「なんで?」に詰まった日、僕の中の“ピース”が崩れた話
「なんで?」
その一言で、
全部止まった。
…あれ、
わかってる“はず”やのに。
目次
1.水のピース
2.目のピース
3.体のピース
4.崩れた“わかってるつもり”
5.子どもは問いを持ち、大人は答えを手放す
6.ノノパパの再構築
1. 水のピース
歯みがき中。
水を出しっぱなしにしてた娘に、
「もったいないから止めよっか」
と声をかけた。
すると娘が、
「水ってどこから来るの?」
……。
ダム?雨?川?
頭の中には“それっぽい答え”はある。
でも、
説明できない。
2. 目のピース
別の日。
「なんでお目目の黒いところで見えるの?」
黒目。
確かに、
黒目で見てる気はする。
でも、
なんで?
中学の生物で習った気がする。
でも、
思い出せない。
3. 体のピース
お風呂の時間。
「この青い線、なに?」
血管。
それはわかる。
「なんであるの?」
……。
また、
止まる。
4. 崩れた“わかってるつもり”
ここで気づいた。
自分の中のピース、
バラバラやった。
僕は、
関西ではそこそこの大学を卒業し、
それなりに勉強してきた方だと思っていた。
でも、
“理解してる”と“説明できる”は別物。
なんとなく知ってる。
お恥ずかしい話だが、
繋がってない。
5. 子どもは問いを持ち、大人は答えを手放す
子どもは、
すべてに「なんで?」がある。
当たり前を、
当たり前で終わらせない。
でも大人は、
仕事
家事
育児
日々に追われて、
問いを持つことをやめていく。
気づいたら、
答えすら曖昧なまま。
ノノパパの再構築
娘に聞かれて、
少し焦った。
でも同時に思った。
まだ、学び直せる。
まだ、知れる。
まだ、繋げられる。
バラバラだったピースを、
もう一度組み直すチャンスをもらった気がした。
ノノパパの締め
これからは、
「なんで?」を流さない。
答えられなくてもいい。
でも、
一緒に考えることはできる。
娘の問いに、
僕が育てられてる。
そんな気がした。
もしよかったら教えてください。
最近、答えに詰まった「なんで?」ありますか?
