律法主義者と化した社会派クリスチャンの「社会活動」
5月末の日本基督教団兵庫教区総会で、以下の緊急議案・建議が可決されたらしい。
「文部科学省が認定した教育基本法違反に違和感と疑問を公にする件」
https://uccj.org/newaccount/53872.html
「らしい」というのは、実際の声明をネット上では見つけられなかったからだ。
「公にする」とあるのに、AIにも検索にもひっかからないというのはどういうことだろう?
日本基督教団あるある、ではある。
総会での決議、議長声明、委員会声明と、様々な声明が出されるが、その声明がホームページ上にでもアップされればまだいいほうで、議事録や教区通信に載せられておしまい、というものも少なくない。
次々に出される声明について、「あれ、どうなったの?」と、あとで問われることなど、まずない。
社会活動の律法主義化と言える。
別に犠牲を払ってでも、社会を変えたい、問題を解決したい、というわけではないのだ。
大事なのは、「私たちはやってます」という内輪のアピール。
なぜなら、社会派クリスチャンにおいては、活動が信仰の証明だからである。
社会派の牧師、長老、役員にとってみれば、「私はこんなに高い意識をもって、社会活動に取り組んでいる信仰者なのです」と、信徒の前でドヤ顔できれば、それでいいのである。
主イエスの時代の偽善者たちは、施しをする時に会堂や通りでラッパを吹いた。
社会派クリスチャンは、声明を出して自分たちの信仰をアピールするのだ。
声明出して、やってるふり、の人々が圧倒的多数の中で、金井牧師がヒーローになったのも頷ける。
…沖縄の教会の牧師に就任し、20年も抗議船に乗り続けた。
ヤマトンチュでありながら、ウチナンチュのために、体を張って戦い続けた。
金井牧師は、これだけの歴戦の勇士なのに、語り口はソフトでやさしい。
お前たちは偽善者だ、と、厳しく糾弾することはない。
何より、抗議船に乗る金井牧師の姿は絵になる。サマになる…
やってるアピールをしたいだけの人々にとって、こんなに利用しやすい、都合のいい存在はない。
一方の金井牧師にとっては、社会派クリスチャンこそ、口コミをどんどん広め、自分の注目度を高めてくれる、お得意様だ。
こうして、金井牧師と支援者である社会派クリスチャンは、互いにWin-Winの関係を築き上げた。
実情は、そんなところだろうと、私は思う。
世間の批判は、同志社国際高校やヘリ基地反対協議会に向けられていて、日本基督教団に対しては、ぽっかりと空白になっている。
これ幸いと、沈黙してやりすごそうなどと考えているなら、おそろしいことだ。
神の目から見た、信仰上の責任からは、だれも逃れることはできない。
その律法主義的偽善を、主ご自身が問われるときは必ずやってくる。
思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。
人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。
自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。
新約聖書 ガラテヤ人への手紙6章7~8節
