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白い光と あぶくの沼   

白い光と あぶくの沼   



わたしは、風の街で、
ひとりの男性に出会った。

彼は、人に問いを渡す。

あなたにとって、
大切なものは何ですか。

あなたは、
どう生きていきたいですか。

どのような姿勢で、
この人生を歩いていきたいですか。 




答えを教えるのではなく、
その人の奥に眠っている答えを、
もう一度、起こすように。

彼は、
人の価値観を問い直す役割を、
静かに引き受けていた。

彼は、
人の痛みに気づかせる。

そして、
その痛みを癒す技術も持っていた。



彼の技術によって、
わたしが気づいた痛みは、

心臓の、少し下。

鳩尾(みぞおち)だった。



誰かに触れられたわけでもない。

殴られたわけでもない。

それでも、
そこには確かに、痛みがあった。

身体は、
言葉になる前のことを知っている。

忘れたふりをした悲しみも、
飲み込んだ怒りも、
自分でも見つけられなかった傷も、

身体は、
黙って覚えている。



あるとき、わたしは言った。

「あなたのことが、老人にも見える。」

彼は笑って、

「いや、もっと若いだろう。」

と言った。



わたしは、少し考えてから、
言い直した。

「知識を、人に渡そうとしているところが、
老人に見える。」

彼は、

「ああ、そうか。
そうかもしれん。」

と言った。



わたしには、
彼がなぜ、人の価値観を問い直す役割を
引き受けているのか、

なんとなく、分かる気がする。




彼はきっと、

白い光と、
あぶくの沼を、

その両方を、
自分の目で見たのだ。

人には、
白い光へ向かって歩く道がある。

あたたかく、
静かで、
自分を失わずに進める道。

けれど人は、ときに、
あぶくの沼へ足を取られる。

一つの泡が弾けるたびに、
また別の泡が浮かび、

つかんだと思ったものが消え、
立っている場所さえ、
分からなくなっていく。

光だけを知る者は、
沼に沈む人の足を、
理解できないことがある。

沼だけを知る者は、
光の存在を、
信じられなくなることがある。

けれど彼は、
その両方を見た。




だから、人に問いかける。

どちらへ行きたい。

あなたは、
どの方向へ歩いていきたい。

人生は、
一度の大きな決断だけで
決まるのではない。

どちらを見るのか。

どちらへ身体を向けるのか。

どちらへ、
小さな一歩を置くのか。

その一つ一つの選択が、
いつか、その人の人生になる。

彼は、
そのことを知っている。




白い光と、
あぶくの沼。

その両方を見て、
それでも人に、

光のある方向を
問い続けている人。

だから、わたしには、
彼が老人に見えたのだと思う。

長く生きた人という意味ではない。

人間の明るさと暗さを見て、
それでも知識を手渡そうとする、

古い樹木のような人である。



補足しておくと、
その男性は老人ではない。

誠実な、
成人の男性である。

そして、たぶん、

少しだけ、
老人の目を持っている。


サーヤ

🌛 Luna SĀYA
#業 #人間理解 #人物研究 #詩

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