京都日帰り、ストリップ。未知への12時間
目の前のステージで踊るこの人は、なぜこのステージに立っているのか。
今日ここにいるこの人は、なぜここにいるのか。では、私はなぜここにいるのか。京都へ日帰りでストリップ劇場を観に行ってきた。やらなければならない仕事はある。たくさんある。家で机に向かうように、新幹線でパソコンに向かう。やることは一つ、書くことだ。家で座っていても、新幹線に乗っていても、同じだ。ならば、声をかけてもらったストリップを観に行こう。
朝7時に家を出て、8時の新幹線に乗り、12時からのストリップを2時間観て、新幹線に乗れば、夕飯までには家に着く。本当に行くのか?と揺らいでいたけど、昨日心を決めた。
DX東寺劇場(デラックスとうじげきじょう)
京都駅から15分くらい歩くと、住宅街にすんと看板が現れる。黒地に白文字の黒電話カラーの落ち着いた看板は、辺りに馴染んでいた。ここがストリップ劇場?と目を疑うくらい、建物や看板には派手さはない。入り口まで行くと、今日の踊り子さんたちの看板が張り出されている。本当にストリップ劇場なのだと実感が湧いてくる。
おじさんにお金を払うと、券売機で券を買ってくれた。女性は3千円、男性は5千円。会場手前にはロビーがあり、そこで唐揚げくんを食べた。開場に入ると奥のステージから手前に向けて花道が伸びている。花道の先には丸いコンパクトなステージがある。上を見上げると、年季の入った天井にミラーボール。ステージを2階から照らす照明係。
花道をU字がたに客せきが囲む。12時から2時間で4人の踊り子さんたちのショーが観られる。1ステージ終わるごとに、その踊り子さんと1枚千円でポラロイドで写真を撮ることができるサービスタイムが設けられている。
初めて観るストリップ。最後まで観て、行ってよかった。踊り子さんたちのステージを観て、感じたことを忘れないようにメモしておきたい。
裸で踊るとは、表現の極み。厳密には、裸ではない。この京都の劇場ではパンツは脱げないそうで、パンツは履いているし、何かしらの羽織があったり、ビーズの飾りをつけていたりした。でも、ほぼ裸だった。
何も知らずに想像していたようなエロやセクシーというよりも、もっと違う何かを感じた。職業としてのストリップ。何の武器も持たない丸裸の自分でステージに立つ踊り子さんは、プロだった。書く、歌う、演奏するという表現があるように、踊り子さんたちの踊りには、その人が詰まっていた。
指先から、つま先、表情、髪の毛まで。すべてが見えていて、すべてが商品のような、サービスのような。全身で勝負している。いろんな身体の形があって、ひとはそれぞれなのだと知る。客はステージで躍動する踊り子さんの身体を見て、感じる。何を思うのだろう。人間の肉体が躍動するのを、無心で観られるのもいいのかもしれない。
文章を通して届けたいことがあるように、踊り子さんたちには、踊りを通して表現しているものがある。自分の身体を通して表現している。しなやか動きや、ポップな動きや、表情まですべてにその人がにじんでいる。
この人はなぜここで踊っているのだろう。ここで踊ることにたどり着くまでの物語に思いを馳せる。踊るのは身体であり、その人の心だ。表現するために自分の身体があるのなら、その身体を磨くだろう。お客さんに伝わるように、その身体自身が魅せるよう。
8月で引退するというベテランの踊り子さんがとりを飾った。圧巻の美しさだった。言葉はないのに、目が話をしていた。つま先から指先まで一糸乱れぬ、プロだった。踊りの後の、撮影会でのトークも立ち振る舞いにも勝手に愛を感じてファンになる、一瞬で。さっきまで妖艶なステージを観せてくれていた人が、昨日、伏見稲荷に登ってきたと身近な話をしてくれて親しみを感じる。ステージとのギャップに萌えるのかもしれない。ポラロイドで一緒に写真を撮ってもらい握手をして終わる。その手は柔らかくて、気持ちよかった。
たった十数分、ワンステージでひとを魅了するこの踊り子さんのように、表現できるひとになりたい。閉じずに、自分を開いていく。表現方法はさまざまだ。
歩んできた道、背負うものは、身体にも顔にも表現にも現れる。服は着ていても、隠せないものがある。人間はまるごと自分で生きていると感じる。
文章も同じだ。服を着ることはできない、まる裸をさらしている。指先からつま先まで磨いていこう。観てくれるひとがいたらうれしいし、観てもらえなくても、書き続けるだろう。
もうひとつ、ストリップ劇場に通うファンのひとたちの物語も垣間見えた。いろんな劇場を行脚しているひと、踊り子さんの追っかけをしているひと。男性だけじゃなく女性ファンも。自分も含め、ひとつの劇場に集まるひとたちの物語がそこで交差している。
なんでこの人は今日ここに来てるんだろう。いつもどんな暮らしをしているのだろう。言葉を交わしたくなる。いろんなフェチの人もいて、興味深い。今度はゆっくり、1日かけて4ステージを観てみたい。そして、小倉にもあると聞いたので、小倉をはじめ他の劇場も行ってみたい。
もうひとつ、感じたことを残しておこう。ストリップのステージには、物語があった。音楽に合わせて踊るのだけど、最初は脱がない。露出も少ない衣装で踊る。曲が変わると、少しずつ薄着になり、露出が増えていく。観ているこちらは、徐々に期待が高まっていく。でも大事なところは簡単には見えない。踊り子さんの踊りを見ながら、知らぬ間に、期待している自分がいた。まだかな、まだかな、もうすぐかな。チラリハラリと、布は舞う。
最初からすべてを公開するのではなく、大事なところは隠しておく。そして、徐々に期待値を高めていく。これは文章にも通ずるのではないか。最初に現れた印象とのギャップが大きいほどに、盛り上がる。主人公が変化していく過程を見守りながら、変化の大きさに興奮を覚えるのではないか。1ステージごとに、だんだんハマっていく自分がいて、それも面白かった。
2時間で4人のステージを観て、ハンバーグを食べて15時25分の新幹線に乗って帰る。コリスの大好物、八ツ橋もたくさん買った。19時には家に着いて、朝作っていたそぼろご飯をいっしょに食べた。12時間の未知への旅。
2026年7月1日、人生で初めてストリップを観た日を、忘れないだろう。

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