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コメントとは「読んだ自分を返す」こと―誰かの文章を読んで言葉を返す―

コメントが返ってくることが嬉しい

noteを始めて7か月ほどになる。
これまでに300本ほどのコラムを書き、公開してきた。

ありがたいことに、最近ではコメントをいただく機会も増えてきた。

自分が考えたことや感じたことが誰かに読まれ、それがその人の中で何かに触れ、言葉として返ってくる。これは、書き手にとって、とても嬉しいことだ。

文章を通して、画面の向こうにいる誰かとつながったように感じる。

そんなコメントをいただくようになって、最近ふと、「コメントとは何なのだろう」と考えるようになった。


コメントには「その人」が表れる

コメントには、いろいろな形がある。

記事の内容について詳しく書いてくれる人もいれば、短い一言だけを返してくれる人もいる。

「面白かったです」
それだけでも、書き手にとっては嬉しい。

一方で、「この部分を読んで、自分の経験を思い出しました」と書かれていれば、そこから新しい会話が始まることもある。

文章の長さや上手さではない。
その人が、どこに反応したのか。何を思ったのか。何を思い出したのか。
そこが少しでも見えると、コメントは単なる評価ではなくなる。

そこには、その人自身がいる。


AIで文章を整える時代

今は、AIを使って文章を書くことも珍しくなくなった。
私自身もコラムを書くときにAIを使っている。

自分の中にある違和感や気づきを、まず思うがままに文章にする。その後、AIを使って構成を考えたり、文章を整理したりする。さらに自分で修正し、最後に校正や内容についてのアドバイスをもらう。

AIは、自分の考えを言葉にするための便利な道具だ。

だから、コメントを書くときにAIを使って文章を整えることも、悪いことではないと思う。

言いたいことはあるけれど、うまく文章にできない。そんなときにAIの力を借りることは、自然なことだと思う。


「うまい文章」と「自分の反応」

一方で、コメントを読んでいると、ときどき「どこかで見たことのある言い回しだな」と感じることがある。

「とても興味深い視点ですね」「改めて考えさせられました」「大切な気づきをありがとうございます」

もちろん、本当にそう感じている人もいるだろう。
だから、それがAIによるものなのか、人間が自然に書いたものなのかを判断することはできない。

ただ、文章がきれいに整っていることと、その人の感想が伝わってくることは、少し違うのかもしれないと思う。

大切なのは、誰が書いたかを見抜くことではない。そのコメントの中に、その人自身の反応があるかどうかだ。


読んだ自分を返すこと

コラムを書くことは、一方的な発信だ。
でも、コメントが返ってくることで、そこに対話が生まれる。

だからコメントは、記事を評価するためのものではなく、記事を読んだ自分を少しだけ相手に返すものなのかもしれない。

「ここに共感した」
「ここは自分とは違うと思った」
「この話を読んで、昔のことを思い出した」
「なぜか、この一文が気になった」

そんな言葉でいい。

短くてもいい。
文章が上手くなくてもいい。

そこに、その人が何を感じたのかが少し見えれば、それだけで会話になる。

コメントの価値は、完成された文章にあるのではなく、その人が読んだ痕跡にあるのかもしれない。


自分も読んだ自分を返したい

これは、コメントをいただく側だけの話ではない。

コメントをいただくことを嬉しいと思うのなら、自分もまた、誰かのコラムを読んだときに、その人に何かを返したい。

ただ褒めるだけではなく、「この部分を読んで、自分はこう思った」「この考え方から、こんなことを連想した」「ここは少し違うと思うけれど、だからこそ面白かった」

そんなふうに、自分の中で起きたことを少しだけ言葉にして返してみたい。

AIを使って文章を整えてもいい。短くてもいい。うまく書けなくてもいい。

大切なのは、そこに自分自身の反応があることなのだと思う。

誰かの文章を読んで、自分の中に何かが生まれる。そして、それをほんの少しだけ相手に返す。それが、コメントなのかもしれない。

noteでたくさんの文章を書き、たくさんの言葉を受け取るようになった。だからこれからは、自分も誰かの文章を読み、そこから生まれた「読んだ自分」を、少しずつ返していきたい。

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