「スキとフォロー」のシンプルな感覚。
noteにおいて、
「スキとフォローについての考え方」
にはさまざまな意見が飛び交っている。
「スキ返し・フォローバック100%」
「本当に気に入った時しか押しません」
「率先して自分からスキ・フォローします」
色々な姿勢があるだろう。
そこで私見……というほどのものではないが私の「感覚」を書いておこうかと思う。
この先もし私のスタンスに変化が生じた時も、自分の考えを掘り起こせるだろう。
スキやフォローに対する考え方は、乱暴に言うなら
「noteそのものに対する考え方」
に置き換えられるかと思う。
「何を最も優先して発信しているか」
である。
これまでnoteを見てきて感じること。
それぞれのスタンスの違いの最も根底にあるのは、
「収益化するつもりがあるかどうか」
だと思う。
ここが最初の分岐点である気がする。
そしてその先のステップがある。
「収益化したい」というスタンスのうえでは、
「書きたいことで収益化するか」
「収益化のために書くか」
この2択になる。
ここがひとつめの「スキ・フォローへの姿勢」の分岐点だ。
「書きたいことで収益化したい」のであれば、どちらかといえばスキ・フォローは後から付いてくるという方向性になるだろう。
おおむね小説家などと同様のスタンスだ。
「土台である記事」がより重要になる。
「収益化のために書く」というスタンスであれば、さらにもう少しビジネスライクな動き方になるだろう。
「認知してもらう」のはもちろんだが、読者のニーズを正確に見極める必要がある。
より積極的なコミュニケーションも付随してくる。
「記事」が大事なのはもちろんだが、「営業」的な活動も視野に入る。
さらに次のステップ。
「収益化出来るレベルの記事を書く」
「収益化が実現するレベルに認知してもらう」
という「行動に移す」ステージだ。
個々の状況を細分化すればキリがないので、ここまでざっくりとした仮定である。
ここがふたつめの「スキ・フォローへの姿勢」の分岐点。
「記事」が先か「認知」が先か。
以前書いた「鶏と卵」の問答のようになってきたが、このバランスを取らなければならないだろう。
これも以前書いたが、「記事」という土台があってこそ「認知」が作用する。
まともな本が無い本屋に客は来ない。
どんな店も商品があって、あるいは見込まれているから初めて宣伝できる。
なのでどのような場合も「ある程度の記事の量と質」は前提としている。
そのうえで、
「収益化出来るレベルの記事を書く」
を優先するなら記事優先で、スキ・フォローは後から。
「収益化が実現するレベルに認知してもらう」
を優先するならスキ・フォローは積極的に。
という上記からのさらなる分岐になるかと思う。
フローチャートのような分岐図でもあればいいのだが、面倒くさがってすみません。
さて一方「収益化は考えていない」というスタンスはどうだろうか。
収益化勢と「スキ・フォロー」に対して決定的に違うところは
「スキ・フォローのハードル設定の自由度が高い」
ということだ。
平たく言えば、その人の心持ち次第と言える。
収益化勢であれば一定の水準は見込まなければいけないところだが。
ただ、一概に「収益化を考えていない」からといってスキやフォローはいらないとはならないだろう。
というかむしろそのような人は少ないだろう。
多くの人は誰かから認めて欲しいものだ。
要は「収益化したい」という層よりも幅広いスタンスを取りやすい。
目指すべき目標値が自由である。
という強みがある。
収益化したい場合はある程度の「認知」は不可欠になる。
直接的な「収益」でなくても同様だ。
特にビジネスアカウントなどは、
「マーケティングやブランディング」
の観点から認知度は必要であろうと思われる。
収益にならなくても、自身の宣伝になれば良い。
もちろんすでに有名で「認知」に奔走しなくてもいいビジネスアカウントも多数あるわけだが。
傾向としては「収益化を考えない」場合は「認知」への考え方、ひいては「スキ・フォロー」への考え方は「収益化勢」よりもバラつくだろう。
では私の場合はどうか。
「収益化は今のところ考えていない」
……とすればスキ・フォローに関してはどうか。
「基本的にスキ・フォローはしてもらったら返す」
というスタンスである。
この考えの根底にどのような計算があるか。
特に無い。
何も無い。
言うなれば「与えてもらったら与えたい」
それだけである。シンプルだ。
お菓子をもらったら、相手にも何かあげたいと思う。
そのくらいの気持ちとなんら変わりがない。
この辺りの考え方は「収益化したいか否か」に関わらず色々な意見があるようだ。
前述したように考え方の範囲は「収益化を考えない」人の方がバラつきは出ると思うが。
考え方が千差万別なのはもちろんだが、状況がそれぞれ異なるがゆえ、という部分もあるだろう。
私と数千・数万フォロワーの方とでは当然ながら状況が違う。
例えばフォローを返していた人でも、
「フォロワーが多すぎると読みたい記事が探せなくなる」
という意見がある。
それは事実だとは思う。
フォロワーが膨大な人はそこに労力と時間がかかるのかもしれない。
しかし
「自分がフォロー返ししたのを解除すること」
と
「自分の手間が増えること」
を天秤にかけた時に、前者を取る気にはならない。
手間をかければ済むなら。
もちろん相手が先に解除していればその限りではないが。
何度も言うが、段階や状況によることは承知している。
しかし中にはフォロワー数に対してフォロー数が極端に少ない人も居る。
なんなら「フォロー0」の人も居る。
「フォロワー数」という数字。
それを一括りにしてしまえばそれは「枠組み」だ。
実際にはその数字の中に、「フォロー稼ぎ」の人もいれば、「始めから興味を持ってくれた古参」もいる。
それを一括りに「整理」することは自分にはちょっと違和感がある。
私は大御所のアカウントが見ている世界は分からない。
数が増えるというのはそれだけで種々の苦労があるだろう、ということをぼんやり考えるくらいだ。
心無い人がいるであろうことは想像はつく。
物理的に通知が追えなくなる、ということもあるだろう。
でも誰しも「最初の一歩」があったはずだ。
「フォロワー1人目」がいて、
「スキ1つめ」があって、
「初コメント」を経てきたはずなのだ。
現実で……リアルの社会で、恩人を忘れたりするだろうか?
匿名の世界では完全に別個の価値観が出来上がるのだろうか?
もしかしたらそういうものなのかもしれない。
しかし、少なくても私にはそうは思えない。
SNSやさまざまなプラットフォームにはそれぞれの危機意識・安全管理が必要だろう。
匿名性を盾にして他者を傷つける行為は許されない。
「攻撃」は問題外だ。では「恩義」はどうか。
匿名だからといって恩を仇では返せない。
こういった感覚や感情ではなく、
「純粋にデータとしてのスキ・フォローに対して向き合いたい」
という人もいるだろう。
「記事に対しての評価を重視したい」
それもひとつのポリシーだと思う。
しかしコンテストなど「記事そのものの評価」に対しての場はまた別に用意されている。
「ブログ」として特化した他のプラットフォームと違って、そのあたりの感覚は難しいところだ。
認め合い、世界を知るという観点においては「シンプルな感情の重視」は有用であると思う。
なぜなら人はそうやって生きてきたからだ。
まだまだ人間が文章を紡ぐ以上は、画面の向こうに誰かがいる。
ここまで書いてきたが、私にももちろん例外はある。
状況にもよる。さまざまなケースがある。
あくまで基本的な「感覚」だ。
綺麗事だろうか。
そうかもしれない。
そうじゃないかもしれない。
どちらでもいい。
それが「シンプル」な私の感覚である。
