「天皇」の「天」は一画目が長い。それは戦時中の国語審議会が進めた漢字制限が、戦後の占領下で実現した結果である(令和8年3月11日)
(画像は昭和17年6月の「標準漢字表」の抜粋です)
◇1 古い文献は上が短い
「天皇」の「天」の漢字は、学校の教科書や一般書籍などの印刷物、パソコンの画面などで見ますと、一画目の、上の横棒の方が長い。ところが、古い手書きの、あるいは木版の文献ですと、二画目の方が長い。
たとえば、現存する日本最古の史書とされる『古事記』です。国立公文書館が所蔵するのは、説明だと、神龍院梵舜所蔵の古書を、家康が京都五山の僧侶に書写させた「慶長御写本」のひとつとされていますが、1画目が短い字体です。

次に掲げるのは、国会図書館デジタルコレクションで公開されている「令義解」の抜粋です。同書は古代律令の公式な註釈書で、これは江戸中期の写本だそうですが、「天」は2画目の方が長いようです。いまの教科書体とは異なります。

ちなみに、康熙字典だと次のようになります。江戸・天保年間に小倉神田藩主から湯島聖堂に献納されたもののようです。康熙字典は日本の活字の規範とされています。

〈https://www.digital.archives.go.jp/das/meta/M2018040413284514128.html〉
もうひとつ。伊勢の神宮から頒布される神宮大麻の場合は、上が短い書体となっています。

〈https://www.jinjahoncho.or.jp/jingutaima/〉
いつ、どのようにして、「天」の字体は変わったのでしょうか? 手書きから活字に変わって、それで書体が定まったということなのか? 本来的にはどちらが正しいのでしょうか?
◇2 大修館も国会図書館も「どっちも正しい」
『大漢和辞典』を発行する大修館のサイト「漢字文化資料館」は、ズバリ「『天』の2本の横棒は、上と下のどちらが長いのが正しいのですか?」と発問しています。そして、「活字の字形では上が長く、手書きでは下が長いのが圧倒的」だと指摘したうえで、「どっちもどっち」「どちらが正しいというわけではない」と結論づけています。

私が知りたいのは、いつ、なぜ、どのように変わったのかですが、大修館の資料館は答えていません。
国会図書館のレファレンス事例では、同様に、「常用漢字(明朝体の活字)では第一画を長く書く。手書き文字(楷書)では第二画を長く書くことが一般的だった。「天」の文字については、いずれを長く書いても誤りではない」と答えています。歴史的変化については答えていません。答えられない、答えたくない特別の理由でもあるのでしょうか?

ただ、新しいことが分かりました。「常用漢字」です。
◇3 上が長い昭和21年の「当用漢字」
『常用漢字表の字体・字形に関する指針 文化審議会国語分科会報告(平成28年2月29日)』(文化庁/編 三省堂)というのがあり、これが文化庁のサイトに載っています。正確には、「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)(案)」です。最近の報道発表です。

「第3章 字体・字形に関するQ&A」の71ページに、「Q9 「書体」とは」に答える形で、要するに、いろんな書体があると、ほかならぬ「天」を例にあげて、答えています。

しかし、これでは答えになりません。いつ、誰が、どのようにして、「天」の書体を変えたのか、それが知りたいのです。
文化庁のサイトは「常用漢字」とありますが、その前身は「当用漢字」です。漢字制限を目的として、昭和21年に定められました。1850字の一覧は昭和21年11月16日の官報号外にあり、「天」は「大」の部に、確かに上が長い書体が載っています。

ということは、上が長い書体は占領政策の産物でしょうか? そうではないと思われます。
◇4 戦時中を引きずる戦後の国語審議会
以前、「井上ひさし『東京セブンローズ』が書かない『美しき国語』の歴史──東條内閣の国語政策に抵抗した神道人」を書きました。

戦後の国語政策はじつのところ、戦前・戦中の国語政策を引きずっています。
東條内閣の時代、国語審議会は漢字制限や字音仮名遣い、左横書きを進めました。ところが、保守陣営がこぞって反対しました。その目的は国語改革反対というより、東條内閣の統制政策に風穴を開け、言論の自由を回復させるところにありました。結局、日本語を占領地政策の道具に使おうとする軍部の思惑や政府の改革は阻止され、やがて東條内閣は倒れるのです。
東條内閣の強権をもって成し遂げられなかった国語改革は、戦後、占領下にあって、GHQ、文部省、国語学者、大新聞の4者によって進められます。それが当用漢字であり、常用漢字なのです。
「天」の書体が変わったのも、それなのでしょう。
戦前、戦後の国語審議会の名簿が文化庁のサイトに載っています。当用漢字が告示された21年4月当時のメンバーは以下の通りです。

国語審議会が戦前、漢字制限の中間発表をしたのは17年3月ですが、当時はどんな陣容だったのか、文化庁のサイトには、昭和18年5月現在の名簿も載っています。

◇5 上が長い昭和18年の「標準漢字表」の「天」
三宅正太郎、新村出、星野行則、宇野哲人、増田義一、幣原旦、竹越与三郎、大島正徳、五十嵐力、簗田𨥆次郎、藤村作、安藤正次、福田英助など、同じ顔ぶれが見て取れます。
とくに台湾総督府総務長官を務めた南弘は、昭和11年から亡くなる21年まで枢密顧問官の地位にあり、昭和9年の発足以来、一貫して国語審議会の会長を務め、当用漢字や現代かなづかいの検討を指揮した中心人物だったようですが、当用漢字の告示直前の21年2月に亡くなりました。21年4月の名簿に、「会長(欠)」とあるのはそのためでしょう。
「天皇」の「天」の書体の一画目が長いのは、戦後の国語政策、すなわち当用漢字、常用漢字の内閣告示が歴史の始まりではなくて、戦前・戦中の漢字制限に端を発していることが分かるのではありませんか?
念のため、最後に、文化庁のサイトに載る昭和17年6月の「標準漢字表」(国語審議会)の抜粋を転載します。第一画が長いのが分かります。

◇6 「戦前」を肯定しない歴史のタブー
ついでに、もうひとつ。
文化庁のサイトに、「漢字字体整理案」が載っています。説明によれば、昭和6年5月に臨時国語調査会で発表された常用漢字表文字の書体を整理したもので、康熙字典の字体がもとになっています。大字が整理字体、小字が康熙字典に載る字典体と説明され、「大部」の筆頭に「天」があります。
これだと、2画目が長いのです。しかも康熙字典体は1画目が長いとされています。

この「整理案」は昭和13年11月に国語協会から発行されています。ということは、「整理案」が発行された13年から、「標準漢字表」が公表される17年までのあいだに、「天皇」の「天」は第一画が長い、現代の字体に定まったことになります。その理由については「漢字表」では分かりません。
ネット上ですでに公開されている資料から、以上のことが理解されるのですが、なぜか戦後、字体が改まったかのような情報が流されています。戦前・戦中の国語改革の業績があり、これが現代に引き継がれていることを認めない歴史的タブーがあるということでしょうか?
蛇足の蛇足で、もうひとつ。昭和33年に文部省がまとめた「筆順指導の手引き」というのがあります。筆順の不統一を解決することが目的ですが、期せずして昭和23年の「当用漢字字体表」との不統一を生んでいます。「字体表」の告示を踏まえたうえでの「手引き」なのにです。

「当用漢字字体表」(抜粋、文化庁HP)はこちらです。23年の字体表は一画目が長くなっています。文部省がやっていることが、私には理解できません。不統一を解決しようとして、逆に不統一を招いた。それで、「どっちも正しい」と誤魔化しているように見えて、仕方がないのです。ほかならぬ「天皇」の「天」なのに、てんで話になりません。

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