世の中の役に立たない人間に、存在価値はあるのか──私は?どうなんだ?
仕事をしていると、人間を数字で見る。
というか、数字に見えるときがある。
売上。件数。
達成率。生産性。
誰が何件売った。誰が目標を達成した。
誰が足りない。誰が伸びた。
営業なんてやっていると、なおさらそうだ。
もちろん、人間そのものを数字だと思っているわけではない。
──いやいや、そんな冷血人間じゃありませんよ。ハートフルなんだからね。
私の部下にはそれぞれに良いところがあります。
個性があります。存在そのものが素晴らしいです。ありがたいです。
はいはい。そうなんです。
──とはいえ、月末になれば数字を見る。
目標を大きく超えている人を見れば、頼もしいと思う。
全然届いていない人を見れば、悩みの種になる。
改善の兆しがなければ、切る。
だって、仕事だから。
それがすべて。
会社は慈善団体ではないし、
お給料は「今日も元気に出勤できてえらいね♡」のご褒美ではないの。
成果を求められる。
役に立つことを求められる。
当たり前だと思う。
その分の対価は得られる仕組みになってるんだから、そりゃあそうよ。
そういう私だって、自分が誰かの役に立てた日は嬉しい。
仕事で結果を出した。
誰かの問題を解決した。
文章を書いたら反応をもらった。
演奏したら喜んでもらえた。
──ああ。
今日の私は、ちゃんとこの世界に参加している。
そんな感じがする。充実。
逆に、何もできなかった日は、ちょっと嫌だ。
休日、一日中寝ていた。
何も書かなかった。
何も練習しなかった。
誰とも会わなかった。
部屋も別に綺麗になっていない。
──本日の成果。
なし。
勤務実績ゼロ。
売上ゼロ。
社会貢献ゼロ。
お疲れ様でした。
いや、何に疲れたんだよ。ふざけんなよ。
やりきったような顔してんじゃねえよ。
そんなくだらないことを考えていたら、急に変な疑問が湧いた。
“世の中の役に立たない人間って、存在価値がないのか?”
──いや。そんなわけないでしょうよ。
そこは即答しておこう。この人でなし!●ね!と、このページを閉じられてしまう前に。
だって、病気でやむを得ず働けない人もいるじゃん。
歳を取って、以前できたことができなくなる人もいるんだし。
子どもなんて、生産性だけで見ればだいぶ壊滅的だよ。
特に、赤ちゃんなんてすごい。
食べる。泣く。
寝る。漏らす。以上。
事業計画書に記載したら即刻却下である。
でも、だから価値がないなんて、誰も言わない。実際そんなことないからね。
私はたぶん、他人のことなら簡単に励ませる。
働けなくてもいいし、何かを成し遂げなくてもいい。
誰かより優れていなくても、生きていけるんだから。
人間の価値は、そんなことでは決まらないよ。
──で。
私は?
となる。
途端に話が変わるっていうね。
私自身は、何かできなければ嫌だ。
できれば人より上手くやりたい。
評価されたい。
役に立ちたい。
何かを作りたい。
何かを残したい。
「存在しているだけで価値があるよ」
なんて言われても、
いやいやいや。
それ、査定甘すぎません?
と弾き返してしまう。
自分だけ異常に審査が厳しい。
他人には無条件で発行している存在許可証のために、
自分にだけ何十枚も申請書を書かせている。
本人確認書類もお願いします。
収入証明もお願いします。
実績もお願いします。ポートフォリオを見せてください。
才能はありますか。人から必要とされていますか。何か残せますか。
審査結果。
──いまいちピンと来ない。保留で。
おい、いつまでやるんだ、これ。
何回目だと思ってるんだ。永遠に終わる兆しのない連載マンガみたいな。
そこでようやく気づいた。
もしかすると私はずっと、
「人間には価値があるのか」
という問いについて考えていたつもりで、
実際には、
「人間は何をすれば、存在する資格を獲得できるのか」
と考えていたのかもしれない。
でも、それは妙な話だ。
だって、価値という言葉には、どうしても比較が入り込むのだから。
この商品には一万円の価値がある。
この仕事には需要がある。
この能力は市場で評価される。
そういう価値ならわかる。
役に立つ人と、役に立たない人もいる。
能力が高い人と、低い人もいる。
社会から必要とされやすい人と、そうでない人もいる。
そこまで全部、「人それぞれだから♡」とハートの水責めで黙殺しようとするのは、さすがに雑だと思う。まるで、知識に不安のある商材を提案しなければいけないときの私だ。
能力差はある。成果にも差がある。
私はこれからも、できることなら、能力のある人間でいたい。
仕事でも結果を出したいし、
文章だって読まれたいし、
何かを作れる人間でいたい。
別に、向上心まで捨てる必要はない。
ただ。
そこで測っているものは、本当に人間そのものの価値なんだろうか。
売上が落ちたら、人間として値下がりするのか。
文章を誰にも読まれなかったら、存在価値が3割引になるのか。
歳を取って働けなくなったら、いよいよ閉店セールなのか。
そんなわけない。
というより。
そもそも人間を商品みたいに棚へ並べて、
これは価値がある。
これは価値がない。
そうやって査定しようとしていること自体が、かなりおかしな試みなんじゃないかな。
私はずっと、
自分に価値があることを証明したかった。
仕事で。文章で。音楽で。
誰かから必要とされることで。
でも証明というものは、
証明し続けなければならない。
昨日役に立ったことでは、
今日の審査を通過できない。
もっと。
もっと。もっと。
もっと。
もっと。もっと。もっと。
そうやって実績を積み上げ続けた先で、いつになったら、
「はい。あなたには無事、存在する価値があります。おめでとう」
という認定証が届くんだろう。
たぶん、届かない。
そんな制度、実は最初からないから。
私はこれからも役に立ちたい。
何かを作りたい。
評価もされたい。
できることなら、何者かにもなりたい。
そこまで綺麗に手放せるほど、私は悟っていない。
──でも。
役に立ちたいという欲望と、役に立たなければ存在してはいけないという恐怖は、たぶん別のものだ。
前者は、私を前へ進ませる。
後者は、私を永遠に採点し続ける。
だったら私は、
役に立つ人間であろうとはしたいけれど、
役に立てない日の自分まで、
不良品として廃棄するのはやめたい。
何もしなかった日。
失敗した日。
誰にも必要とされなかった日。
何ひとつ生み出せなかった日。
そんな日にも私はいる。
──まあ。
いるなら仕方ない。
本日の成果、なし。
でも本日の私まで、
なしになったわけではない。
どうやら人間というものは、
存在しているだけでは大した成果を上げないくせに、
それでも勝手に翌朝を迎えるらしい。
ずいぶん生産性の悪い生き物だ。
私は、案外それくらいでいいのかもしれない。

──本当か?
ここまで書いておいてなんだけど、たぶん私は、そんなに優しくない。
役に立たない人間にも価値はある、と頭では思う。
でも実際、何もせず、何も学ばず、何も生み出さず、それでも当然のように誰かに支えてもらおうとする人を見たら、私はきっと苛立つ。
努力している人と、していない人。
責任を負う人と、逃げる人。
誰かを支える人と、支えられることだけを要求する人。
それらを全部、「存在しているだけで等しく尊いです」で平らにしてしまえるほど、私は善人じゃない。
たぶん私は、他人にも値札をつけている。
口に出さないだけで。
だから困る。
いや、本当は困ってないけど。
「人間の価値は役に立つかどうかでは決まらない」という結論。
理屈の上では、たぶんそこに辿り着く。
でも、私はまだ完全には信じていない。
自分にも。他人にも。
存在価値なんて測れない、と言いながら、
今宵も私は、寝床の中でも、頭の中で電卓を叩いている有様だ。
