見出し画像

「感想文」#灯火杯


「感想文」


香織は小学校六年生の娘、栞が書いた感想文を読んで、首を傾げた。課題図書は、交通事故で両親を一度に亡くした少女が夢を諦めずに、前を向いて生きていくという児童文学だった。原稿用紙三枚に感想を書くのが、この夏休みの宿題だった。
冒頭には、こう書いてあった。

『私は、この本を読んでお母さんのことを思い出しました』

――私を?
香織は、どんな内容なのか知らない。だが、なんとなく嬉しく誇らしい気持ちになった。そこからは普通の感想が続いた。

『私は、主人公が可哀想だと思いました。でも、どんなときでも前を向いているのは、素晴らしいと思いました。これからは、もっと家族を大切にしていきたいです』

そして最後に『お母さん、今までありがとう』と書いてあった。
夕食のとき、香織は栞に訊いてみた。
「あの感想文の最後、どうして、私にありがとうなの?」
「お母さんが読みたいって言ったから」
「それだけ?」
「うん、それだけだよ」
ハンバーグを口に運びながら、栞は香織の目を見つめた。香織は原稿用紙をテーブルの上に置いた。
「上手に書けてるじゃない。きっと先生、誉めてくれるわよ」
「そうかな」
「そうよ」
夕食が終わると栞は原稿用紙をそのままにして、二階の自分の部屋へ行ってしまった。香織は珈琲を煎れ、もう一度原稿用紙を手に取った。なんとなく気になったからだ。リビングのソファに身をあずけ、感想文を読む。
『お母さんは夜になると眠れなくなりました』

課題図書をめくってみたが、そんな場面は見当たらない。
『お母さんは二階の寝室で泣いていました』
母親は亡くなっているのだ。そんなはずもなかった。
『冷蔵庫の横の青い箱に気をつけて』
『お父さんは夜遅くに庭に出ました』

何を言っているのだろう。これは感想文?それとも我が家のことだろうか。
栞に訊いてみよう! そう思って、香織が立ち上がったとき夫が帰って来た。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 香織は反射的に原稿用紙をリビングボードの引き出しにしまった。夫には見せたくなかった。

 三日後、夫が警察に連れて行かれた。任意の事情聴取だと言う。一ヶ月ほど前におきた、夫の同僚の女性失踪事件の重要参考人だと言う。
「すぐに帰って来るから」
夫は何も知らないと一笑した。警察も決定的な証拠を握っているわけではないらしい。
 ただ、失踪した女性のスマホの位置情報が最後に途切れたのが、夫の車の移動履歴と一致していたという。
 我が家だった。
「お母さん」
夫が連行され、玄関に立ち尽くしていた香織に、背後から栞が声を掛けた。
「あの感想文、やっぱり出さないよ」
「どうして?」
今更、娘の夏休みの宿題など、どうでも良かった。
「だって、あれ感想文じゃないもん」
「え……」
「あの夜、見たことを書いたの」
香織は栞の頬を両手で包んだ。
「何を見たの?」
「お父さんがお姉さんを庭に埋めるところ」
香織は息が止まる思いだった。
「お父さん、お母さんには言うなって」
「それで感想文に?」
「そう。告発しようと思って。でもお父さん捕まっちゃったから、もうその必要ないよね」
栞の瞳が、とても大人っぽく光った。香織は感想文を思い出した。

『冷蔵庫の横の青い箱に気をつけて』
『お母さんは二階の寝室で泣いていました』
『お父さんは夜遅くに庭に出ました』

ーー青い箱は睡眠導入薬。眠れない私のために夫が処方箋をもらって来てくれた。
あの日もそれを飲んで……。いえ、待って。あの夜は飲んでいない。

「お母さんも見てたんでしょう?」
栞の瞳が香織を突き刺す。
「……」
「大丈夫。私は言わないよ。だって家族は大切にしなくちゃ」
そう言った栞の顔は、どこか夫に似ていた。栞はリビングに行くと引き出しから、あの原稿用紙を取り出した。
「お母さん、お父さんに見せなかったでしょう?」
「……」
「私達、殺人犯の家族になっちゃうね」
「……」
「だから、これ捨てに行こう」
栞はポケットから見慣れないスマホを取り出した。
「お父さん、詰めが甘いんだもん。お母さん、早く車出して」



(了)


灯火杯に参加させてくださいね。
よろしくお願いします。


いいなと思ったら応援しよう!