認められなくてもいい、は本心か?
目立つ役を辞退したのに、なぜ苛立ちが残るのか
今週は、承認欲求を掘り下げています。火曜日は、「別に評価なんて気にしていない」と言える人ほど、実は判定権を外に預けていて、無反応の日の夜に妙に消耗している、という話をしました。
今日のテーマは、少し挑発的に聞こえるかもしれません。
「認められなくてもいい、は本心か?」
こういう方、いらっしゃいませんか。承認欲求はよくない、と学んできた。だから称賛の場を避けるようになった。目立つ役は辞退する。自分を売り込むなんてみっともない。実力で黙って示せばいい、わかる人にはわかるはずだ、と。
ところがですね。実際に評価されないと、どこかで納得がいかない。「なんでわからないんだ」という思いが、消えない。認めてくれない周囲に対して、口には出さないけれど、じわじわと苛立ちが溜まっている。
今日はこの、静かな苛立ちの正体を、中庸道™︎で解体していきます。ここ、今週の折り返しであり、いちばん見たくないところに触れる回になります。少し覚悟して聞いてください。
拒否は断念ではなく、形を変えた期待です
まず結論から言います。承認を追いかける人と、承認を拒む人は、実は同じ軸の上に立っています。向きが逆なだけなんです。
「認められたくてたまらない人」と、「認められなくてもいいと言い張る人」。この二人は、正反対に見えて、まったく同じ構造の中にいます。
どういうことか。承認を追う人は、他者の評価を基準点にして動いています。褒められる方へ、認められる方へ、と。では承認を拒む人はどうか。称賛の場を避け、目立つ役を辞退する。
一見、他者の評価から自由に見えますよね。でも、よく見てください。その人は、他者の評価を避けるために動いているんです。つまり、やっぱり基準点は他者の評価なんですよ。
追う人は評価に近づこうとする。拒む人は評価から遠ざかろうとする。でも二人とも、地図の中心に「他者の評価」を置いている。ここが同じなんです。近づくか遠ざかるかは、方向の違いにすぎない。中心点は、まったく動いていない。
月曜日に、判定権という言葉を使いました。自分の価値を判定する権利。評価を気にするというのは、この判定権を他者に預けた状態のことでしたね。今日の話でいうと、承認を追う人も、拒む人も、判定権は外に預けたまま、なんです。
ここが大事なポイントなんですが。「承認欲求を断ち切ろう」といくら頑張っても、うまくいかない。なぜか。努力が足りないからではありません。軸そのものが同じだからです。評価を避ける努力は、評価を中心に置いたまま行われる努力ですから。避ければ避けるほど、評価が地図の中心に居座り続ける。皮肉な話ですよね。
具体的に言いましょう。会議で自分の提案を、あえて控えめに出す。自分からアピールするのはカッコ悪いから。でも心のどこかで、「本当はこの案がいちばんいいんだけどな」と思っている。誰かが、それに気づいてくれるのではと期待する。そして採用されないと、がっかりする。
もし、このような心の動きがあるなら、承認を拒んでいるように見えて、承認を待っています。差し出さないことで、傷つかないように守りながら、それでも認められることを、諦めきれていない。
拒否は、断念ではありません。多くの場合、拒否は、形を変えた期待なんです。
「わかる人にはわかるはず」の内側に隠れているもの
ここからが今日の核心です。いちばん見たくないところに触れます。
「認められなくてもいい」というその内側に、何が隠れているか。しばしばそこには、こういう物語が隠れています。
「本当は、自分は認められて当然なのに。
それがわからない周囲のほうが、おかしいんだ」。
どうでしょう。心当たり、ありませんか。「わかる人にはわかるはずだ」という、あの一言。あれ、優しい言葉に聞こえて、実はけっこう鋭い刃を隠しています。裏を返せば、「わからないお前たちが悪い」と言っているんですよ。
だから、この物語は手放しにくい。手放したら、自分が課題に向き合わなければならなくなるから。被害者でいるためには、加害者が必要なんです。この場合の加害者は、「わかってくれない周囲」です。
周囲がわかってくれない限り、自分は正しい被害者でいられる。だから、無意識のうちに、わかってくれない状況を、握りしめてしまう。
そして残るのは、心の奥底で波打っている苛立ち。状況は、一ミリも動かない。それは、動かないです。なぜなら、動かさないことで、自分の正しさが守られているんですから。
ここは、厳しく聞こえたかもしれません。でも、これは自分を責めるための話ではありません。あなたが悪いのではなく、これは構造なんです。承認を悪と決めつけて、蓋をした。
すると承認欲求は消えるのではなく、被害者の物語という形に姿を変えて、水面下に潜みます。蓋をしたものは、蓋をしただけで、消えてはいません。いつか必ず、形を変えて、必ず出てきます。
求める自分も、拒む自分も、裁くのをやめたとき
では、どうすればいいのか。ここからは解放の話をします。
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