テレビ離れは、実は編成離れである
1 テレビ離れという言葉の粗さ
テレビ離れ、という言葉をよく聞く。
たしかに、昔のように家に帰ったらとりあえずテレビをつける、という習慣は少なくなった。若い世代ほど、番組表を見て、夜の決まった時間にテレビの前に座ることは少なくなっていると思う。ニュースはスマホで読む。ドラマは配信で観る。スポーツのハイライトはSNSで知る。タレントやクリエイターに出会う場所も、地上波の番組ではなく、YouTubeが多くなった。
けれど、そこで本当に人々はテレビから離れているのだろうか。
私は少し違うと思う。
離れているのは、テレビという画面そのものではない。テレビ局の番組そのものでもない。いちばん大きく失われているのは、テレビ局が組んだ時間割に身を任せる習慣である。
つまり、テレビ離れは、実は「編成離れ」なのではないか。
2 テレビとは何を指すのか
テレビという言葉は、考えてみるとかなり曖昧だ。
テレビとは、リビングにある大きな画面のことでもある。地上波やBSを受信する放送の仕組みのことでもある。NHKや民放キー局のことでもある。さらに、決められたスケジュールに沿って流れてくる番組に、なんとなく身を任せる生活習慣のことでもある。
この四つをまとめてテレビ離れと言ってしまうと、何が起きているのかが見えにくくなる。
総務省の調査では、平日・休日ともにインターネットの平均利用時間がテレビのリアルタイム視聴を上回った。これは放送波としてのテレビが弱くなっていることを示している。
一方で、画面としてのテレビはまだ強い。スマートテレビやコネクテッドTVの普及によって、YouTube、Netflix、PrimeVideo、TVer、ゲーム機、スマホのキャスト先として再利用されている。大きな画面で動画を見る快適さは、スマホでは代替しきれない。家族で見る。ソファで見る。食事をしながら見る。ゲームをする。そういう場所としてのテレビ画面は、まだ生活のなかに残っている。
3 テレビ局離れと言い切れない理由
では、テレビ局離れなのか。
これも半分は正しいが、半分は違う。
若い世代を中心に、地上波をリアルタイムで見る時間は減っている。番組表に合わせて生活する感覚も薄れている。見たいものは検索する。SNSで話題になっていたら見る。見逃したら配信で追う。短く知りたければ切り抜きやハイライトで済ませる。そもそも最初からテレビ局の番組ではなく、YouTubeの動画、配信ドラマ、ゲーム実況、VTuber、ポッドキャストを選ぶことも多い。
ただし、テレビ局のコンテンツが完全に見捨てられているわけではない。
TVerではドラマもバラエティもスポーツも見られている。話題の番組はSNSで拡散される。地上波で放送された番組が、翌日には配信で見られ、記事になり、また別の視聴者に届く。つまり、人々はテレビ局が作った番組をまったく見なくなったわけではない。
変わったのは、見方である。
以前のテレビは、チャンネルという単位で見られていた。夕方のニュースから、そのままバラエティへ流れ、ドラマへ流れ、次の番組の予告を見て、また来週も見る。局は番組単体だけでなく、時間の流れ全体を設計していた。視聴者はその流れに乗っていた。
これが編成の力だった。
4 編成とは、時間を預かる技術だった
編成とは、単に番組を並べることではない。視聴者の時間を預かる技術である。
今日この時間にはこれを見てください。次はこれです。日曜の夜はこの気分で終わりましょう。朝はこの番組で始めましょう。テレビ局は、家庭の時間割に入り込むことで強かった。
しかし今、視聴者はその時間割に依存しなくなっている。
見たい番組は見る。でも、局の流れには乗らない。ドラマは見る。でも、その前後の番組までは見ない。バラエティの名場面は知っている。でも、放送時間には座っていない。ニュース映像は見る。でも、ニュース番組全体を見るとは限らない。
これはテレビ局にとって、かなり大きな変化だと思う。
番組が見られることと、局が見られることは違う。作品が選ばれることと、編成が信頼されることも違う。TVerで特定のドラマが再生されることは、テレビ局コンテンツの強さを示している。しかし同時に、視聴者が局のチャンネルから離れ、番組単位、話題単位、検索単位で動いていることも示している。
テレビ局は、まだコンテンツメーカーとしては強い。けれど、生活時間の支配者としての力は弱まっている。
5 チューナー離れという側面
もう一つ、チューナー離れという見方もある。
放送を見ない人にとって、チューナーは、価値ではなく○HKの受信料や契約を連想させる負の機能になりつつある。チューナーレステレビや大型モニターを選ぶ人が出ているのは、その象徴だろう。
ただ、チューナー離れだけでは、いま起きている変化の全体は説明しきれない。なぜなら、チューナーを持たない人も、テレビ局の番組を配信で見ることがあるからだ。逆に、チューナー付きテレビを持っていても、地上波はほとんど見ず、YouTubeやNetflixばかり見ている人もいる。
問題の中心は、受信装置の有無だけではない。何を、いつ、どこから選ぶのか。その主導権がテレビ局から視聴者へ移ったことにある。
6 テレビ局はどう変わるべきか
これからのテレビ局に必要なのは、若者を地上波に戻すことだけではないと思う。
もちろん、放送には放送の強さがある。生放送のスポーツ、災害報道、選挙特番、大型音楽番組、年末年始の特番には、同じ時間に多くの人が見る価値が残っている。リアルタイムだからこそ生まれる緊張感や共有感は、配信では簡単に代替できない。
ただ、日常の多くの視聴は、もう編成だけでは動かない。
だからテレビ局は、番組表のなかで人を待つだけではなく、番組表の外側で見つけてもらう力を持つ必要がある。検索でマッチすること。SNSで話題になること。配信で最後まで観られること。放送が終わったあとも、作品として残り、別のタイミングで再発見されること。
放送する力だけでなく、見つけられる力。時間を押さえる力だけでなく、記憶に残る力。チャンネルに人を集める力だけでなく、番組がひとりで歩いていく力。
編成の力が弱まった時代に、テレビ局が問われているのは、まさにその変化への対応なのだと、私は思う。
7 テレビの未来は、視聴者の手にある
テレビ離れという言葉は、どこか寂しそうに聞こえる。
でも実際には、人々は映像から離れていない。物語からも、笑いからも、ニュースからも、スポーツからも離れていない。ただ、テレビ局が決めた時間割からは離れた。
視聴者は、テレビを見ることをやめたのではない。見る時間を自分で選び、見る場所を自分で選び、見る順番を自分で選ぶようになった。リビングの大画面で見ることもあれば、通勤中にスマホで見ることもある。放送で出会うこともあれば、配信やSNSで見つけることもある。
そう考えると、テレビの未来は、テレビ局だけが決めるものではない。
視聴者が選ぶ。視聴者が見つける。視聴者が語り、共有し、もう一度誰かに届ける。その流れのなかで、テレビはこれからも形を変えて残っていく。
だから私は、こう言いたい。
テレビ離れは、実は編成離れである。
そしてそれは、テレビの終わりではない。テレビの未来が、視聴者の手に戻ってきたということなのだ。
参考URL
総務省 情報通信政策研究所「令和6年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書」
https://www.soumu.go.jp/main_content/001017160.pdf
総務省調査の公表情報(国立国会図書館 カレントアウェアネス・ポータル)
TVer「2026年1月の月間ユーザー数 過去最高の4,470万MUBを記録」
