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ウチでとれた初めての柿

家を建ててすぐの頃、庭の片隅に柿の苗木を植えた。まだ20代だった私は、未来の計画なんてほとんど立てられなかったのに、「いつか実がなります」という札の言葉にだけは、なぜか小さな夢を感じて、その苗木を買って帰った。

植えて数年は、ただ葉が増えては落ちるだけ。台風のたびに心配し、真夏の水やりをサボって葉がしおれた時には、慌てて駆け寄ったこともある。
その間に私は母になり、仕事と子育てに追われて、木のことを意識する余裕もない日が多かった。それでも、気づけば柿の木は毎年季節をくり返しながら、静かにそこに立ち続けていた。

そして、植えてから10年弱が経った今年。
洗濯物を取り込んでいた時、視界の端でふっと色が違った。オレンジ色が、葉の間に控えめにのぞいていた。
「え……これ、柿?」
近づくにつれて、胸の奥にじんわりとあたたかいものが広がっていく。
小さな木なのに、丸い実がいくつもぶら下がっている。思わず、「ちょっと来て!」と家の中へ走った。

小3の娘が真っ先に飛び出し、次に小1の息子が続く。二人とも木を見るなり、「ほんまに実ってる!」と声を上げ、しばらく嬉しそうに木の周りを回っていた。
二人が生まれる前から、この木はここにいたんだと思うと、なんとも言えず胸があたたかくなった。

木はまだ大きくなくて、子どもたちの肩の高さくらい。
だから収穫はとてもシンプルだった。娘が実をそっと支え、息子が慎重にハサミで枝を切る。
「いくで」「待ってな、ちゃんともってるから」「はい、切れた!」
たったそれだけの場面なのに、静かな達成感みたいなものが流れていた。
切り落とされた柿を娘が手のひらに受け止めると、二人とも本当に誇らしそうな顔をした。

夕飯のあと、家族で収穫した柿を味わった。
皮をむくときのシャリッという音、手に残るほんのりとした香り。ひと口食べると、市販の大ぶりな柿ほど甘くはないけれど、やさしい甘さがじんわり広がっていく。
「おいしい!」と息子が目を輝かせ、娘は「うちの庭の味って感じする」と言った。
その言葉に、思わず胸がいっぱいになった。

「来年もっとなるかな?」
「名前つけたらどう?」
子どもたちは食べながらも話が尽きない。息子が「カキまる」、娘が「かきひめ」と次々に提案しては笑いあい、結局決まらないまま終わった。

10年前、深く考えずに買った一本の苗木が、こんなふうに家族の時間をつくってくれるなんて思いもしなかった。
実がなったこと自体が嬉しいのはもちろんだけれど、その奥にある10年分の積み重ねを思うと、胸のあたたかさは言葉にしづらい。

来年どうなるかなんてわからない。
でも、今年の“ウチでとれた初めての柿”は、これから先何度思い返しても、きっと心の中に穏やかな光を灯す出来事になる。
木の高さも、子どもたちの身長も、今のこの瞬間だけのものだから。

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