得できちゃう。そんな感じ、わかるよね?」
よつぎちゃんの言葉に、私は思わず頷いた。夢の中のあの不思議な感じ、ほんとにそうだ! 心が弾むような、でもどこか掴みどころのない感覚。
「うん、わかる! 私、夢の中で変な街とか、知ってるはずなのに知らない場所が自動的に進行して、誰かと話してるんだけど、顔はぼやっとしてるの。でも、すっごく楽しかったり、なんか新しいこと思いついたりして……ほんと、極楽って感じ!」
よつぎちゃんは私の言葉に小さく頷いて、話を続けた。彼女の無表情な顔が、なんだか少し優しく見える気がした。
「そう、まさにそれ。レム睡眠って、海馬と扁桃体がフル回転してるけど、前頭葉の抑制が効いてない状態なんだ。普段、僕たちが『現実』って呼んでる世界じゃ、前頭葉がガチガチに予測とか計画とかで管理してる。でも、夢の中じゃその縛りがゆるゆるだから、自由で、予測不可能で、極楽みたいな状態になるわけ。で、問題はここから。目覚めるとき、瞼を開けるか開けないかのその瞬間、なんかイヤな予感するよね? 全部消えちゃう、つまらない記憶に置き換わる、みたいな。」
その言葉に、私はハッとした。よつぎちゃん、ほんとその通り! 夢から覚める瞬間、いつも「あ、消えちゃう!」って焦るんだよね。
「そうそう! それ! 目覚める直前、なんか『あ、ダメ、消えちゃう!』って焦るの。で、ほんとに目を開けたら、全部なくなってて……なんか、すっごくがっかりする。なんでなの、よつぎちゃん?」
私は少し声を大きくして、よつぎちゃんに問いかけた。彼女は私の質問に、いつもの落ち着いた調子で答えてくれる。
「目覚めると前頭葉がバッチリ動き出すからだよ。前頭葉ってのは『予測可能』って枠組みが大好き。現実って、予測できることやルールで動いてるから、事故をおこすことなく対処できる。でも、夢のあの自由で予測不可能な世界は、前頭葉からしたら『なかったことにしたい』んだよ。だから、目覚めた瞬間に、夢のキラキラした余韻を押し込めて、つまらない記憶に置き換えちゃう。お前が言う『つまんない世界に戻った』って感覚は、まさにそれさ。」
よつぎちゃんの説明に、私は少し眉を寄せた。なんだか、夢の中の自由な私が、現実に閉じ込められちゃうみたいで、ちょっと悲しい気持ちになる。
「うーん、そっか……。なんか、夢の中の私がすっごく自由なのに、目覚めたらカッチリした枠にはめられちゃう感じ? それで、夢の楽しさが消えちゃうんだ……。なんか、荘子が胡蝶の夢で自由だったのに、目覚めたら『うわ、現実つまんね』って嘆いた話みたいだね。」
私はふと、昔読んだ本の話を思い出した。よつぎちゃんは私の例えに、ちょっとだけ口角を上げたような気がした。
「いい例えだね。まさに荘子の心境。自由な夢の世界を堪能した後、現実に戻るとそのギャップにガッカリする。で、そこで友人に『自然に生きればいいよ』なんて言われたら、ムカつくだけだよね?」
その言葉に、私は思わず笑っちゃった。
「うん、めっちゃムカつく! だって、夢のあのキラキラした感じをもう一回味わいたいのに、現実はなんか……退屈っていうか、決まりきった感じで。どうしてこんな風になっちゃうの?」
私は少しムキになって、よつぎちゃんに問いかけた。彼女は私の勢いに少しも動じず、静かに話を続ける。
「レム睡眠の状態って、前頭葉の抑制がないから、海馬と扁桃体が自由に暴れまわれる。でも、覚醒すると前頭葉が『はい、おわりですよ!』って動き出す。で、現実ってのは予測可能性に縛られてるから、夢の予測不可能性が消されちゃうんだ。実は、これって、それなりに大事な仕組みでもある。だって、夢のまま突っ走ったら、転倒したり、変な行動して大怪我するかもしれないからさ。予測可能性のおかげで、僕たちは安全に日常生活がおくれるんだ。」
私は少し考えて、頷いた。
確かに、夢のままフラフラしてたら、危ないよね。でも……。
「ふーん、そっか。確かに、夢のまま動いたら、変なことしちゃいそうだもんね。でもさ、よつぎちゃん、なんかその『予測可能性』って、すっごく退屈に感じるんだよね。毎日同じことの繰り返しみたいで……。もっとドキドキする何かが、欲しいな。」
私は胸のモヤモヤを言葉にしてみた。よつぎちゃんは私の言葉に、静かに頷いた。
「わかるよ。その『退屈』って感覚、実は予測可能性の副作用なんだ。で、面白いことに、人間って退屈を避けようとして、予測不可能性を求めちゃう矛盾した生き物でもある。けど、予測不可能性ってストレスホルモンを大量に発生させるんだ。だって、未来も過去も、科学的には『今』しかないのに、頭の中で『こうなるかも』『こうだったら』ってメンタルトラベルしちゃうとキリがないからね。で、予測できないことを無理に予測しようとするから、ストレスの悪循環がはじまって、まさに地獄の門が開く。これが、仏教でいう『一切皆苦』ってやつだね。」
よつぎちゃんの言葉に、私はちょっとドキッとした。なんか、深い話になってきた……。
「うわ、なんか深い……。確かに『こうなったらどうしよう』って考えすぎちゃうこと、あるかも。で、考えすぎて疲れちゃう。夢の中だとそんなのなくて、ただ楽しいのに……。よつぎちゃん、これってどうしたらいいの?」
私は少し不安そうに、よつぎちゃんに目を向けた。彼女は私の視線を受け止めて、話を続けた。

「ふむ、ここからがお前にとって大事な話だよ。お前、作家として創作してるよね? 実は、作家にとってレム睡眠のあの自由な状態って、めっちゃ大事なんだ。」
作家としての私? 私は少しドキドキしながら、よつぎちゃんの言葉を待った。
「うん、作家として? どういうこと?」
「いい? さっき話した前頭葉の予測可能性、これと最悪に相性が悪いのが『商業主義』って考えだよ。この場合の商業主義は、『自分の利益を予測して追求すれば、私も他人も社会もみんな幸せになれる』みたいな考え方。で、これにハマると、頭の中で『売れるもの』『成功するもの』『みんなに喜ばれるもの』ばっかり考えるようになる。で、読者のばあい、彼らの頭の中だけの創作理論とか成功理論とか、検証しようもないルールを作って、それを他人に押し付けるようになるんだ。」
よつぎちゃんの言葉に、私はハッとした。なんか、グサッと刺さる……。
「うっ、なんか……心当たりあるかも。私、漫画描くとき、つい『これ流行るかな』とか『読者にウケるかな』って考えちゃうこと、あるもん。で、考えすぎて、なんか自分の描きたいもの忘れちゃうときあるよ……。」
私は少し恥ずかしそうに、ポツリと本音を漏らした。
みんな複雑なことより、単純化されたもののほうが好きなんだよね?
「ねえ、よつぎちゃん。前頭葉ってさ、複雑なこと嫌いなのかな? ほら、よつぎちゃん言ったよね、前頭葉は予測不可能なものを無理やり単純にしようとするって。単純な考えって他の人と共有しやすくなって、議論したり楽しんだりできるよね?」
よつぎちゃんは私の言葉に、静かに頷いた。
「そうだね。読者や編集者は単純化された議論を好む。「こうしなかったから売れなかった」とか「この展開が王道だ」とかね。そういう話は共有しやすいし、盛り上がる。でも、撫公、お前はもう読者じゃいられないよね?」
私は少し胸がズキッとした。
「読者は作品を消費して、単純な議論で盛り上がれる立場だ。でも、作家は違う。レム睡眠の夢みたいに、複雑で、言語化しにくい、不思議ななにか。それをカタチにできないかと試行錯誤するのが作家の仕事だ。」
最近、漫画を描いてても、なんだか楽しくないときが増えてた。よつぎちゃんの言う通り、売れることばっかり考えて、自分の描きたいものを忘れてたのかも……。
「うーん、そっか……。私、確かに最近、描いてても『これでいいのかな』って悩みすぎて、楽しくなくなるときあるんだよね。夢の中みたいな、自由な感じで描きたいのに……。よつぎちゃん、作家としてどうしたらいいと思う?」
私は真剣に、よつぎちゃんに尋ねた。彼女は私の目をじっと見て、答えてくれた。
「簡単だよ。レム睡眠の自由な状態を、もっと意識して活用するんだ。夢の中で感じるキラキラした発想、予測不可能なアイデア、つたない言葉でもいいからそれを書き出して集めていくんだ。そうしていくうちに、レム睡眠から覚醒した後も、その余韻をすこしだけ前頭葉が待ってくれるようになる」
よつぎちゃんの言葉に、私はパッと目が開くような気がした。
「そっか、メモったりスケッチしたり……。私、夢から覚めたとき、すぐ忘れちゃうから、ベッドの横にノート置いてみる! それで、自由な気持ちで描くの、試してみたいな。」
私は少し興奮して、ベッドの上で身を乗り出した。よつぎちゃんは私の反応に、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。

「ま、いろいろややこしいこと、言ったけどさ。単純な言葉を、お前に贈るよ。『千と千尋の神隠し』で、リンが千尋に言ったセリフ、覚えてる? 『食って寝りゃ元気になるさ』。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、レム睡眠をフル活用して、お前のキラキラした世界をいっぱい描けばいいよ。」
よつぎちゃんの言葉に、私は思わず笑顔になった。なんか、元気が出てきた!
「うふふ、よつぎちゃん、なんかカッコイイ。 うん! 私、ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、夢のキラキラを漫画にいっぱい詰め込むよ! よつぎちゃん、ありがと!」
「どういたしまして。」
よつぎちゃんはそう言って、静かに部屋の隅から消えた。私はベッドの横にノートを置く準備をしながら、なんだか心が軽くなった気がした。月明かりが部屋を優しく照らす中、私は新しい漫画のアイデアを、ちょっとだけ夢見てみることにした。
