「深さ」と引き換えの喪失。「浅さ」がもたらす獲得。または中年の成長曲線。
・イントロ_涸れた井戸
涸れた深い井戸の底に居る自分を想像してみて欲しい。
周囲には円形の壁がぐるっと自分を取り囲んでいる。
見えるのは切り取られた丸い空だけ。
陽が差していて、時折鳥が羽ばたいてその円形の空を横切る。
しかし自分のいる場所は色彩を失い、狭く、暗く、冷たい。
そこから這い出るのは難しいだろう。

・「深さ」
「深い」こととはなんだろう。
人間に対しての形容であれば、
「知識が豊富なこと」
「技術力に長けていること」
「思索に富み、本質を突けること」
いずれも「深い人間」だと表現されうるかもしれない。
「作品」に対しても同様だろう。
映画や音楽や小説や写真など。
「深みがある作品」と形容されることがある。
そして人間はこれらを
「高尚なものだ」
と捉える傾向がある。
何故か。
それは一つの要因として
「希少性」
にあると思う。
各分野に対して
「平均よりも多くの情報量、または技術力が認められる物」
はレアだからだ。
そこには一定の価値が宿る。
松茸でもダイヤモンドでも、あまり手に入らない物に人間は希少価値を付け、ありがたがる。
しかし「深度」に特化するよりも、さらに「レア」な存在がある。
・視野狭窄
うろ覚えで恐縮なのだが、あるボディビルダーが動画でこんな事を言っていた。
「24時間営業のジムなんかに行ってる奴の気が知れない」
正確では無いかもしれないが大筋ではこのような発言だったと思う。
この発言の意図としては
・24時間ジムは本格的なジムより劣っている
・本気で筋トレしたいなら私のように全てを筋トレに捧ぐべきだ
という思想が見て取れる。
つまり
「何かを極めんとする者こそが高尚であり卓越している」
とする思想である。
案の定動画のコメント欄は荒れていた。
「みんながあなたのように筋トレに時間を使える訳ではないんです」
至極もっともな意見だと思う。
彼の持つ「深さ」それ自体は尊い。
しかし、ここに「深さ」がもたらす罠がある。
彼は「深い穴」の底から世界を見上げている状態だ。
穴の底からは、真上の狭い空しか見えない。
だから、仕事や家庭の合間を縫って、健康のために24時間ジムを利用する「多様なライフスタイル」があることに想像が及ばなくなってしまう。
・「深くて狭い」か「浅くて広い」か
さて上記の例はまさに
「井の中の蛙大海を知らず」
である。
「されど空の青さを知る」
と続く場合もあるが、荘子のオリジナルではない。
この場合も「狭い世界にいるからこそ深く知ることができる」といった意味で使われることもあるそうだ。
この文脈においても「深くはあるがその視野は狭い」という解釈とは矛盾しない。
では逆の場合はどうだろうか?
「浅くて広い」
という場合である。
これは言うならば
「知識や技術はそこそこだが、多面的に物事を見られる人」
ということになるだろう。
私はこの
「多面的な視点」
というものを重要視している。
述べてきたように、「深い」ことは尊いが、しばしば「多面的な視点」を曇らせる。
AIが作ってくれた下の画像を見て欲しい。

左の図は「深くて狭い穴」だ。
対して右は「浅くて広い穴」。
右の図を「穴」と形容するのは違和感があるかもしれないが、便宜的にそう呼ぶ。
「深さ」を追い求めた場合、掘る速度が同じであれば、当然左の図の方が早く深い穴を掘ることができるだろう。
「広さ」を同時に求めた場合、「深さ」はそこそこになってしまう。
ある時点まではそうかもしれない。
ここに条件を一つ追加する。
「そこには雨が降っていて、その雨は穴の底を削り取る」
というものだ。
するとどうだろう。
「深くて狭い穴」に入り込む雨は狭い入り口部分しかない。
「浅くて広い穴」は穴自体の表面積が大きいため、入り込む雨が多くなり、加速度的に「深さ」も増していく。
「雨」が表すものはなんだろうか。
それは「インプット」である。
知識、知見、技術などのあらゆる情報である。
これが何を意味するのか。
・それぞれの成長曲線
ある程度「深さ」を知った人間は「多面的なインプット」に対しての入り口が狭くなることがある。
対して「広い視野」を持つ人間は、あらゆる情報を紐付けて、さらに「深化」する。
これは中年以降の成長曲線に現れやすいと個人的には考える。
若年期…特に学生のうちはこのばらつきは少ない。
選択肢自体が多くないからだ。
年齢を重ねるごとにこの差は顕著になる。
人間は「深さ」を追い求める傾向が非常に強いと感じる。
なぜなら「評価されやすい」からだ。
「深みのある人間は高尚だ」
という印象が強く刻まれている。
「中年は頑固になる」という印象は「深さ」を求めるあまり、視野が狭くなる人間が多くいることの証明だろう。
・現実社会での「深さ」の位置付け
「一つのことに詳しい」
という能力は、配置がしやすい。
役割が明確だからだ。
「広いが浅いこと」
は、しばしば「全てが中途半端」な印象を与える。
もちろんその印象も間違ってはいない。
しかし別の視点では
「あらゆることを多面的に捉えられる」
という能力なのだ。
そして上の図で示したように、「多面的視点」を持ちインプットを続ける人間はいずれ「深くて広い穴」を持ち得る。
つまり
「深さだけを求めた人間」
と
「広さと同時に深さを獲得した人間」
のそれぞれの成長曲線はこのようなものになるのではないだろうか。

つまり
「深くて狭い」=早熟タイプ。若年期の成長は著しいが、その分価値観の固定化が顕著で中年期以降の伸びしろは少なく横ばいになる。
「浅くて広い」=大器晩成タイプ。多方面から情報を取り込むため、若年期の深度はほどほどだが、その分中年期以降に加速度的に成長する。
もちろん
「深さをまず獲得し、あとから広さも獲得する」
という例もあるだろう。
しかし人間の生物的な特徴を考えると、逆のパターンに比べて稀ではないかと思う。
初めに広い視野を持っておかないと「頑固」になるからだ。
「井戸」を思い出して欲しい。
深さを獲得するほど、周りは壁だけになる。
・出会ってきた人間たち
ここまで見てきたことを踏まえて理想論的に言えば、
「深い知識や技術を持ちながらも、多面的に物事を捉えられる」
という存在の希少価値が最も高いということになるだろう。
これは私の人生の中でも感じられる場面があった。
何人かのいわゆる「演者」と出会ったことがある。
分野はあえて伏せる。
誰もがテレビで見たことのある人や、地方の一部でしかその名を知られていない人など、知名度はさまざまだった。
そしてその経験上
「大物の方が人間的に余裕がある」
場合が多い。
知名度がそれほど無い演者の方が、不遜で傲慢な印象だ。
これはあくまで私の経験上の少ないサンプルであって、これをもって断定するものでは決して無い。
しかし
「本当の深みを持つ人間は多面的に物事を見られる」
という思索の助けになるのではないか。
それを獲得できなかった人間が狭い世界の中で自尊心を膨らませる。
・【自己紹介】≠【自己分析】
さてまた分かったようなことを書いてしまった。
しかし私が最も「憧れる」存在について分かってもらえたかもしれない。
「深く、そして広い」
世界は全て「因果関係」にあると思う。
「相関関係はあるが、因果関係はない」
その認識は正しいだろうか。
まあこの話題はまた別の機会にしよう。
ここで勘違いして欲しくないのは、
「深くて広いことが高尚である」
とは思っていないという事だ。
それは単なる能力であり、現象である。
いくら知識や技術が卓越していても、発露する人間性にはなんの関係もない。
それよりも人や動物や植物に優しく出来る人間の方が私は好きだ。
「深くて広い」ことが人間性に影響はするかもしれない。
しかし第三者にはその内面的な問題は関係がないのだ。
私のnoteにおける「因果関係」の表現は
「人間の本質とカルチャー」
である。
人間が作り上げてきた文化。
それらは如実に本質を語ってくれる。
「学問」ではない。
実際に起こった、人間性の発露から観察する。
「理論」ではなく「論理」で文化と本質を接続する。
憧れを実現するためにまた書こうと思う。
たまに脱線はするだろうが。
