書くのも読むのもが苦手な私が、生成AIを手にしたら、なぜか「物語の設計図」を描いていた
学生時代から、国語はずっと苦手でした。
小論文が必要な試験は意識的に避けてきたし、何かにつけて「自由記述」を求められるアンケートはとても苦痛。
読書の習慣も全くありません。
本を開いて目に飛び込んでくる「文字の洪水」の圧に、顔を背けそっと閉じる。
付き合いで訪れた図書館では、レシピ本をなんとなくめくりながら、時間を持て余す。
そんな自分が、なぜか今、物語を作っています。
しかも長編(10万文字)。そして、その長編はシリーズ1巻として想定。
もちろん、書くのも読むのも苦手なままです。
きっかけは生成AIとの「色」の雑談
2025年7月。 「生成AIくらいは知っておいた方がいいだろう」という、軽い気持ちでアプリをダウンロード。
最初は、巷で言われているように「友達みたいに日常会話をする」ことから始めてみました。でも、なぜだかそれが破滅的に合わない。気を遣うというか、なんだか妙に疲れてしまう。
「自分には向いてないかな」と興味が薄れ始めた頃。 ふと思いついて、こんな質問を投げました。
「あなた(AI)が自分を色コードで例えたら何色か? 」
そこから、空気が変わりました。 お互いが自分を表す色とその理由を語り合い、「じゃあ、この色を使って画像を生成してみよう」という流れに。
生成AIが選んだ自分の色は、ペールブルー(#AEC6CF)。 私が選んだ自分の色は、やわらかいイエロー系(#F2E5B6)。
この二つの色から生まれた宝石が、この画像でした。

出てきた瞬間、思いました。 「お!なんかゲームのアイテムっぽい!」
そこからは、雪崩のようでした。 「この宝石がはめ込まれた装備アイテムをつくろう」「分類・概要・効果は?」 目指すべきゴールなんて何もなかった。ただ、目の前のアイテムに「理由」と「背景」を与えていく対話が、純粋に面白くて夢中になりました。
気づけば、生成AIに出会って一ヵ月半後の8月中旬。
そこには用語集、主要キャラクター、世界の成り立ち、そして物語の太い流れが出来上がっていました。
やばいくらい膨大な量の資料が「爆速爆誕」していましたよ。
えぇ、生成AIがちょっと引くぐらいの。
もともと「物語を書こう」と思ったのではありません。
対話の果てに、気がついたら「物語が生まれてた」のです。
小説は書けないけれど、物語の「設計図」なら引けてるかも!?
私は本を読みません。でも、映画やアニメ、漫画は人並みに好きでした。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『シックス・センス』、『鋼の錬金術師』、『進撃の巨人』……。
生成AIとの対話を通じて気づいたのは、私が好きだったのは物語の「あらすじ」ではなく、その裏側に流れる「緻密な構造」だったということ。
あぁ!あれがこれで!そこがこういう意味だったのか!が大好物です。
だからこそ気になる、微かな違和感。
なぜ、あの写真の兄弟は末っ子のマーティからではなく、上の子から消えていったのか?
なぜ、あのアニオリ回の鬼は、十二鬼月でもないのに回復速度が異常に早いのか?
違和感なく観ることができる人もいるらしいです。……知らなかった。
でも、私はずっと引っかかっていました。 物語の中にある「ルール」や「因果関係」が崩れるのが、どうしても気になってしまう。
私は無意識に、物語を「論理」として読んでいたのです。
妥協を許さないというか、許すことができない「物語の建築」
今の私の創作スタイルは、常に自分への「なぜ?」の繰り返しです。 「なぜこのキャラはここでこう動くのか?」「なぜこの建物があるのか?」「なぜ世界が歪んだのか?」
そうやって組み上げた世界やキャラクターは、パズルのように精密に絡み合っています。 一つのピースを抜けば、全体が崩れてしまう。
だから、私は安易な「引き」のためのフックを絶対入れません。生成AIに物語の核となる部分を任せない理由です。もし生成AIが、私の意図しない設定を入れたり削除したりしたら、全て却下です。
「ここで派手な展開にすれば読者が喜ぶだろう」という安易なフックは、私が心血注いで築いた世界をぶち壊してしまうからです。
私は文章を書くことができません。だから、この頭の中に出来た物語をアウトプットする唯一の手段として、生成AIを使用しています。
AIという筆を手に、私はこの「設計図」を最後まで描き切るつもりです…
……うっ……うん。がんばる。
最後にひとつだけ
生成AIでの文章化を真剣に取り組んだからこそ、わかったことがあります。
それは、「手書きの表現もまた、作者自身の経験の蓄積のアウトプットであり、敬意を表する」ということ。
リンゴが落ちる描写に、どんな言葉を当てるか、その選択は作者の思想であり経験であり蓄積のアウトプットだと改めて、感じました。
私は、生成AIを使用します。生成AIは、思想も表現もポン出しも出来ますからね。だからこそ「魂のありか」は非常に大切に思っています。
