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年度末の仕事終わり、風呂上がりの一杯と再読する理由

1.年度末という独特の疲れ
年度末というのは、なんとも言えない疲れ方をする。肉体的にきついわけでもないが、気が付けば肩が重く、頭の奥がぼんやりしている。
書類は増える。電話も増える。やたらと「今年度中に」という言葉が飛び交う。
不思議なもので、同じ仕事でも「年度末」という言葉がつくだけで、急に忙しさが二割ほど増す気がする。
そんな日が何日か続いたある晩。仕事を終えて家に帰った頃には、もう夜もすっかり更けていた。
台所の時計を見ると、だいたい九時半。夕飯は軽く済ませてしまったが、なんとなく一日の終わりが締まらない。
こういう日は、風呂がいい。熱すぎない湯に肩まで浸かる。しばらく何も考えず、ただ湯気を眺めていると、ようやく体の緊張がほどけてくる。
風呂から上がった頃には、心も少し軽くなっている。そして、ここからが本当の一日の終わりだ。
冷蔵庫を開けて、グラスを取り出す。風呂上がりの酒は、なぜか妙にうまい。栓を開けて、グラスに注ぐ。その音だけで、もう半分くらい疲れが抜けている気がする。
最初の一口を飲むと、体の中にゆっくりと熱が広がる。湯上がりの体に、酒の温度がちょうどいい。こういう時間は、誰かと飲むより、一人のほうが落ち着く。
テレビはつけない。スマートフォンも机の端に置いたまま。代わりに、机の上には一冊の本がある。今夜読む本は、買ったばかりのものではない。むしろ、何度か読んだことのある本だ。
つまり――再読である。


2.なぜ人は再読するのか
若い頃は、再読という習慣がほとんどなかった。本というのは、新しいものを読むものだと思っていたからだ。
書店に行けば、読んでいない本が山ほどある。図書館に行けば、もっとある。
だから、一度読んだ本をもう一度読むというのは、どこか贅沢というか、少し無駄な気がしていた。
しかし、年齢を重ねると、この考え方が少し変わってくる。むしろ逆で、再読こそが贅沢なのだと気づく。
同じ本を読む。同じ文章を追う。同じページをめくる。
それなのに、前とは違う感想が出てくる。ここが面白い。
再読していて一番驚くのは、「こんなこと書いてあったかな」と思う瞬間である。
確かに読んだはずなのに、覚えていない。いや、読んではいるのだろう。しかし、そのときは気づかなかったのだ。
行間の温度。登場人物のため息。場面の静けさ。
若い頃は、物語の「出来事」を追って読んでいた。誰が何をしたか、どういう結末になるのか。しかし、歳を重ねると、どうでもいいところが妙に心に残る。
登場人物が黙って酒を飲む場面。窓の外の夜の描写。何気ない会話の間。
昔は読み飛ばしていた部分に、妙な味が出てくる。酒で言えば、若い頃は強い味ばかり求めていたのに、年を取ると、やけにやさしい酒がうまく感じるようなものだ。
ふと考えると、酒と再読はよく似ている。同じ酒を飲んでも、その日の体調で味が違う。同じ酒でも、季節によって感じ方が変わる。
夏に飲む酒と、冬に飲む酒は、別物だ。
それと同じで、同じ本でも読む時期によって印象が変わる。
仕事が忙しい年。少し余裕のある年。家族の環境が変わった年。
人生のどこで読むかによって、本の顔は変わる。
だから、再読は「同じ本を読むこと」ではない。「違う自分で読むこと」なのだ。


3.年度末の夜に再読する理由
年度末というのは、気持ちがざわつく時期でもある。
人事の話。来年度の計画。終わっていない仕事。いろんなことが頭の中を回る。
こんなときに、初めての本を読むと、かえって疲れることがある。
物語を理解するのにも、少し力がいるからだ。その点、再読は気楽でいい。
ストーリーを追う必要がない。ただ文章に身を任せればいい。言葉がゆっくり体に入ってくる。まるで、ぬるめの燗酒を飲んでいるような読書だ。
再読する本は、だいたい本棚の奥にある。何度か読んだ本というのは、たいてい少し古びている。
ページの端が丸くなっていたり、紙が少し黄ばんでいたりする。それを見ると、妙な安心感がある。
この本は、昔の自分も読んでいる。もしかすると、十年前の夜にも、同じように酒を飲みながら読んでいたかもしれない。そのとき自分は、何を考えていたのだろう。
そんなことを思いながらページをめくる。読書というより、少しした時間旅行のようなものだ。
グラスの酒が、いつの間にか半分ほどになっている。時計を見ると、もう日付が変わりそうだ。ページも、気づけばずいぶん進んでいる。
だが、今夜は読み切らなくてもいい。
再読というのは、急ぐものではない。むしろ、途中で閉じるくらいがちょうどいい。
栞を挟んで本を閉じる。そして、最後の一口を飲む。年度末の夜。風呂上がりの体はまだ温かい。
今日も一日、いろいろあったが、こうして静かに終わる夜があるだけで十分だ。
そして机の上には、読みかけの本がある。明日の夜も、またこの続きを読めばいい。
それだけで、少し楽しみが残る。

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