「くだらないこと」が私にとっての芸術なのかも知れない。
1:私は「何者か」になりたかった
何者かになりたくて、私は今まで色々なことにチャレンジしてきました。
Kindle出版、LINEスタンプ、イラスト、小説…
でも、どれも成功したわけではないです。
自分は結局何がやりたいんだろう、などと考えてしまいます。
飽きたから次…というわけでもなく、あれもやってみたい、こっちも試してみたいと好奇心が旺盛なんです。たぶん。
2:よく考えると「くだらないこと」が好きだった
例えば、小学生の頃はカードゲーム作りにはまっていました。
ポケモンカードをもっと簡単にしたようなルールで、
画用紙を切って変なイラストを描いて…とひたすら作っていました。
段ボール箱に山盛りになるくらいに作っていた気がします。
その頃培った「変なイラスト」を描く趣味は最近のAIイラスト生成にも
活きている気がします。人と同じことがしたくないタチなので、「綺麗だけど変なイラスト」を作ることが楽しいです。
また、小説に変な設定を盛り込んだりも好きです。というか、そういう設定を妄想するのが好きなのかもしれません。
LINEスタンプを作る時も、使いやすさより、「こんなスタンプいつ使うんだ?」と突っ込みが入りそうなものを作る時に悦びを感じます。
冷静に考えると、これらって一体何の役に立つんだろうと…。
自分でもくだらないことが好きだなぁと呆れてしまいます。
3:それでも、なぜかやってしまう
お金になるからやっているわけではないです。
(実際、そんなに儲かっていませんし…)
当然ですが、誰かから依頼されているわけでもありません。
それなのに、面白そうだと思うとつい「くだらないこと」を
やってしまいます。
もしかして、自分が本当に求めていることって、「成功すること」ではないのか…?とも思うようになりました。
4:読書ノートを読み返すと
そんなことを考えながら、以前書いた読書ノートを見返していると、
「ニーチェの哲学入門」の本を読んだときのメモが出てきました。
『したい(美しい、面白い)と思うことを自分なりに追求し、その行為を心から楽しむ』→『そのことにより「生が高揚(充実)した」ということが重要』→『したいことを「芸術」に昇華して人生を楽しめばいい。』
みたいな内容がメモされていて、ふと思いました。
私にとっての「芸術」って、もしかすると
「くだらないと思いつつもついついやってしまうこと」
なんじゃないか、と。
5:「何者かになりたい」と「くだらないことをしたい」
ここ5~6年ほど、私は
「それはお金になるのか?」
「誰かから評価されるのか?」
「それをする意味があるのか?」
「将来の役に立つか?」
という視点でばかり物事を考えていた気がします。
しかしそれとは全く別に、
「面白いからやりたい」
という欲求も実は子供の頃からずっとあったように思います。
そしてもしかすると、「面白いからやりたい」というのが
私の創作や行動の根っこに近いのではないかと思い始めました。
6:「くだらないこと」を見下さないことにしよう
私が今後「何者か」になれるのかはわかりません。
これからも色々な事に手を出し、飽きたり、諦めたり、挫折したり…
そしてちょっと戻ってきたりすると思います。
でも、「くだらないこと、役にたたないこと」をしている時間は
確かに楽しいんです。だからついやってしまいます。
ならば、「くだらないから無価値だ」と見下して切り捨てる必要は、
実はないのではないかと考えました。
私にとっての「生が高揚した」を感じる「芸術」は、
もしかすると自分ではくだらないことや役に立たないことだと
思い込んでいるものの中に隠れているのかも知れません。
「何者か」になれなかったとしても、「くだらないこと」を面白がれることの方が自分にとって大切な事なのかも知れないと感じました。
