「今」を生きているか
雨は嫌いだけど表現によって素敵に感じてしまうところがあるから不思議。
私は、雨の日に思い浮かべることが2つあります。
ひとつは、ボブ・マーリーの残した言葉(ロジャー・ミラーの言葉という説もあります)
「雨を感じられる人間もいるし、ただ、濡れるだけの奴らもいる」
同じ「雨が降っている」という状況でも、その受け取り方は感性によって異なっている。
雨音のリズム、土の匂い、空の色、肌に触れる冷たさなど、その瞬間を五感で味わい、情緒や美しさを見出すことができる人。「生きていること」そのものを楽しむ感性を持っている人。雨を感じられる人間
雨を単なる「不快な現象」や「邪魔なもの」としてしか捉えられない人。「服が濡れる」「移動が面倒だ」といった物理的な事実や不満に心が支配され、その奥にある風情を感じません。ただ濡れるだけの奴ら
「日常の些細な出来事の中に、喜びや美しさを見つけられるかどうか」という心の豊かさと感性が違うようです。
ここでいう「雨」を、人生における「困難」や「避けられない出来事」のメタファー(暗喩)と考えることもできます。
人生には自分の力ではどうにもならないこと(雨)が必ず起こります。
その時、それを嘆き、ただ被害者としてやり過ごすのか(ただ濡れるだけ)。
あるいは、その状況さえも受け入れ、そこから何かを学び、あるいは楽しもうとするのか(雨を感じる)。
「出来事そのものではなく、それをどう捉えるかで人生の質が決まる」という 人生(困難)に対する「姿勢」を考えます。
最近は、この言葉をマインドフルネス(「今、ここ」に集中すること)の思想で考えています。
人生という時間を「ただ通り過ぎる(濡れる)」だけのものにするか、一瞬一瞬を「味わう(感じる)」ものにするかは、自分自身の心の持ちよう次第!という意味が込められているように思います。
「雨を感じる人」でいたい。今この瞬間の体験に没入し、時間を味わっていきたい。雨音を楽しめる人になりたいと思ったりしてます。
あめ(雨)
二つ目は、見出し画像の書です。
書家の中塚翆涛さんの書です
雨音が聴こえてきそうな柔らかい書もあります



右から
驟雨(しゅうう)急に振りだす雨。にわか雨。
緑雨(りょくう)新緑の季節に降る雨
瑞雨(ずいう)穀物の生長を助ける雨。慈雨
翠雨(すいう)草木の青葉に降る雨
半夏雨(はんげあめ)七十二候「半夏生」だいたい7月初めの頃に降る雨。
雨の一文字よりも情緒的になります
他にも雨には風情のある言い方があります
「天気雨」「月雨」「涙雨」「雨模様」「雨足」「霧雨」
今の季節は「五月雨(さみだれ)」旧暦の5月に降る長雨。梅雨の事ですが、言葉の響きに風情を感じます。
「喜雨」日照りが続いた後の恵みの雨
「琥珀雨」夕暮れ時に、夕日に照らされて琥珀色に輝きながら降る雨。
「花の雨」桜が咲く頃に降る雨。散る花を惜しむ気持ちも込められます。
「私雨(わたくしあめ)」限られた狭い地域にだけ降る雨。箱根などの山間部でよく見られる現象を指します。
「香雨(こうう)」花の香りを運んでくるような雨、または雨そのものを芳しく表現した言葉。
本当に素敵な呼び名があり、じっくり雨音を聴いて楽しめる季節もありそうです。
雨の日も『今、ここ』にある心地よさを見つけながら、変わりやすい空模様が続きますが、健やかにお過ごしいただけますようお祈りいたします。
では、また。
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