かはくの夢
祖父母の家は東京にあった。
京成線の沿線で、電車に乗ればすぐに日暮里や上野に出られる。
昔は上野公園の下に京成線の駅があって、京成線に乗れば上野動物園や博物館に簡単に行けた。
博物館動物園駅だったかな。
ホームが短くて、止まれない電車が多かったように思う。
あと、構内に古ぼけたペンギンの壁画があったかな。
小学生の頃は、よく、祖母に連れられて動物園とか、科学博物館に行った。
当時の科学博物館には今みたいに遊びながら学べる格好のいい展示があったわけではなくて、ただ古くて美しい建物の中に剥製が静かに並んでいたような記憶がある。
長年世界中を旅してきた、蒐集癖のあるエキセントリックな探検家の宝物庫、みたいな趣きがあった。
ちっちゃく縮んだ干し首とか、忠犬ハチ公の剥製があったね。
展示ケースのなかにはたくさんの、もとは生きていたものたちがいて、不本意なポーズを取らされたまま、乾ききった肉体を人目に晒してた。
どこか諦めた顔で。
そんな部屋の中に、ミイラの人がいた。
他の国で作られた女性のミイラで、ガラスケースの中に横たえられていた覚えがある。
亡くなった人を見るのは、それが初めてだった。
干からびた体は茶色っぽくて、どこか作り物みたいに見えた。
彼女が前は生きていたことが、なんだか信じられないような気がした。
裸だったのだけれど、股間に小さな布が置かれていて、それが一番印象に残った。
おそらく望んでもいないのに、死後に遠い異国に運ばれてきた彼女を守っていたものは、その小さな布一枚きりだった。
それだってきっと、彼女のためではなくて、彼女を見にやってきた人たちを当惑させないためのものだったのだろうね。
その時はまだ、うまく言葉にできなかったけれど、子供ながらにやりきれない思いが残った。
私、あの時とても悲しかったんだ。
博物館は好きだし、必要なものだと思う。
ミイラも、生首も、剥製も、化石も、好きだし魅力的なんだけど、ああいうものはさ、楽しいか悲しいかどっちかって言われたら、やっぱり悲しいんだよね。
私、お肉とか貝殻とか革製品には悲しみを感じてないから、これは本当に私の勝手な感傷なのだけどさ。
科学博物館に限ったことではなくて、博物館っていつも少し悲しい。
失われた命とか、文化とか、生活の抜け殻はケース越しにじっくり見られるのに、でも絶対に失われたものは戻ってこないってわかるからなのかなー
去年一時帰国したときに、子供と氷河期展を見に行ったけど、常設展に外国から来たミイラの女性はいなかった。
もうずいぶん見ていない気がする。
倉庫かどこかで、ゆっくり眠れているといいね。
でもね、私ちょっとだけ、博物館に飾られてみたいの。
人類が滅びた数万年後とかにさ、そのとき地球上にいるプレデターみたいな知的な生命体に、バラバラになった私の化石が発掘されて、間違った形で博物館で復元展示されたら楽しそうだなーって。
頭とお尻は逆だし肩に指をつけられたりしてるのに、社会科見学か何かでやって来た子供のプレデターたちが、感心した顔で私の化石をスケッチしてくれたらいいなって思うんだよ。
博物館に行くとよくそのことを考える。
でもかなり特殊な死に方しないと、現代社会では化石になれなそうだよね!
