骨はどうせ砂と化して消えるのに
2021年に入ってから「進撃の巨人」にものすごい勢いでハマってしまった。
連載開始して間もない頃から流行っていたこともあってアニメは序盤の数話のみ齧っていたけれど、今年発売される34巻で11年続いた原作が完結するというニュースを見て、改めて1巻から読み始めてみると、気付いた時には最新巻まで読み終えていた。
怒涛の展開や不自然さの無い伏線回収が素晴らしいのはもちろん、作品を通して戦争や教育、人種差別などの社会問題から、「正義とは」「自由とは何か」という大きなテーマに対して考え悩むきっかけになった。漫画を読んでこんなに頭を使った経験が無かった私にとって進撃の巨人はまさに衝撃で、今では四六時中進撃世界について考えている。
そんな進撃の巨人は昨年の12月からアニメのファイナルシーズンの放送がスタートした。私ももちろん毎週楽しみに観ているけれど、アニメの内容と同じくらい印象に残るのは、安藤裕子さんが歌うエンディング曲の「衝撃」。
この「衝撃」の形容しがたい悲しさや虚しさと、進撃の世界にリンクした歌詞に感動して、毎週飛ばさずに聴いている。TVサイズもいいけれどフルバージョンも良い。
この曲を通して進撃への溢れる想いを吐き出そうと思い、久しぶりにnoteを更新する運びとなった。
安藤さんはタイアップ曲を制作する際に「シンクロすること」をいつも意識しているらしく、「衝撃」を制作するにあたっても原作の32巻までを2日間で読破して、脳内が進撃の世界に塗れたような感情のまま苦しみながら曲を書き上げたとラジオで話していた。
確かに、セリフと歌が重なる部分や叫んでいるようなコーラスが入る部分があり、進撃の世界と同様にいろいろな人の感情が交錯しているようなイメージを受けた。それに歌詞は間違いなく進撃とシンクロしているし、進撃の巨人を最近の話まで読み進めた人でないと書けない詞だなあというのが第一印象だった。
特に印象的だった歌詞をいくつか抜粋していく。
※ここから先は最新巻までのネタバレを含みます。
羽を焦がす無数の鳥が 灰を散らし安らぎ笑う
「羽を焦がす無数の鳥」は夢や希望を求めて胸を焦がし、心臓を捧げてきた調査兵団のことを歌っているように思う。一つ前の歌詞に「羽撃けるなら彼に伝えて」とあるのも、「羽ばたく」や「翔く」ではなく「羽撃く」と表現しているところに戦場へと赴く兵士(あるいは戦士)のことを指しているように感じる。
その後に「灰を散らし安らぎ笑う」と続くけれど、作中で人が死ぬシーンはどれも残酷で、あまりにも呆気なくグロテスクに描かれることが多いので、灰を散らした(=死んだ)時に「安らぎ笑う」という表現に最近まで違和感を感じていた。
しかし、33巻で戦死した際にかつての仲間に手を差し伸べられたハンジや、彼女に「役目を果たした」と伝えたエルヴィンは確かに安らぎ笑っていたように見えたし、ウォールマリア奪還時にリヴァイは超大型をアルミンに継承させ、死をもってエルヴィンを休ませる判断をした。
それらを思い出しても、この残酷な世界では死んでしまうことでようやく安らぐことができて、救われることもあるのかもしれないと思えてしまう。
誰か散らせ 僕がここにいたという証も
ここはエレンの感情を歌っているような気がする。
エレンが地ならしを起こしたのは壁外人類を絶滅させて壁内人類の自由を守るためでもあり、人類が憎しみ合ってきた歴史を全てリセットするためでもあるので、歴史を消すにはこの世界にエレンがいたという証も消す必要がある。
それが自由で平和な世界のためには必要なのかもしれないけれど、それでも「誰か散らせ」というのはあまりに悲しすぎるし、せめてエレンが守りたかった人たちだけでもエレンのことを覚えていてくれたらいいのにと思ってしまう。
呑まれて踏まれた仲間の声
終わりにできない理由が僕らの背中を突き立てる
この歌詞、本当に辛くてならない。
エレンはきっと地ならしをしようと決断した日から、マーレやレベリオで過ごす人々の姿を見るたびに、敵も自分と同じように生きる人間だと気付くたびに、彼らが呑まれて踏まれる声が聞こえてくるような日々を過ごしてきたと思うと居た堪れない。
そしてその度に「戦え」と自分に言い聞かせていたと思うと、アルミンが「君のどこが自由なのか」と問いたくなる気持ちもわかる。自由に囚われることの恐ろしさなんて、この漫画を読むまで考えたことがなかった。
ただ、「呑まれて踏まれた仲間の声」を無駄にしないために進み続ける調査兵団やマーレの戦士たちにもこの戦いを終わりにできない理由があると思うと、この世界で争いが終結することなんて、人類が滅亡しない限り無いんじゃないかと思えてしまう。
決して虐殺行為を肯定しているわけではないけど、エレンが「仕方なかった」と言う気持ちも理解できる。
骨はどうせ砂と化して消えるのに生きてる
このフレーズはまさに今の進撃の巨人を端的に表していて衝撃だった。
人が死ぬことを「骨が砂と化して消える」と表現しているのがまさに地ならしによって身体が自然に還るイメージに近くて、安藤さんの進撃への解釈と表現力に感動した。始祖の姿のエレン、今にも砂になってしまいそうな気がして怖い。
進撃の巨人は、殺されて死んでいく人たちの苦しみ以上に人を殺してきた人たちの苦しみが描かれていて、かつての仲間や罪のない人々を自分の手で殺してきた登場人物たちが悩み苦しむ姿を何度も見てきた。
だからこそ「骨はどうせ砂と化して消えるのになぜ生きてるの(戦ってるの)?」という疑問を抱かずにはいられない。
私は戦争の経験が無く、戦争をテーマにした舞台やアニメなどの作品や社会科の授業で教わる程度の知識しかないので、そういったメディアや教育の影響で、兵士が戦場へ向かう理由はみんな「大切な人のため」「お国のため」「世界の平和のため」なんだろうなという固定観念があった。さらに言ってしまえば、なぜそのために自分の心臓を捧げられるのか理解出来なかった。
しかし、進撃の世界の兵士や戦士たちが戦う理由は「世界の真実を確かめるため」「父親に会うため」「自分の行いに報いるため」「自由のため」というように人それぞれで、そのほとんどが「自分自身のため」だったことに衝撃を受けたと同時に安心した。
自分以外の何かのために戦うことを綺麗事だとは思わないし、ケニーが「みんな何かに酔っぱらってねえと、やってらんなかったんだな」と言っていたように、自分の命を捧げてでも守りたい「何か」に酔っているんだろうなと思う。それでも、やっぱり自分のために自分の意思で地獄へと足を踏み入れる人ほど強くて、強い人のもつ正義ほど恐ろしい兵器になる。地ならしが発生してからは特にそう感じた。
おわりに 【OPとEDの対比】
進撃の巨人ファイナルシーズンは、EDもさることながらOPも素晴らしい。
戦場を生きる人々の感情に焦点を当てたEDとは対称的に、OP映像では爆煙にのみ色が付き、行進する兵士はまるでコピペされたようで個性が無い。戦争の残酷さと怖さが表現されていて、現在放送されているマーレ編にとてもよく合っている。それもあってか、YoutubeでアップされているOP・ED映像も、レベリオ襲撃時の物語を放送している現時点ではOPの方が再生回数が伸びている。
しかし、今回掘り下げたED曲はまさに地ならしの最中の衝撃的な瞬間を切り取っていると解釈できるので、アニメのファイナルシーズンで地ならしのシーンを描く頃に「衝撃」はさらに注目されるのではないかと思う。
人はなぜ「骨はどうせ砂と化して消えるのに生きるのか」を考えながら、原作とアニメの完結を見届けたい。
