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東大卒が語る、回転寿司の流儀【週刊・脱サラ作業日誌】#9

 幼少期、岡山に行くと、着くや否や親戚のおじさんに回転寿司へ連れて行ってもらった。

当時はあまりのおいしさに食欲のセーブが効かず、口の中でとろけるサーモンを中心に16皿ほどを限界まで食べていた。

そこから山の上の家まで、車で1時間。帰り道は完全にグロッキーになり、後部座席でずっと横になっていた。

思えば、昔から自分の中では「海鮮」と「ご馳走」がかなり強く結びついていた気がする。

大晦日には親戚一同20人以上が集まり、カニ鍋を貪るのが恒例だった。

もっとも、そこでも食べすぎて布団の中で気持ち悪くなり、結局戻してしまった。今でも従兄弟たちに会うたびにからかわれるエピソードである。


少々、話が脱線した。

 
 大学生になってアルバイトを始め、自分で稼いだお金で回転寿司ライフを取り戻して以降、気づけば15年近く回転寿司に向き合っている。

大学生の頃にハマったのは、一皿100〜150円程度で、100円寿司より少しだけ美味しいローカル回転寿司。当時は横浜に住んでいたため、横浜駅から少し歩いた路地裏の店や、バイト先の渋谷にある回転寿司によく繰り出していた。

この頃になると、幼少期の無節操な食欲も多少は落ち着き、平均して8〜10皿程度。好みも少し変わり、サーモン一辺倒だったところから、白身魚や貝を好んで食べるようになった。その点だけ見れば、多少は大人に近づいたのかもしれない。

ただし、回っている寿司を見ると未練がましくなる癖は残っていた。十分に満足しているのに、

「これも食べておこう」
「せっかく来たし、あと一皿くらい」

と、そこからさらに二皿ほど追加する。そして満腹になりすぎ、最後の方は味がよく分からなくなる。そんな失態にも何度となく陥った。


 そして社会人になってから。特にキッチンもない会社の寮に住んでいた頃は、必然的に外食生活を余儀なくされており、回転寿司は「たまのご馳走」から、少しずつ「普通の外食」に変わっていった。

財布に余裕もでき、一皿数百円のネタを頼むことにも、それほど抵抗がなくなった。

ところが、ここで一つ気づいた。「高い皿を頼めば、その分だけ満足度が上がるわけでもない」

もちろん、高級なネタは美味しい。ただ、最終的に「もう一皿食べたい」と思うのは、サラダ系や炙りマヨネーズ系の寿司だったりする。あとは、あん肝。

 この頃から、回転寿司では「滞在時間中の幸福密度を最大化すること」を優先するようになった気がする。そして、15年近く食べ続けるうちに、いつの間にか自分なりの「流儀」のようなものができていた。

栃木県に来てからは近所の魚べいに通うことが増え、今回改めてここに残したいと思う。


◾️回転寿司の流儀
① 入りのルーティンを作る
最初の注文は、無意識で流れるように行なう。

空きっ腹で、何を注文するべきか悩む時間はなかなかにつらく非効率でもある。まずはお茶やお手拭きを準備し、いつもの頼み方をすることで心と腹を落ち着ける。ちなみに私はエビアボカドやカツオ、マグロと決めている。

② 寿司で腹を満たすことにこだわらない
ラーメンが美味しそうなら、ラーメンを食べる。
揚げ物に心を奪われたなら、素直に頼む。

「寿司を食べに来たのだから、寿司で腹を満たさなければならない」という謎の義務感は、幸福密度を下げる。

③ 冒険枠をつくる
いつも好きなものだけ食べれば確かに失敗は少ない。しかし、それだけではつまらない。そこで毎回、一皿か二皿くらいは「普段なら頼まないもの」を入れる。

期間限定のフェアメニュー。はたまた腹の兼ね合いから、いつもはスルーするようなメニューまで。

当たりもあれば、当然外れもある。だが、そこで新しい主力選手が見つかったとき、人は喜びを見出すのである。

④ 最後の一皿は、勝ちが確定しているものを選ぶ
締めの一皿でギャンブルをする必要はない。

食事の最後には、その日の印象を決めるという重要な役割がある。だから締めは、自分が間違いなく好きなものを頼む。私の場合、あん肝がこの役割を担うことが多い。

予定調和で終わらせることで、また次回の冒険心を養うのである。

⑤ 満腹になる前に撤退する
最後に、これは幼少期から数え切れないほどの失敗を重ねた末に辿り着いた教訓である。

腹はもう満たされている。しかし目の前には、まだ美味しそうな寿司がある。

「あと一皿くらいなら」

だいたい、ここからがおかしくなる。一皿食べると、もう一皿いける気がする。そして最終的には満腹になりすぎ、後半に食べた寿司の味がよく分からなくなる。

回転寿司で最も避けるべきなのは、最後の一皿二皿によって、それまでの幸福まで薄めてしまうことである。


◾️最後に
 色々と書いてしまったが、回転寿司が食のテーマパークである以上、結局は各々が好きなように過ごすのが一番である。

皆が思い思いに楽しんでいる空間。その店内で、自分にとっての「幸福密度」が最大になれば、それが一番である。

これからも新たな流儀を求め、また最寄りの魚べいに行こうと思う。

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