期待しないことで、私は何を守っているんだろう
人は心の傷を負うから悲しいのか
悲しいことは傷ついているのか
ふと疑問に思った
悲しいからといって心に傷を感じることもあれば
悲しいけど、まぁ仕方ないなと思うこともある
悲しいと思うためにそもそも
何かを求めていたり期待していたけど
違った何かを心に感じて悲しいと思うのかも
しれないななんてことも思う
傷ついたから悲しいはイコールではないが
悲しいから傷ついたの矢印はあっているかもしれない
「傷ついた」と「悲しい」は私の中では少し違う
傷つくことはあっても悲しいとは限らなくて。
でも、悲しいと感じたときには
その奥に何かしら傷ついている部分があるのかもしれない
じゃぁ何があると人は傷つくんだろう?
どうでもいい人に何かをされたり言われても
悲しいと思うか?
傷はつくことはあるが悲しいと思うわけではないかと思う
傷つくためには、その人や関係に何かしらの価値を
置いている必要があるのでは?
そもそも傷つくためには
ある程度の気持ちや期待のベースがあるのかなぁ
私の中に
悲しみや傷を生まないために
最初から期待値を下げている
これが自己防衛だ
悲しむ気持ちは誰もが嫌のものだとはおもう
その中でも悲しい気持ちにならないために
「人に期待をしない」を
かなりやっている
気づいたのはいつからだろうか
小学生くらいからそうだったかもしれない。
中高と過ごす中で
高校の頃にはもうすでに期待をしないは今と同じレベルだったかもな
なんて思ったり
「期待しない」とか「信じない」とか
寂しくない?って聞かれることが多々ある
確かに寂しいんだろうなと思う
だからいつまで経っても埋まらないものがあるんだなとも
自分でもわかってる
それでも悲しいは感じても
傷をつくことの方が嫌すぎて
自己防衛の方が私にとっては優先なんだろうなと思う
矛盾だよね
期待しないから傷つかない
代わりに
期待しないから満たされもしない
どっちを失う方がいいのかな
いつかは期待しないを覆したくなるようなことがあるのかしら
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