ある日のできごと
うちは何かとお堅くて厳格で、親が与えるもの以外に買って食べたり飲んだりしてはいけない、勝手にお祭りや縁日に行ってはならない、もちろん屋台や駄菓子屋で何かを買うなんてことは御法度であった。
昔あった周りが赤いソーセージとかハムも食べてはならなかった。だから遠足のときに、友だちとおかずを交換してもらい、初めて憧れの赤いソーセージを食べることができたのだった。
Fくんの家は自営業だった。
お店をやっていたのだが、確か洋服関係の仕立屋さんか、洋服のお直しや虫喰い穴を修理するようなお店だったように思う。1階のお店に出ているのはいつもお母さんだけだったような。
お母さんはてきぱきしている感じの人だったが、いつもあまり機嫌が良くなかったように記憶している。
家に遊びに行くと、2階に上がるように言われていた。お店の邪魔をしてはいけなかったからだろう。2階にはたくさんのプラモデルに囲まれてお父さんが座っていた。
子どもたちがやってくるのを歓迎してくれて、自作のプラモデルをケースから出して、いろいろ説明してくれた。確か連合艦隊の艦艇が多くて、子ども心にカッコいいコレクションだなぁ、と憧れていた。
Fくんのお父さんは例えて言えば、笑福亭鶴瓶のような風貌と喋り方だったと思う。小太りでステテコとランニングシャツ一枚の飾らないスタイル。いつも陽気、子どもたちと同じ目線で豪快に笑っていたから、みんなから人気があった。

なぜお父さんは働いていなかったのか。
記憶が曖昧なのだが、何か障がいのようなものを抱えていた方だったように記憶している。ものを数えることができないとか、計算ができないとか、何かを書く時に文章が少し変だとか、あやふやだが誰かからそんなような話を聞いていた。
もしかしたら仕立てや修理の専門職として、仕事がある時には働いていたのかも知れない。
お客さんの対応や営業をして、仕事を取ってくるのがお母さんで、お父さんはお店に出ずミシンを回していた、そういう役割分担だったのかも知れない。
そう言えば一度、お父さんがほろ酔い加減だったことがあった。
子どもたちにも梅酒を勧めてきた。あの時、初めて梅酒というものを知った。甘いからみんな喜んで飲んだと思うが、階下から上がってきたお母さんにどやしつけられていた。子どもにお酒を飲ませたからだろう。
子どもたちからすれば、いつ行っても満面の笑顔で迎えてくれる、一緒になって遊んでくれる、とっても親しみやすいお父さんだったが、お母さんの方はそれなりに苦労していたのかも知れない。

ある日、ひとしきりFくんの家で遊んで、もう暗くなりかける頃だったと思うが、お父さんが、「よし、出かけるぞ!」と言って、Fくんと僕たちの手を引っ張って行った。
そこは行ってはいけないと母から言われていた、縁日のような所だったと思う。
信じられないくらい色んなお店が並んでいて、たくさんの人でごった返していて、どこを向いても何もかもが初めて見るものばかりで、目まいがしそうだった。
お父さんは、「面白いものを見せてやる」と言って、僕たちを天幕で仕切られた向こう側に連れて入った。後になって思い返してみるとそこは見世物小屋だった。

何を観たのかはほとんど記憶にない。
ただそこだけが周りのお店とはまるで違っていて、秘密めいた空間であった。毒々しい看板と妖しい雰囲気と呼び込みの声。結構なお客さんが入っていたような気がする。
こんな所へ来てはいけないんだと怯えつつ、怖いもの見たさでドキドキした。
1960年代の見世物小屋を調べてみると、たくさんの芸人がいたようだ。少しグロい話になるので苦手な方は飛ばして欲しい。
ろくろ首、蛇姫様、タコ娘、生きている人魚、ミイラ男、人間ポンプ、電気人間、カニ男・・・そんな刺激的なタイトルで客を誘っていた。
時代が進むと、だんだん法律的な縛りとか、モラルや動物愛護からの批判も加わり、その頃からの興行主は、今では一社だけになってしまったようだ。
それでも2000年以降になっても、有名な芸人さんがいたことが分かった。昔は実際に生きた蛇を食いちぎって、その生き血を飲む蛇女までいたようだが、最近では蛇がかわいそうだということで、対象が虫類に変わってきているらしい。しかし虫類というのもすごい。プロ根性の塊のような芸人さんなのだろう。
虫と言っても色々あるが、噛んだ時にカリッカリッとか音がして、確かに噛んでいると客に分かるような種類の虫が選ばれているようだ。
虫類は歯がものすごく汚れるらしく、定期的に歯医者さんでホワイトニングしてもらわなければならない、そういう生々しい話まで飛び出した。歯医者さんに原因を聞かれれば、タバコとコーヒーという風に答えているらしいが、たぶん医者には察しがついているだろうという話だ。
それでも他の芸も含めて、昔よりはだいぶソフトになってきたということだ。
そうだ。
記憶が曖昧だが、やたらと白粉を塗りたくった真っ白な顔をして、白装束を着た少女のように見える人が、記憶の彼方にぼんやり浮かぶ。座ったままで何かの芸をしていたような気がする。
もしかしたら鼻から入れた生きた細い蛇を口から出す、そんな蛇女だったのかも知れない。
子どもなりに怖いもの見たさと、性的な興味を刺激されていた。

子どもたちはみんな、珍しいものを見てはしゃいでいたと思う。
「どうや?初めてやったか?面白かったか?」、「あんなん見たことないわ!」、「これやで、これ。噛み切れるんか?」、「あれやったら川の水、全部飲めるんちゃうか?」、賑やかにそんな話をしながら、芸人の真似をしながら、帰路についたのだろう。
その後、家に帰って、こんな時間までいったいどこへ行っていたのかと、問い詰められたのだと思う。本当のことを話したら、もうFくんの家に行ってはダメだということになってしまった。それから行かなくなったのだろうか。
Fくんの家は学校の帰りに通る道沿いにあったから、たぶんときどきは親に黙って寄っていたのではないかと思う。

これが見世物小屋の中を覗いた唯一の記憶である。たぶん昭和43〜44年のことだ。
まだそんなに娯楽がなかった時代のひとコマである。
*記憶がかなり曖昧ですので、推測で補っています。
