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ハッピーライティングマラソンお題#65|批判されるのが怖くて、やめていることはありますか?

本田健さんのハッピーライティングマラソンに参加します🌈
いつも、私の心を見つめ直すきっかけをくれるお題に感謝して🙏

批判されるのが怖くて、やめていること

本当はやってみたい。
本当は伝えてみたい。

でも、「誰かに何か言われたらどうしよう」

そう思って、一歩を止めてしまうことはありませんか?

私は、あります。

最近、その「怖さ」の奥にあるものを、少しずつ考えるようになりました。

今日は、ちょっとだけ私の昔の話を書いてみようと思います。
(約2,500文字)

私にとって、母はとても怖い人でした

私の母は、努力家で、賢くて、自分にも他人にも、とても厳しい人でした。

私が何かを言っても、ほとんど否定される。

「こうしたい」と言えば、「こうしたほうがいい」と、母が望む方向へ決められる。

いつの間にか、

「私はどうしたい?」よりも、
「お母さんはどう思うかな?」を考えるようになっていました。

母が望まないことをしてしまったときは、何も言えませんでした。

怒られるのが怖い。
否定されるのが怖い。
がっかりされるのが怖い。

だから、自分の気持ちを心の中に隠す。

そんなふうにして、私は自分の本音を覆い隠す術を覚えていったのだと思います。

結婚したことも、言えなかった

これは、初めて書くことかもしれません。

私は、母に「結婚する」という報告をすることすら、
心の底から怖かったのです。

もちろん、自分で選んだ人生です。
好きな人と一緒に生きたい。
そう思って決めたこと。

「なんて言われるだろう」
「反対されるだろうな」
「きっと認めてもらえない」

そんなことばかり考えていました。

自分の人生なのに、
母にどう思われるかが、自分の選択よりも大きくなっていた。

私はもう大人だったのに。
自分で人生を選べる年齢だったのに。

心の中には、「お母さんに怒られないように」
とおびえる幼い頃の自分が、ずっと住み着いていました。

母がいないところでは、自由だった

自分で好きなことを決める。
行きたいところに行く。
やりたいことをやってみる。

海外に住んだり、いろいろな仕事をしたり。
振り返ってみると、私はちゃんと自分で決めて生きてきたんです。

だから、「自分で決められない人」だったわけではない。

母の前に立つと、
「私はこうしたい」が言えなくなる。

そして、
母が亡くなっても、なお。

「お母さんだったら、なんて言うかな」
そんな声が、時折心の中で響くのです。

……重症です。笑
解放されるには、随分と時間がかかっています。

英語になると、私は少し自由になる

私は、英語だと自分のことを、わりと素直に言えるんです。

もちろん、環境や言語の力もあると思います。
英語を話しているときは、日本語を話しているときとは、少し違う自分になる。

海外で暮らしていた頃も、私は今よりずっと自由でした。

今思えば、言葉が変わることで、まとっている空気まで変わっていたのかもしれません。

そして、もしかしたら私はずっと、

「自分の本音を言っても大丈夫な場所」を探していたのかもしれない。

「批判されるのが怖かった」の正体

だから私は、ただ批判されることが怖かったのではないのだと思います。

「自分の気持ちを否定されること」が怖かった。

「そんなのダメ」
「やめたほうがいい」
「そんなことして、何になるの?」

胸を突き刺すような、あの言葉たち。

だから、大人になった今でも、誰かに否定されて傷つくくらいなら、最初から自分でやめてしまうことがあります。

母は「地の時代」を生きた人

母は、いわゆる「地の時代」を生きた人だったのかもしれません。

努力すること。
我慢すること。
ちゃんとすること。
安定すること。
人から認められること。

学歴や地位、肩書き。
どんな学校を出たのか。
どんな仕事をしているのか。
どんな立場にいるのか。

目に見える成果や世間体を大切にし、
「こうあるべき」という枠組みを守って生きる。

きっと母にとっては、それが「愛する家族を守る方法」であり、
「ちゃんと生きる」ということだったのだと思います。

だから、母を責めたいわけではありません。
母は母の時代を、一生懸命に生きた人。

でも、時代は変わりました。

地から風へ。
「私はどうしたい?」という、自分の心の声を大切にしていい時代へ。

そう思うと、

時代が「風」になって、本当に良かった✨

私は、ずっと「目に見えない世界」が好きだった

そして、もうひとつ。

私は、子どもの頃からずっと、スピリチュアルなことが好きでした。

子どものころは、魔法使いになりたかった。
小学生のころ、おまじないが大好きで、真剣にしていました。

今思えば、私はずっと、目に見えない世界が好きだったんです。

大人になってからも、目に見えない存在に助けられてきたと思うことが何度もありました。

偶然とは思えない出来事。
不思議なタイミング。

「何かに背中を押されているのかな」と思うようなこと。

説明はできないけれど、
「見えないものに守られているのかもしれない」

そう感じることがありました。

もう、自分の「好き」を隠さなくていい

すべての人に「いいね」と言ってもらう必要なんて、最初からなかったんです。

何よりも大切なのは、

自分が、自分の気持ちを否定しないこと。

今の私には、それだけで十分なのだと思います。

魔法使いにはなれなかったけれど

今、私はマヤ暦を学んで、ヨガを深めています。

目に見えない世界の温かさを感じたり、そこから受け取ったものを言葉にしています。

そして、その大切な世界を、外に向かって発信しています。

もしも、幼い頃の私が今の私を見たら、
きっと目を輝かせて喜ぶんじゃないかな。

「やっと好きなことを、堂々とやってる!」って。

魔法使いにはなれなかったけれど(笑)

あの頃の私が大好きだった、愛おしい世界を。
今の私はもう、隠さなくていい。

誰かに笑われるかもしれない。
理解してもらえないかもしれない。

それでもいい。

だってこれは、

誰かに認めてもらうための「好き」ではなく、

ずっと心の奥にあった、私自身の「好き」だから😊💗


最後まで、長い文章を読んでくださり、ありがとうございました🙏

少し勇気のいる内容でしたが、ここまで書けたことも、ひとつの小さな一歩だったのかなと思っています。

読んでくださったあなたに、心から感謝します🌈💗

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