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なぜSAPIX→鉄緑会→東大のエリートは、「ただの東大生」で終わるのか?


0. はじめに:これは他人の観察ではなく、自分自身の内省である

東大に入ると、必ず一度は耳にする言葉がある。東大までの人、という言い方だ。
入学時点が人生のピークで、あとは緩やかに減衰していく層のことを指す、身も蓋もない揶揄である。

奇妙なのは、この層に最も多く含まれるのが、最短ルートを完璧に走り切った人間だという点だ。
中学受験でSAPIXの上位クラスに居続け、鉄緑会に通い、現役で東大に入る。日本の受験システムにおける最適解を、一度も踏み外さずに実行した人々である。
彼らの多くが、卒業から10年経つ頃には、ただの東大生になっている。学歴という肩書きは残っているが、それ以外に語るものがない状態のことだ。

長らく私は、この分岐を能力の差だと思っていた。地頭、要領、体力、あるいは運。
だが、同期たちのその後を眺めてきて、私はまったく違う結論にたどり着いた。

彼らが突き抜けられないのは、優秀さが足りないからではない。
自分の人生を物語として認識する回路が、そもそも育っていない
からだ。

そして先に告白しておくと、本稿は他人の観察記録ではない。
私は4歳から受験競争のレールに乗せられ、SAPIX的な環境で育ち、テストの点数と偏差値を絶対的な価値基準として人格を形成した、まさにその典型例である。
つまり私は、本稿において、解剖する側ではなく、解剖される側の人間だ。

1. 完璧なコースを走った人間には、物語の第一幕がない

1.1 物語には「出発」が必要である

神話学者ジョーゼフ・キャンベルは、1949年の『千の顔をもつ英雄』において、世界中の英雄譚に共通する構造をモノミス(単一神話)として抽出した[1]。
彼が整理した英雄の旅は、出立・イニシエーション・帰還という三部構成をとる[2]。その第一幕である出立とは、主人公が慣れ親しんだ日常世界を離れ、境界線を越えて非日常へ足を踏み入れる段階を指す[3]。この越境がなければ、物語はそもそも始まらない。

ここに、SAPIXから鉄緑会を経て東大に至ったエリートが抱える致命的な欠陥がある。
私たちの人生には、出発がない。

1.2 非日常が、生まれたときから日常だった

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