芋出し画像

【創䜜倧賞2025】応募䜜品 心の声を、聞いお

いく぀かの蚘事を投皿しながら、「創䜜倧賞2025」に応募しおみるこずにしたした。
応募を決めたのは、自分の実䜓隓をもずにした物語を、倚くの人に届けたいず思ったからです。

私が描きたいのは、
子どもの心の䞭にある「助けお」ずいう小さな声。
それに気づいおも、芋お芋ぬふりをするしかない倧人の無力感。
そしお、たずえ声をかけおも、その優しさに気づけない子どもたちの孀独です。

母子家庭、貧困、芋えにくい家庭の問題――
そんな珟実に、少しでも光を圓おられるような䜜品を目指しおいたす。




1.借家で始たった暮らし


物心぀いたずきから、私はボロボロの借家に䜏んでいた。

土壁はずころどころ剥がれ、畳はふかふかず沈み、抌し入れの底は氎が滎っおいた。

台所は湯沞かし噚ず2口のテヌブルコンロに、远い炊きだけができる小さな颚呂釜に、氎掗ではないトむレ。

借家だけど2階はあった。

その家に䜏み始めたのは、私が二歳のころだずいう。

けれど、今でも䞍思議ず芚えおいる情景がある。

ある倜、眠っおいたはずなのに、ふず目が芚めた。

芋慣れない倩井。芋慣れない郚屋の匂い。

そしお、隣の垃団で肩を震わせながら泣いおいた母の姿。

その背䞭を、祖母がゆっくりずさすっおいた。母の声はかすれおいたけれど、「倧䞈倫だから」ず、䜕床も䜕床も繰り返しおいた。

あのずき、䜕が起きおいたのかは、今でもはっきりずはわからない。

けれど埌になっお、祖母がぜ぀りずこう蚀った。

  「同居しおいた家から逃げおきたのよ」

"逃げおきた倜" の蚘憶は、なぜ今もこんなに鮮やかに残っおいるんだろうか。

そのうち父もやっおきお、家族四人での暮らしが始たった。

母は本圓は、離婚を芚悟しお逃げおきたのだずいう。

けれど、父が「離婚したくない」ず蚀い、借家での生掻が始たった。

母方の祖父母も近くに䜏んでいお、日々の暮らしは慎たしくも、あたたかかった。

近くに䜏んでいる祖父母が、いろんなこずを教えおくれるのが楜しくお、祖母の昔話をよく聞いおいた。



2.祖母が蚀った「あの子を守っお」


私が小孊䞀幎生のずき、母のいずこが近くに匕っ越しおきた。

そこの子どもは、ちょうど私ず同じ幎頃の男の子で、生たれたずきから定期的に家族で䌚っおいた。

だから家の近くに匕っ越しおきたずきは、すごく嬉しかった。

小孊校から垰るず、圌らが家にいた。倧奜きだったからずにかく嬉しかった。

でも、圌らが匕っ越しおきた理由は、子どもだった私には理解できなかった。

埌から知ったのは、母ず祖母がいずこの状態を「䜕かおかしい」ず察しお、家を蚪ねたらしい。蚪ねたその家には、倧人の姿がなく、腐りかけたご飯だけがテヌブルに残されおいたずいうこず。

お腹を空かせた子どもたちは、母ず祖母が買ったハンバヌガヌを必死に頬匵ったそう。

祖母は蚀っおいた。

  「あの子たち、本圓に蟛そうだったの」

子どもだった私には、どう助けたのかなんおわからなかった。

だけど、ひず぀だけ心に深く焌き぀いおいるものがある。

それは、泣いおいるのに声を䞊げない圌の姿。
涙が頬を䌝っおいるのに、圌はただじっず耐えおいた。

匕っ越しおきたばかりのある日、祖母が私に蚀った。

  「あの子を、守っおあげお。」

その蚀葉が、私の胞にすずんず萜ちた。

だから私は、「守る」ず決めた。
䜕から守るのかも、守るっおどういうこずかも、よくわからなかった。
ただ、䞀緒にいるこずが「守るこず」だず、小孊䞀幎生の私は信じおいた。


圌に、もう泣いおほしくなかった。


それからは、い぀も䞀緒だった。
お互いの兄も含めお四人組だったけれど、気づけば私ず圌、ふたりでいる時間のほうが長くなっおいた。


3. 圌が䜜っおくれた小さな䞖界

それから、月日はゆっくりず流れおいった。

圌も笑顔が増えおいった。あの頃の泣いおいる姿が浮かばなくなるほどに。

私たちはお互いに少しず぀、成長しおいった。
奜きな人の話も、倢の話も、䜕でも話し合える関係になった。

秘密基地をたくさん䜜っお、䜕も持っおいなくおも心から楜しかった。

段ボヌルで䞀人郚屋を䜜ったり、机に毛垃をかけおお城を䜜ったり。

カヌテンにぶら䞋がっおタヌザンごっこをしたり、傘で本圓に空を飛べるかどうか詊したり。

流行りの戊隊ヒヌロヌやアニメの名シヌンを、真䌌しお遊んだり。

お金はなかったけれど、笑い声はい぀もそこにあった。

だけど、その笑いの背景には、祖父母の静かな圱があった。

戊埌の貧しさを生き抜いた祖父母は、ずおも匷くお、そしお子どもたちの寄り添い方を本圓によく知っおいた。

䜕も持たない私たちに、蚀葉にならない優しさを䞎えおくれた。

私たちが安心しお笑顔でいられたのは、祖父母の存圚があったからだず思う。その圱響は、今思えば、蚈り知れないほど倧きかった。

圌が私にくれたものは、今でも心をあたたかくする倧切な思い出。

人圢ごっこに必芁なものは、めったに買っおもらえなかったけれど、唯䞀サンタさんは来おくれお、人圢だけはあった。

おもちゃがもらえるから、本圓にサンタさんはいるんだっお信じおいた。

でも、人圢の本䜓があっおも、着せ替えの服やタンス、ハンガヌはなかった。

そんなずき、圌が段ボヌルでタンスを、クリップでハンガヌを䜜っおくれた。

  「これ、䜿えよ」
    ――照れくさそうに笑った圌の顔は、今でも心に残っおいる。
      涙が出るほど嬉しかった。


「買えない」䞖界の䞭で、圌が䜜っおくれた小さな䞖界。私のためだけの、たったひず぀の宝物だった。

秘密基地を芋぀けおくるのは、い぀も圌だった。

誰よりも先に芋぀けお、真っ先に私に教えおくれる。

私にずっおも、圌にずっおも、かけがえのない、たったひず぀の存圚だず信じお疑わなかった。

段ボヌルの収集堎所を秘密基地にしたこずもある。

積み䞊がった段ボヌルの山の䞭で、宝探しのように遊んでいた。

だけど、そのずき偶然、同玚生の家族が段ボヌルを捚おに来お、子どもが「僕も遊びたい」ず蚀った。

その子の芪は、たるで汚いものを芋るように、子どもの手を匕いお「行くよ」ずさっず立ち去った。

そのずき胞に残った、うたく蚀葉にできない悲しさを、私は今でも忘れおいない。

私たちは通孊団には入らず、い぀も遅刻垞習犯だった。

呚りの子たちから冷たい目で芋られるこずもあった。

でも、人だからどうにか笑っおいられた。

遅刻しお、寄り道しお、こっそり孊校に行く毎日だった。

芪がパチンコに行っおしたっおも、人で遊んでいれば、どこか安心できた。

圌がそばにいれば、倜の道も怖くなかった。

たたに兄ず人きりのずきは、少しだけ怖かったけど。


そんなある朝、遅刻ばかりしおいた私に、担任の先生が腕を掎んで蚀った。

  「芪が起こしおくれなくおも、
     自分で目芚たしかけお起きなさい。自立しなさい」


そのずきの先生の衚情は、今でも忘れられない。
怒っおいるずいうより、䜕かを必死に䌝えようずしおいた。

でも、圓時の私は、ただわかっおいなかった。

母は、よく倜䞭に私たちを公園に連れお行っおくれた。

誰もいない倜の公園は、しんず静かで、たるで䞖界に私たちだけしかいないようだった。

滑り台もブランコも独り占め。あの時間は、子どもだった私には倢のように楜しかった。

けれど、倜曎かしすれば、圓然朝は起きられない。

  「行きたくないなら、無理しお孊校なんお行かなくおいいよ」

そう蚀っおくれる母の蚀葉に、私は甘えおいた。

父も母も、倜遅くたでパチンコに行っおいた。

だから、先生の蚀葉は、私にはただ戞惑いを残すだけだった。

守る察象だったはずの圌。
でも、ふず気づくず、その圌に守られおいたのは、もしかしたら私の方だったのかもしれない。

恋ずはただ呌べない、淡くお静かな恋心。
けれど、呚りの倧人たちは、そんな私たちを埮笑たしく芋るこずはなかった。
子どものころはよくわからなかったけれど、たしかに感じおいた。
倧人の冷たい芖線。
気づいおいおも、䜕も蚀わない。䜕もできない。あるいは、䌝えおくれおいおも、私たちにはそれがわからなかったのかもしれない。

だから、私たちは自然ず、䌌た家庭環境の子どもたちずだけ仲良くなるようになった。わかり合える子ずだけ、そっず寄り添い合っお。
お互いを、心の支えにしおいた。


4.倉わり始めた景色


小孊四幎生になったころ、少しず぀、䜕かが倉わり始めた。

クラスが離れたこずもあったけれど、それ以䞊に、圌の家庭が目に芋えお壊れおいくのがわかった。

目に芋える圌の家庭の倉化ずは察照的に、自分の家もじわじわず厩れおいたのに、私はそれに気づいおいなかった。

圌は、真冬でも長袖を着おいなかった。

「暑いから 寒くないから」ず、い぀も笑いながら蚀っおいた。

でも、それが匷がりだずいうこずに、あのころの私もなんずなく気づいおいた。

倏ぱアコンのない家で過ごせず、空調の効いた斜蚭ぞ避難。

冬は暖房が䜿えず、郚屋を真っ暗にしお、毛垃にくるたっお寒さをしのぐ。

そんな圌らを、私はよく自分の家に呌んでいた。

ボロボロの借家ではあったけれど、かたがこ板で補匷したこた぀があり、少しでも冷颚の出るクヌラヌがあり、私の祖父母もパンやおや぀をくれるだけ、圌らよりはたしな暮らしだった。

圌はい぀しか、栄逊倱調のような症状を芋せはじめおいた。

私は、祖母に教わる線み物や工䜜に倢䞭になっおいお、い぀の間にか、圌ず過ごす時間が少しず぀枛っおいった。

泣く顔を芋るこずがなくなったから、もう、倧䞈倫。

あのころの私は、勝手にそう思っおいた。

――厩れ始めおいたこずにも気づかずに。

だから、圌が同じような境遇の男の子ず䞀緒にいるこずが増えおきたずき、私は少し寂しかった。

その男の子のこずを、だんだん嫌いになった。

きっずその子も、私のこずを嫌っおいたず思う。

私の家でも、父が家にいる時間が増えおいった。

母が頑匵っおいるこずは、子どもながらに感じ取っおいた。

父は楜倩的な性栌だった。いや、貧しさがそうさせおいたのかもしれない。

お金もないのに、旅行を蚈画したり、宝くじを買ったり、パチンコに行ったり。

今になっお思えば、おかしなこずばかりだった。

母は、それを子どもに悟らせたいず、陰で必死に支えおいた。

倜䞭、父ず母が喧嘩しおいるのを、こっそり芋おしたったこずもある。

でも、父は子どもの前では母に甘え、母もたた、それを黙っお受け止めおいた。

パチンコに通っおいたのは、きっず母自身の心を守る、唯䞀の逃げ堎だったのかもしれない。

母が高熱を出しお寝蟌んでいた日、私は兄ず二人で、父の垰りをじっず埅っおいた。

やっず垰っおきたず思った父は、母の鞄から財垃を抜き取るず、䜕も蚀わずにたたパチンコぞ出かけおいった。

あのずきの光景は、今でも忘れられない。

このころ、家庭環境によるいじめも経隓した。

今でもはっきり芚えおいるのは、「しらみ事件」だ。

原因は明らかだったのに、なぜか私たちのせいになった。

教垫は、圌の兄が原因だず蚀い、それが圌に移り、さらに私にう぀ったずいう流れを䜜った。

私は長かった髪を、ばっさりず切るこずになった。

しらみが出おいおも、孊校偎は私にプヌルに入るよう匷く蚀っおきた。

祖母は戊時䞭のしらみの恐ろしさをよく知っおいたから、小孊校に盎談刀に行っおくれた。

この幎、私はプヌルに入れなかった。


教垫にずっおは、「普通の家庭」よりも、「貧しい家庭」の子どものせいにする方が、きっず楜だったのだろう。

そんなふうにしお、家庭にも孊校にも、少しず぀䜙裕がなくなっおいった。

祖母も母も、きっず圌の家庭の異倉には気づいおいたず思う。

けれど、自分の家を守るこずで粟䞀杯だった。

もう、助ける䜙力は残っおいなかった。

圌が私の祖父に蚀ったこずがある。

「俺、じいちゃんの逊子になりたい」っお。


5.日垞が消えた

ある日の倜、圌の兄が家に来た。

  「段ボヌル、ちょうだい」

  「䜕かに䜿うの」

  「うん、ちょっずね 」

そのずき、小さく「元気でな」ず聞こえた気がした。

でも、気のせいかもしれない。

䜕か違和感はあったけど、深くは考えなかった。

その翌日、圌らはいなくなっおいた。

倜逃げだった。

䜕も蚀わずに、突然に。

私はそのずき、小孊五幎生だった。

孊校で先生から聞かされた。

  「○○くんは、今日から転校になりたした」

その瞬間、頭が真っ癜になった。

私は、䜕も知らなかった。

䜕も聞いおいなかった。

「どうしお」ずいう蚀葉が、頭の䞭をぐるぐる回る。

誰かに䜕かを聞かれおも、声が出なかった。

私の日垞は、色を倱った。

音のない䞖界に攟り蟌たれたようだった。

圌らがいなくなった家の掃陀を、私たち家族で手䌝った。

誰も䜏たなくなったその郚屋に入った瞬間、
いろんな想いが、胞の奥から溢れおきた。

段ボヌルの切れ端。ちぎれた垃。ほこりをかぶった日甚品。

圌が倧切にしおいたおもちゃ。

あの日、確かにあったはずの笑い声の残像。

けれど、そこに圌の気配はもうなかった。

そのずき、私ははっきりず痛感した。

  子どもは、無力だ。

私はあのずき、「守りたい人を守るには、力がいるんだ」っお匷く思った。

どんなに願っおも、気持ちだけでは守れないこずがある。

手を䌞ばしおも、もう届かない珟実がある。

だから私は思った。

  守りたいず思ったずきに守れる力がほしい。
  匷くなりたい。

小孊䞀幎生のころ、祖母が私に静かに蚀った。

  「あの子を、守っおあげお。」

その蚀葉を聞いお、私は「守る」ず心に決めた。

けれど、あの頃の私は、ただ䜕もわかっおいなかった。

守るずいうこずの意味も、その重さも。

圌がいなくなっおも、明日は確かに来る。

もう䞀緒に歩くこずのない通孊路を、

灰色がかった景色を眺めながら、䞀人で歩く。

心の奥に、たた䌚える日をそっず秘めお。


6.再䌚は予想以䞊に早く蚪れた


小孊六幎生の倏。

突然、母の携垯が鳎った。

画面に衚瀺された名前を芋お、母の声色が倉わった。私はすぐに気づいた。

  「もしかしお——」

胞の奥が熱くなる。期埅を抌さえきれず、心がざわめいた。

そう。あの日、突然いなくなっおから、半幎。

再䌚は、あっけないほど早くやっおきた。

玄関の扉を開けるず、そこに圌がいた。

あの日以来、姿を消した圌が——。

その瞬間、蚀葉は出なかった。

代わりに溢れたのは、涙だった。

䞀歩も動けないたた、ボロボロず泣いた。止たらなかった。

䜕も蚀わず、ただぎゅっず抱き合った。

蚀葉なんおいらなかった。䌚えた、それだけで、䞖界が満たされた。

それからは、毎日のように電話をした。

  「ちゃんずそこにいる」

  「生きおるよね」

それを確かめたくお、䜕床も、䜕床も声を聞いた。

䌚うたびに、手をぎゅっず握りしめた。

二床ず離さないように。

圌が圓時よく聎いおいた曲を、母の運転する車の埌郚座垭でふたりで聎いた。

たった小孊生の男女だったけれど、次に離れるのが怖くお、思わず抱き合った。

さすがに芪が慌おお止めに入ったけれど、私たちはその䞀瞬すら名残惜しかった。

それでも私は、嫌いだったあの子に、圌が垰っおきたこずを知らせた。

圌がその子に䌚いたがっおいたこずを、私は知っおいたから。

本圓は、胞が匵り裂けそうだった。

それでも、自分の気持ちを抌し殺しお、圌を送り出した。

なのに——あの子は、私の目の前で扉を閉めた。

圌の姿が扉の向こうに消えおいく。

その音が、心の奥に突き刺さった。

そのずき、私はただ、黙っお泣いた。



7.途切れおしたったあの電話


ある日、母の携垯が鳎った。

ふず画面を芗くず、そこに衚瀺されおいたのは、圌の母の名前だった。

  「  私たちがここにいるこず、誰かに蚀った」

母の衚情が凍り぀いた。

胞の奥がざわ぀いた。

——たさか。

その予感は、すぐに珟実になった。

い぀ものように圌に電話をかけた。

けれど、返っおきたのは「ツヌ、ツヌ、ツヌ  」ずいう、冷たく突き攟すような音だけだった。

昚日たで、あんなに圓たり前に声を亀わしおいたのに。

  「なんで」「どうしお」「䜕があったの」

混乱、恐怖、焊りが、䞀床に心を抌し寄せおきた。

䜕床かけおも繋がらない。䜕床やっおも、同じ音が胞を突いた。

——たた、いなくなった。
あの時みたいに、突然に。

私は圌を探した。必死だった。

どこかにいる気がしお、走った。祈るように、名前を呌んだ。

でも、祖母も母も蚀った。

  「もう、諊めなさい。探したらダメよ」

どうしお

なぜ倧人は、こんなにも簡単に終わらせようずするの

私が嬉しくお、䜕床も電話したから

そのせいで、誰かに芋぀かったの

——守りたかったのに。

私のせいで、圌を危険にさらしおしたったの

答えは、どこにもなかった。
ただ、胞に残るのは、ぶ぀けようのない感情ず、埌悔だけだった。

小さな私は、その痛みをどうすればいいか分からず、ただ、揺れおいた。

埌になっお知ったこずがある。

圌は、私のランドセルに䞀冊の本をそっず忍ばせおいた。

私が気づかないように、静かに入れおいた。

埌で祖母が蚀っおいた。

  「䜕かを残しおおけば、たた䌚う口実になるっお、圌に教えたのよ」

だから圌は、あの本を残しおいった。私が圌にあげた本を。
い぀か、たた䌚う぀もりで——玄束の代わりに。

けれどその優しさが、かえっお私の心を瞛り぀けた。
本を抱きしめるたびに募る「䌚いたい」の気持ち。
でも、䌚えないずいう珟実が、その想いにぜっかりず穎を開けおいく。

ある日、孊校の授業䞭に、担任の先生が蚀った。

  「虐埅っお、殎ったり蹎ったりだけじゃありたせん。
         衣食䜏を䞎えないこずも、立掟な虐埅なんです」

その蚀葉に、胞の奥がぎゅっず締め぀けられた。

たるで、圌の家のこずを蚀われおいるようで——怖かった。

なのに私は、先生を“敵”のように感じおしたった。

誰にも頌れなかった。圌のこずを、他人に知られるのが怖かった。

それでも——先生はきっず、

私たちに盎接䜕もできないず分かっおいながらも、

それでも、䜕かを䌝えたかったのだず思う。


8.心の拠り所を抱いお、私は生きた

二床目の別れは、䞀床目よりもずっず蟛かった。

圌が「駅䌝郚に䞀緒に入ろう」ず蚀っおくれた蚀葉を胞に、走るのが嫌いだった私は、䞀人で駅䌝郚に入った。

圌がいたら、きっず隣で走っおくれたのに――。

  「なんでここにいないんだろう 」

そんな気持ちが、胞を離れなかった。


だけど、圌のこずだけを考えおいられる環境では、もうなかった。

私の家庭も、ゆっくりず厩れおいった。

母が初めお泣いた。その姿を芋お、「今床は私が母を守ろう」ず思った。

母を泣かせる父が嫌いで、私は家事を頑匵った。

「スヌパヌで䞀番安いものを知っおいるのは、きっず私」
䞭孊生だった私は、そんなこずに少しだけ誇りを持っおいた。

でも――自転車も買えない。絊食費も払えない。

郚掻の費甚は高すぎお、匷制参加なのが恚めしかった。


新しい環境ず、珟実の苊しさに抌し぀ぶされ、私は䞍登校になっおいった。

兄も怪我が倚く、䞍登校になっおいた。

圌を勝手に心の拠り所にしお、珟実から逃げおばかりだった。


そんなずき、母が劎灜事故で怪我をし、父が倧病に倒れた。

芪の離婚が決たった。


  玙枚で、家族ではなくなった。

病院のロビヌで家族䌚議が開かれ涙をこらえた。

離婚を告げたずきに芋た、父方の祖父の冷たい芖線が今でも忘れられない。

小さいころ、「倧奜きだよ」ず抱きしめおくれた祖父の姿はなくなっおいた。

  玙枚で、愛情も途切れるこずを知った。

母方の祖父ず叔父はずおも厳しくなった。

私たちに珟実を教えるために。

離婚しおからは、兄も私も䞭孊校ぞ行くように努力した。

ある日、䞭孊校の郚掻動の先生が蚀った。

  「なんで郚掻に来ないんだ」ず、冷たい目線で。

でも、家庭の事情を話すず、

  「早く蚀っおくれればよかったのに」ず、優しくなった。

――早く蚀ったずころで、䜕が倉わったずいうのだろう。

お金でもくれるの

郚掻動を匷制にする必芁がそもそもあるの

そんなふうに思っおしたった。

私も兄も、進孊する぀もりはなかった。

けれど、母が「高校には行っおほしい」ず泣いたから、自分たちで進孊先を決めた。

兄は工業高校ぞ、私は商業高校ぞ。

高校時代は、母の劎灜の裁刀、祖母の介護、祖父の厳しさに、

心が折れそうな毎日だった。

叔父に蚀われた。

  「誰かが幞せになるには、䞍幞になる人間も必芁だ」

叔父のこずは尊敬しおいた。

その叔父からそんな蚀葉が返っおくるずは思わなかった。

だんだん涙を流すこずもなくなった。

でも、高校で初めお心を蚱せる友達ができた。

だけど、圌のこずを忘れおしたいそうで、䞍安になった。

それでも、勉匷の面癜さを知り、私は倧孊進孊を決めた。

圌がいないたた――
小孊校を卒業し、䞭孊ぞ、高校ぞ、倧孊ぞず、時間だけが残酷に進んでいった。

お互いの今を知らないたた、ただ歳だけを重ねおいく。

あんなに近くにいたのに、今ではこんなにも遠い。

玄束の本を抱いお、圌を思い出すこずが、私の矩務みたいになっおいた。

人の思い出の堎所にも人で足を運んで、い぀も圌のこずを思い出しおいた。


圌を心の支えにするこずで、玠盎で笑い䌚えた日々があったから、私は私でいられた。

 


9.“䌚えた”ず思った、その先にあったもの

私は倧孊生になった。SNSが少しず぀広たり始めおいた。
倧孊䞀幎生の倏。

  「圌も、もしかしたらやっおるかもしれない」

そう思っお、怜玢しおみた。

  ――衚瀺された。

その瞬間、心も手も震えた。
すぐにメッセヌゞを送り、やり取りが始たった。

  「本圓に、たた䌚えるかもしれない」

そう思った。

でも――違った。

  それは“なりすたし”だった。

しかも盞手は、圌の芪友で、私が倧嫌いだったあの子。

私は知らなかった。圌もたた、耇雑な家庭で育っおいたずいうこずを。

その子は蚀った。

「自分も、“いなくなった圌”をずっず探しおいた」ず。

どうやら圌は、私だけでなくその子にも、䜕かを預けおいたらしい。

“たた䌚える”ず信じお。

だから、嫌いだったあの子も、私ず同じように逃れられなくなっおいた。

発想たで同じだった。

「同じ髪型でいれば、偶然すれ違ったずきに気づいおもらえるかもしれない」
――同じ考え方が、正盎、嫌だった。

圌は専門孊校を䞭退し、毎日野菜ゞュヌスず、わずかな食事だけで生きおいた。

哀れに芋えお、同情しおしたった。

そしお、奇劙な関係が始たった。

呌ばれたら、圌の郚屋に行く。そんな日々。

䌚うたび、人で“圌”の話をした。

お互い、ずっず嫌いだったはずなのに――

圌の話題で、私たちは぀ながっおいった。

たぶん、私たちにずっお、

呚囲が圌を「いなかった存圚」にしようずするのが、蚱せなかったのだ。

皮肉なこずに、䞀番嫌いだったその子が、䞀番理解し合える存圚になっおいた。

でもある日、ふず思った。

  「このたたじゃダメだ」

そうしお私は、その子にこう告げた。

「私ね、もう“圌”を探すのをやめるこずにしたよ。

だっお、自分の足で歩ける幎霢になっおも、圌が来ないっおこずは――

“䌚いたくない”っおこずなんだよ」

ようやく私は、“圌”を忘れる努力を始めた。

そしお初めお、“自分だけの人生”を考えようずした。



10.倧人になった私たちは別々の道を歩んでいく


私は瀟䌚人になった。

ふず、いなくなった圌のこずを思い出した。

忘れるず決めたあの日から、もう五幎ほど経っおいた。

あの頃よりも、SNSはずっず普及しおいた。

出䌚い系ではない堎でも、本人が顔出しするのが圓たり前になり぀぀あった。

圌の兄は新しいもの奜きだったから、もしかしたら――兄の名前で怜玢すれば䜕か出おくるかもしれない。

そんな軜い気持ちで、怜玢しおみた。


そしたら、本圓に出おきた。

そしお、その友達リストの䞭に、圌がいた。


プロフィヌルは玠っ気なく、写真もなかった。

だけど、圌の兄ず䞡芪だけが登録されおいお――私は間違いないず確信した。


もう、手は震えなかった。

でも気づけば、メッセヌゞを送っおいた。


このずき、私は24歳だった。

もしかしたらたた“なりすたし”かもしれない――

そんな䞍安を抱えながら、倜の公園ぞひずりで向かった。


そこにいたのは、圌だった。


もう、涙は出なかった。


  「元気そうでよかった。䌚いたかった」

そう、私は぀ぶやいた。


思い出話に花が咲いた。

  「あんなこず、あったね」

  「こんなこずもあったね」

――圌ず䌚えなくなったのは、小孊六幎生のずきだった。

あれから、もう十幎以䞊の時が経っおいた。


お互いの“その埌”を知らない。

その距離が、くすぐったくもあり、少し寂しくもあった。


圌は䞭卒で働いおいた。

高校にはバむト代で通ったけれど、父芪の䜿い蟌みが原因で退孊になったらしい。

母芪は再婚し、圌はその家に䜏んでいるずいう。

兄は今、家に䞀時的に居候しおいお――たたたた今だけ、フレンド登録しおいるず圌は蚀った。


  「俺の芪は、ようやく“倧人”になった」


圌がそう぀ぶやいた。


その蚀葉がずおも重たくお、錻の奥がツンずした。


私は自分の過去や掻躍しおいる仕事の話をした。

圌はふっず衚情を曇らせお蚀った。

  「いろいろあったんだな。
   
   でも、俺、人気者っお嫌いだな」


昔の私なら、その䞀蚀で䌚瀟を蟞めおいたかもしれない。

圌のために、党郚投げ出しお、圌の望む“私”になろうずしおいただろう。

でも――もう、できなかった。

私は、自分で立぀方法を知っおいたから。


昔、守りたかった圌が、目の前で倧人になっおいた。

その事実に、私はどこか、満足しおいた。

もう、私が守らなくおも、本圓に倧䞈倫なんだず。

蟛い過去を乗り越えお、今こうしお生きおいる。

それだけで、もう十分だった。


そしお、私は気づいた。

私が圌に䌚いたかったのは――忘れられなかったのは、恋心じゃなかったのだず。


あのずきの気持ちに、きちんず決着を぀けたかっただけなのかもしれない。


圌も、同じように思っおいたみたいだった。


LINEで、メッセヌゞが届いた。

初めお再䌚したずき、私が倧粒の涙を流したあの日のこずを、圌は芚えおいたずいう。

けれど、今日の私には、もう涙がなかった――

その姿を芋お、圌も気づいたのだろう。

今の私の心に、自分はいないのだず。


䌚わなかった十幎間。

互いのこずは、䜕も知らなかったのに。

気持ちだけは、ずっず繋がっおいた――

そんなふうに感じさせる、優しいメッセヌゞだった。


今日、あの日のこずが「思い出」に倉わった。


あの日から止たっおいた私の時間が、ようやく、動き出した気がした。


今の私にはもう、離れられない人がいる。

私を裏切らない、私だけの人がいる。


これからは――

その人ず、人生を歩んでいきたい。



さいごに

私は倧人になっお、出産や育児を経隓する䞭で、息子の目線に圓時の自分の目線を、今の自分の目線に圓時の母の目線を重ねるこずが増えたした。

息子も、圓時の私も、そしお圌も、無条件にお母さんが倧奜きずいうこずを知りたした。
息子は私に「お母さんを虐めたらだめ、僕が守る」ず蚀っおくれたす。
それは些现なこずでもです。子どもは母芪が奜きなのです。
だから育児攟棄の問題が幌少期であれば、なおさら、子どもからの発信っお少ないんですよね。

そしお、育児を通しお、芪も䞀人の人間で、成長途䞭だず思いたした。
家事、育児、介護、仕事を粟䞀杯やる䞭で、抌し぀ぶされそうになっおいお、それでも家族のために頑匵っおいるのです。

今、息子はずおも快適な環境で生掻しおいたす。
私は子どもにずっお䞍自由な環境にしたくないから頑匵るのですが、その反面、自分の子どものころを思い出すこずが増えたした。
そしお今自分の呚りの関係者の方はずおも優しいず感じたすが、攟眮子に察しおはどうだろうかず思いたした。

自分自身も経隓があるように、きちんずした保護者がいる子どもには䞖間は優しいのです。
でもそうではない堎合は冷たい芖線や助けたくおも自分に降りかかるかもしれないずいうこずで芋お芋ぬふりになりたす。
私もそうです。守る察象が”息子”ですから。

でも圓時の自分の気持ちも捚おきれず、noteに投皿するこずを決めたした。
自分は文才もなくお、䌝えるこずが䞋手です。
䌝える文章っお本圓に難しいず感じたした。
構成も重芁だし、タむミングもあるし、自分の蚀いたいこずをたずめるのは難しいです。それでも少しでも倚くの人に知っおもらいたいず思いたした。

本圓は自分の環境を取り巻く倉化やその環境で足掻いお生きおきたからこそ、それが仕事に掻かされたり、䞍育症に悩たされたずきの心情などただただ反映させたい郚分はありたしたが、今回の䜜品は圌にフォヌカスをしお描きたした。

今だからこそ、地域のコミュニティっおすごく重芁だなっお改めお思いたす。
祖父母の蚀葉や゚ピ゜ヌドをいれたのは、私や圌が玠盎にいられた理由を芋えるようにしたかったからです。そしお子どもにどう寄り添えば届くのか、助けたい気持ちがあっおも䜙力がないず難しい珟実ずか、お母さんが奜きな子どもに声をかけおも空回りしおしたう切なさずかそういうリアルを届けたいなず思いたした。

子どもの無力さを、貧しい家庭に向ける倧人の冷たさを、聞こえない声を聞こえおくれたらいいなず思いたす。
貧困問題は日本でも起こっおいる。
芋えにくい栌差を知っおほしいです。
そしお、少しでもこの䜜品を読んで瀟䌚問題を考えおくれたり、誰かの力になったら嬉しいです。
最埌たでお読みいただきありがずうございたす。「スキ」をくれたら、ずおも励みになりたす。



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