「英語がペラペラ」を、小さく考え直してみた
英語を勉強していると、一度は、
英語がペラペラになりたい。
と思うのではないでしょうか。
私も、そう願ってきました。
でも、「ペラペラ」とは、いったいどのような状態なのでしょう。
もし、
どんな話題でも、ほとんど詰まらず、英語を母語とする人のように話せること
だとすれば、そこへ簡単に到達できる方法が、本当にあるのか疑問です。
英語圏で何年も暮らせば
「ペラペラ」への道として、まず思い浮かぶのは、英語圏で何年も暮らすことです。
仕事も英語。
レポートもメールも英語。
家庭でも英語。
テレビや新聞も英語。
友人との付き合いも、レジャーも英語。
朝から晩まで、生活そのものが英語になる。
それを3年、5年、10年と続ければ、確かに強いでしょう。
しかし、住んでいるだけで、自然に何でも話せるようになるとは限りません。
海外では、英語が下手でも、話さなければ生活できません。
家を借りる。
病院で症状を伝える。
役所で手続きをする。
そんな場面では、間違いを気にして黙ってはいられません。
しかも、相手がいつも親切とは限らない。
通じるまで話す。必要なら交渉する。
英語を「勉強する」のではなく、
英語を使わざるを得ない。
ここに、海外生活の強さがあるのだと思います。
日本でも、英語を話せる時代になった
今は、英語圏に住まなくても、英語を話す機会を作れます。
英会話学校。
オンライン英会話。
英会話アプリ。
そして、ChatGPTとの英会話。
以前に比べれば、日本にいながら英語を話すことは、ずっと簡単になりました。
どれも役に立つと思います。
ただ、それだけで、
どんな話題でも、自由に話せるようになる
とまでは言えないでしょう。
では、英語圏で暮らすことと、日本で英語を学ぶことには、どのような違いがあるのでしょうか。
聞くだけでも、暗唱だけでも足りなかった
私は長い間、さまざまな方法を試してきました。
たくさん聞く。
英文を暗唱する。
単語や語句を大量に覚える。
どれにも意味がありました。
たくさん聞けば、英語の音や言い回しに触れられます。
暗唱すれば、まとまった英文を正確に言えるようになります。
単語を覚えれば、理解できる範囲が広がります。
しかし、私の場合、それだけでは十分ではありませんでした。
今振り返ると、聞いた英文や暗唱した英文が、練習の中にとどまっていたのだと思います。
自分の経験、感情、情景、人との出来事。
そうした生活の中から、その英文へ戻る道が、ほとんどありませんでした。
英語は知っている。
けれども、自分の生活とつながっていない。
そのため、必要な場面で、その英文へ戻れなかったのです。
英語漬けの生活では、何が起きているのか
ここで、ふと考えました。
英語圏で暮らすことが強いのは、単に大量の英語を聞くからなのでしょうか。
それだけではないのかもしれません。
同じ表現を、職場で聞く。
家でも聞く。
テレビでも聞く。
友人との会話でも聞く。
そして、自分でも使う。
同じ英語に、違う人、違う場面、違う感情の中で何度も出会います。
一つの表現へ、生活のあちこちから戻ってくる。
そう考えると、英語漬けの生活では、
巨大な「再訪」が自然に起きている
と言えるのではないでしょうか。
英語を繰り返し聞くだけではありません。
英語と生活の間を、朝から晩まで何度も往復しているのです。
その「再訪」を、小さく作れないだろうか
ここから、私が試している「再訪対話」につながります。
一つの大切な英文に、何度も戻る。
自分の経験と結びつける。
感情と結びつける。
情景と結びつける。
人との出来事と結びつける。
そして、その英文を、今の場面や相手に合わせて実際に使ってみる。
一つの英文を、忘れないように強く記憶するのではありません。
忘れても戻れる道を増やしていく。
英会話学校やChatGPTで出会った英語も、その場限りにしない。
今日の経験から戻る。
別の出来事から戻る。
人との会話から戻る。
翌日、また戻る。
そうすることで、一つの英文が、少しずつ自分の生活の中に入ってきます。
何についても話せなくてよい
私は、
再訪対話をすれば、英語がペラペラになる
とは言いません。
何についても、よどみなく話せるようになる。
そこまでを約束する方法ではありません。
目指しているのは、もっと小さく、具体的なことです。
自分にとって本当に大切なことが、少しずつ英語で話せるようになること。
中心英文の周りに、英語で話せる小さな場所を一つ作る。
その外では、片言になってもよい。相手の助けを借りてもよい。
まずは、自分が本当に話したいことについて、英語が出てくる場所を作る。
そして、その場所を一つずつ増やしていく。
そのために必要だったのは、さらに大量の英語を覚えることではなく、
一つの英文へ「戻る道」を増やすことだったのではないか。
今、私はそのように考えています。
再訪対話は、英語漬けの代用品ではない。
英語漬けの中で自然に起きていることの一つを、小さく意図的に起こす方法である。
