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[エッセイ]予後300年生きるおじさんの1年記念日


人にはなぜ手が2本も生えているのだろうか。
それは自分で自分を抱きしめてあげるためだと私は思う。

孤独の正面にいるのはいつだって自分しかいないのだから、そんな自分を抱きしめてあげられるのも自分だけだ。

そんなことを考えながら浴室の鏡の前で贅肉に包まれた自分の肢体にそっと腕を回す。

私の驚異的な低視力と致命的に曇っている浴室の鏡のおかげでルノワールの描く裸婦像に見えなくもない。

そう、最近になって気づいたのだが、どうやら私は腕を組むとそれなりのおっぱいが出来るのだ。

メンタリストではないがあなたの心中を御察しするに、おそらく今世紀で一番知りたくない情報を知ってしまったと思っていることだろう。

その通りだ。本当に申し訳ない。
だが、一応、文字としても念押ししとこうと思う。


「おじさんのおっぱい」


フェイクニュースなども含めとにかく情報過多な世の中だ。一瞬くらい脳内を「おじさんのおっぱい」で汚染した方が本当の意味での正しさとしっかり向き合えるはずだ。

汚い川を綺麗にするより、もっと汚い川を知って慣れる方がよりその本質に気づくことが出来る。
そして、結果としてよりよく環境を整えられるようになっていくのと原理は同じだ。


要するに何が言いたいかというと、こういう風に意味のわからないことをそれっぽく並べ立てて、なんとなく良いこと言ってますよ感を出しているヤツは絶対に信用するなということだ。
どう、壺買わない?


さて、私が肺炎と出会ってちょうど一年が経つ。
運命的な出会いを果たして今日までアバンチュールな日々を過ごさせてもらったが、本音を言えばそろそろちゃんとお別れしたいところだ。

子どもにしかかからないと言われる病気におじさんの中のおじさんを自負する私がかかってしまったのが全てのきっかけではあるのだが、今となっては原因の究明など砂漠の真ん中でマカロンを頬張り続けるようなものだ。ここで大事になってくるのはもはや予後だけだ。

お医者様に完治を宣言されてからも少し身体を動かすと熱が出る日々が続いた。そもそも体力をごっそりと持っていかれたのもあってまともに立つことすらしんどかった。

余談だが、「ごっそり」って唯一無二のオノマトペことレアマトぺな気がする。「ごっそり」のごっそり感が強すぎる。余談終わり。

身体の不調は結局、半年以上続いて最終的に胸のドキドキが収まらなくなった。
「もう完全に恋じゃん」と心の中のギャルが囁いていたが腐ってもおじさんだ。いや、臭ってるからおじさんだ。自分の迸る加齢臭で正気を取り戻してすぐに病院へ向かった。


診断は洞性頻脈。
平均の1.5倍の脈拍。
広義な意味での「狭心症」とも言われた。
心の中で「RADWIMPSの曲じゃあるまいし」と呟く能天気な私と相反するかのように心臓は早鐘を打ち続けていた。

これまで何度も立ち止まってきた人生なのに心臓だけは人の倍くらい生き急いでいて、それが余りにもちぐはぐで、その時は何の現実感もなかったけれど、病院からの帰り道に自分はもしかしたら思っているより長く生きられないんじゃないかとふと思って、少し悲しくなった。


何を隠そう私は出来るだけ長く、せめて300歳まで生きたいと常々思っていた。強欲なのは知っている。伊達に太ってないからね。

それに傑物たちからしたら大いなる夢の為にいかに早く生を燃やし尽くすかが至上命題になっているのかもしれないが、太った一般人の生きる目標なんて「長く生きる」以外ないだろう。

とにかく長く生きてじじいの中のじじいになる。出来れば「長老」と呼ばれるタイプなら尚良し。そして、晩年はそれまでに出来た大切な人達との思い出を懐古しながらゆっくりと世界を巡りたい。

最後はガンジス川でバタフライならぬナイル川でクロールでもするか。
ああ、クロコダイルにデスロールかまされる未来しか見えない。
でも、それが寿命でいい。


そんなことを考えながら、絶対に心臓が原因で死なないぞ☆と投薬治療を始めた。
薬は驚くほどにキマッていつの間にか胸のドキドキはどこかへ消えていった。 

だが、いつも聞いていたあの心音が聞こえなくなってしまうとそれはそれで不安を感じる。
ドキドキの毎日にすでに慣れていた私にとってはドキドキしない方がドキドキしてしまう。これはおそらく心臓ではなく心の問題なのだろう。

生きている限りこの種の不安は決して消えることはない。だから、そんな時は黙って自分で自分を抱きしめるしかない。

もちろんその姿は客観的に見たらさぞ気持ち悪いことだろう。自分ですら気持ち悪いと思うのだから他人が気持ち悪いと思わないはずがない。
だが、それでもいい。どうせ300年後にはきっとみんな忘れている。

失敗も成功も、幸も不幸も、どんな凹凸も300年生きれば同じ道の一部に過ぎない。
それを確かめるためにも、私はどうにか300年生きたいと思うのだ。

だから、その要となる心臓に心の中でこっそりと問いかけてみる。

「あと300年は生きたいんですけど、私はどれくらい長く生きられますか?」

ドキドキの消えた胸にそっと手を置く。
答えはない。

ああ、でもやっぱりそれなりのおっぱいだ。



#身体についてのひとりごと

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