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noteデビュー、半年遅れの自己紹介

「どうして自分だけ」

六十五歳になって、私ははじめて「自己紹介」を書こうとしている。

しかも、noteを始めてから半年も経って。

普通なら最初に書くものなのだろう。

「はじめまして」
「こんな人間です」

そんな挨拶を。

けれど私は、何を書けばいいのかわからなかった。

いや、本当は違う。

自分のことを語る習慣が、一歩踏み出す勇気が、ずっとなかったのだ。

子どものころの私は、病弱だった。

肺結核と小児喘息。

外で遊ぶこともできず、家の片隅で息を切らし、いつも、、苦しんでいた。

窓の外では、近所の子どもたちの笑い声が聞こえる。

走り回る声。

ボールを追いかける声。

その声を聞きながら、私は布団の中で、
「どうして自分だけ」

と何度も思っていた。

「本当の自分は違う」

学校を休むことも多かった。

勉強も遅れた。

人前に出るのも苦手だった。

自信なんて、なかった。

ひとりだけ取り残されていった。

劣等感と挫折感ばかりが積み重なっていった。

でも、不思議だった。

心のどこかで、私はずっと信じていた。

本当の自分は、こんなんじゃない、と。

もっと明るく笑えて、もっと堂々と人前で話せて、もっと自由に人生を楽しめる人間なんだと。

「大丈夫です」と言いながら

その「もうひとりの自分」を、私はずっと、ずっと心の奥に隠して生きてきた。

けれど現実は、そんな自分を見つめる余裕もないまま過ぎていった。

若いころから、仕事に追われていた。

実力以上の責任を背負い、失敗できない毎日だった。

会社で生き残ることに必死だった。

その一方で、妻は重い持病を抱えていた。

病室に妻を残し、始発の新幹線に乗った朝を、私は今でも忘れられない。

ホームに滑り込んできた車両の窓に、自分の顔が映っていた。

疲れた顔だな、怖い顔してるな、と思った。

あの頃の私は、「大丈夫です」と言いながら、たぶん、全然、大丈夫ではなかった。

人生後半戦

そんな日々のなかで、私の兄と父も若くて亡くした。

最近では、妻の父も、私の母も逝った。

歳を重ねるたびに、気づけば、見送る人が増えていた。

若いころの私は、人生は「積み上げるもの」だと思っていた。

仕事。家庭。肩書き。貯金。経験。

頑張って積み上げれば、人は幸せになれるのだと思っていた。

でも、六十五歳になった今、少し違う気がしている。

人生は、失いながら進んでいく。

健康も、若さも、親も、家族も、友だちも、過ぎ去った時間も。

大切なものほど、静かに手の中からこぼれていく。

それでも、不思議と朝は来る。

妻がコーヒーを淹れ、私は新聞を広げる。

そんな何でもない朝が、今は奇跡みたいに思える。

いくつもの夜を越え、涙に濡れて眠れなかった朝を越え、いくつもの別れを越え、それでもこうして同じ食卓を囲んでいる。

それは、当たり前なんかじゃない。

noteを書き始めた理由

定年退職して半年が過ぎたころ、私は突然noteを書き始めた。

最初は、本当に軽い気持ちだった。

幼いころ、病気がちだった私を可愛がってくれたお爺さんのこと。

外で遊べない私に、古いラジオを分解して見せながら、「お前はお前のままでいい」と笑ってくれた父のこと。

少年時代、誰にも言えず胸の奥にしまっていた孤独と挫折。

第一期生で、プレハブ校舎と石ころだらけの校庭から作り上げた初めての学園祭。

そして思い出の駅で、憧れていた長い黒髪のあの子と出会い、胸の鼓動が止まなかった場面。

名前を呼ばれただけで、一日中うれしかったあの頃。

ひとり六本木、防衛庁の閉鎖した部屋、レベッカの曲が流れた夜。

そんな、誰にも話さずにいた小さな記憶たちが、定年後になって静かによみがえってきた。

旅先で出会った風景。

マンドリンが鳴った日、五十年ぶりに再会した同級生。

青春の続きを生きるような時間。

妻への「ありがとう」。

人生後半戦になって、ようやく気づいた小さな幸せ。

そんなものを書いていた。

すると、不思議なことが起きた。

たくさんのスキと嬉しいコメントをいただいた。

「わかります」「泣きました」「続きを読みたいです」

知らない誰かが、そう言ってくれた。

画面の向こうの言葉に、逆にこちらが救われていた。

六十五歳になってわかったこと

若いころの私は、「人生には締切がある」と思っていた。

夢を追うにも、挑戦するにも、誰かを好きだと言うにも、もう遅い年齢が来るのだと。

でも、この歳になって、やっとわかった。

人生には「遅すぎる」はあっても、「終わり」はない。

人は、心が動いた瞬間から、もう一度始められる。

あの少年の続き

定年したら、人生は静かに終わっていくものだと思っていた。

でも違った。

人生後半戦には、人生後半戦にしか見えない景色がある。

若いころより、涙が沁みる夕焼けがある。

名前も知らない町で、胸が熱くなる瞬間がある。

「ありがとう」を、やっと言える夜がある。

そして今、私はようやく思う。

ずっと置き去りにしてきた「あの少年」を、迎えに行く時間なのかもしれない。

六十五歳。

noteデビュー、半年遅れの自己紹介。

けれど、私にはちょうどよかったのかもしれない。

書きたいことが、まだたくさんある。

十九歳で時間を止めた兄のこと。

九十二年分の人生を私たちに残してくれた母のこと。

十歳下の妹と甥たちのこと。

妻の若くして亡くなった義母と妹、残された姪たちのこと。

気がつけば、見送る側になり、見守る側になっていた家族のこと。

マンドリンが鳴る日に再会した、五十年前の青春のこと。

何度も人生の坂を越えてきた妻のこと。

遠い町の無人駅に降り立った日のこと。

そして――

人生はもう終盤だと思っていた六十五歳の春に、再び始まった私自身のこと。

あの頃の私は、
世界が怖くて、
母の自転車の後ろから降りることさえ勇気が必要な少年でした。

その少年が出会った人たちのことを、
これから少しずつ書いていこうと思います。

もしよかったら、
人生後半戦の旅に、少しだけ付き合ってください。

追伸

私の記事の縦糸はノンフィクションです。

人生で出会った人や出来事、旅先で見た風景、小さな発見、胸に残った言葉たち。

そこへ時折、フィクションという横糸を織り込みながら、一つの物語として紡いでいます。


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