奥州街道 松前道1 白河宿→須賀川宿
2025年春、薩摩街道を南下し鹿児島の地に辿り着きました。
次はどの街道を歩こうかと迷っていた頃、還暦を迎えた街道歩きの仲間から体力のピークの話をよく耳にする様になります。
現在57歳、体力があるうちに歩ける道を考えたら、一番過酷な道が頭に飛び込んできました。
いざ出陣、津軽半島最北端の三厩まで行けるか、年齢との戦いが始まります。
2025.07.12
1.スタート地点まで

予定表を眺めて、何度見ても今回は過酷だなぁと感じます。暑さと脚の痛みなどで、歩行距離は激変しますので、なるようになれで先ずは歩き始めます。
今回もお世話になる、地図はこちら↓
日本の街道地図と走り歩き旅、全国の殆どの旧街道が、1/25,000の地図に100m間隔で点で記されており、歩く目安がつけやすくとても良い地図です。

プリントアウトして、1日歩く分をつなぎ合わせて、今回の行程4日分を日ごとに四つ折りにして準備完了。







利根川がとにかく好きです。
なぜなら上の画像、川の左岸が私が育った茨城県猿島郡総和町(現古河市)。
この大河を見ると、心の底から望郷の念に駆られます。



由来は白河城主の松平定信公が、お抱え絵師に考案させたのが始まりで、今でも毎年2/11にだるま市が執り行われています。

白河宿以外で、街道沿いのだるまの名産地が2つあります。
一番大きかったのが高崎宿。

だるま職人の町 の雨戸看板
高崎宿を出で程なくすると、沿道にたくさんのだるま製造工場が現れます。

工場の入口
工場といっても、個人宅の中で営んでいる感じで、だるまは季節物なので農業などとの兼業かもしれません。

アマビエのだるま
高崎宿を歩いた2021年5月はコロナ禍。
日本の疫病封じの妖怪と言われる、アマビエのデザインを模しただるまが飾ってありました。
もうひとつ、高崎ほど規模は大きくありませんが、日光道中の越ケ谷宿。

ゆるキャラだるま
越谷市は鴨ネギ鍋で町おこしをしているので、だるまと合体したオブジェが飾られていました。

町工場

北越谷駅構内のだるまオブジェ
越ケ谷だるまの特徴は、鼻が高い事。
高崎のだるまは、大量消費地の江戸までの輸送中に鼻が折れるリスク回避のために、低い鼻で作られていたらしく、それと差別化するために、江戸に近い越ヶ谷のだるまは花が高かったとか。
今はどうなのでしょうね。
高崎宿・越ケ谷宿を歩いた時の記録はこちら↓

松尾芭蕉像。
芭蕉は曾良と、奥の細道二人旅。
私は奥州街道松前道、みちのく一人旅。
身が引き締まります。
2.女石追分 根田宿

女石追分。
宇都宮と白河を結ぶ奥州道中は往復したので、この地に来るのは三度目です。
会津街道と奥州街道の追分なのに、石碑や看板が無いのは何故か、不思議に思っていたら、100m程北側にありました。


時速4mで歩いていると、殆どの遺構や関連標識などは見逃さないのですが、街道から離れた遺構は、ガイドブックでの予習やGoogleマップでのこまめな遺構検索が必要ですね。
では、みちのくひとり旅、始めます。




この国道4号の東京からの距離看板が、今回の旅のモチベーションになりそうです。

手打ちそば大清水。
すでに閉店してしまった様ですが、過去の口コミは絶賛の声ばかり。この地に清水が湧いていたから、この屋号らしいです。











六地蔵の木札。
経文が書かれた扇子状の塔婆と、"今月 今日 六地蔵"と記された木札があります。
毎年この場所に納めているようで、なんとも言えない不思議な光景でした。

只今の気温は18℃。
肌寒さすら感じます。連日30℃超えでしたので、お腹を壊さない様に雨具を着て歩きます。
3.小田川宿







東北自動車道と国道4号に挟まれた、熊が現れそうもない道にこの看板があるとは…
気が抜けません。
4.太田川宿 踏瀬宿



首切り地蔵。
由来を読むと、首が落ちていた地蔵があり、後付けで神話がつけられた様です。









ご近所の人が私が持っている地図に興味を持ち、お見せしたところ地図に出てない本当の街道を教えて頂きました。
民家の裏みたいな所を歩くのは興奮します。

この付近は溜池がいくつもあります。
安定した水量の河川が少ないからだと思われます。
西国街道を歩いた際に、中国地方でも多くの溜池を目にしました。
面白かったのが、溜池を活用したゴルフ練習場。

広島県福山市
地図を見ると溜池があるはずの場所に、ゴルフ練習場があり、おかしいと思い裏手に回ると。

広島県福山市
溜池に向かって打ってます。

広島県福山市
しかも溜池が規格外の大きさ。
玉はゆらゆらと下流に流れ着く様になっていて、そこで回収してました。
もっと凄かったのが、同じく西国街道にあった、山口市内の長沢池。

山口県山口市
鳥居に向かって打つ様な感じです。
一体どうやって玉を回収しているのか、不思議です。

山口県山口市
西国街道、二つの溜池ゴルフ練習場を歩いた時の記録はこちら↓




飯豊山(いいでさん)。
山岳信仰の信者は、講を組んだ仲間内で一定の回数登拝すると、その道中に山の名前が刻まれた石碑を建てます。
上の画像の石碑に刻まれている飯豊山は、福島・山形・新潟三県にまたがる修験道の山です。







5.大和久宿 中畑新田宿









矢吹町高齢者若者センター。
街道を歩きながら、公民館を記録し続けていますが、高齢者と若者を冠した施設名に驚きました。
しかしよく考えると、若者は学校を卒業後に大都市に出てしまい、高齢者になって戻ってくるので、この施設名は地域の現状を正しく示しているのかもしれません。




線量計。
放射線量の1時間あたりの空間線量率を、マイケロシーベルト(μSv/h)という数値で可視化する計測器。
東日本大震災後に、福島県内の公共施設などに設置されています。
国際放射線防護委員会によると、一般人が被ばくしても良い放射線量の上限は、約0.23マイクロシーベルトと言われています。
上の画像の線量計は、0.082マイクロシーベルトでした。



街道沿いに飲食店がないので、棚倉街道に入り、少し寄り道をします。


白河ラーメン。
太麺濃いめの醤油味、私のストライクゾーンです。
6.矢吹宿 久来石宿






矢吹宿に入り和菓子店が3件も営業中、往時の賑わいを感じさせます。




















四号食堂。
屋号・佇まい・暖簾、完璧です。
入りたいけど、ご飯食べちゃいました。

7.笠石宿 鏡石宿


参道の石畳が、苔が映し出された様な緑色に彩られ、輝いて見えます。
この参道だけでも見る価値があります。


熊野神社、いい神社でした。







板碑に笠が刻まれていたそうで、笠石宿の地名の由来かもしれません。
板碑(いたび)とは、鎌倉・室町時代に造られた、石製の供養塔の一種です。



鏡石町立第一小学校。
壁が一切ありません。秩序が保たれた良い地域なのだと思いました。
街道を歩いてきた記憶の中で、もう一校壁がない小学校があります。
2022年8月に、北国街道を新潟県上越市の高田宿から歩き始めた日でした。

新潟県上越市
高田宿には、日本一の長さを誇る雁木があります。
雁木とは、豪雪地域でよく目にする、家屋の一部などを道路側に延ばして、歩きやすくするアーケードの様な小屋根、雪国街中文化の象徴的な建造物です。
上越市内の雁木の総延長は約15kmで国内最長。第二位は旧長岡市の約5km、第三位は旧栃尾市、どちらも新潟県内になります。

新潟県上越市
もう一つ、道中でよく見た雪国らしい風景が、かまぼこ型の車庫。
車庫だけで無く、ゴミ捨て場・バス停留所建物・倉庫など、よく観察するともっとあると思われます。

新潟県上越市
そんな雪国文化を楽しみながら歩いていた時に、上越市立大和小学校の前を通り、その開放感はなんだろうと見ていると、壁がない事に気がつきました。
物騒な時代に、何かあったら責任取るのか、みたいな声もあると思いますが、この様な状態を継続している小学校は、本当に素晴らしいと思います。







デコちゃんとは、武田信玄の大叔父の子孫。戦後に鏡石に移住し、多くの市民から愛された様です。






8.須賀川宿




一里塚が両塚共に残っていると、テンションが一気に高まります。




須賀川絵のぼり。
江戸時代に始まった、和紙や布地に鍾馗(しょうき)を描き、端午の節句に祝った風習が、現代まで続いているそうです。






須賀川市は、1965年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルに輝いた円谷幸吉さんの地元です。


9.円谷街道

家々の軒先に、俳句が記された軒行灯が飾られています。
大田原宿は松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅で8日間も滞在していました。
それに由来し、市内各地に俳句ポストが設置されるなど、今もその文化が色濃く残っています。


等躬 (とうきゅう)は須賀川の俳人で、松尾芭蕉と親交があり、奥の細道の行脚中の記録には、等躬の自宅に4~5日留まる、と記してありました。



福島県須賀川市はM78星雲光の国と姉妹都市です。
M78星雲とは、ウルトラマンたちの故郷。
ウルトラマンシリーズを作った、円谷英二氏が須賀川市出身であることから、姉妹都市を結んでいます。








宿で洗濯と入浴を済ませて、夜のパトロールに出掛けます。











須賀川の町はとても活気があり、綺麗でした。
居酒屋のマスター曰く、2013年のM78星雲 光の国との姉妹都市提携以降、街中にウルトラマンなどのフィギュアが立ったり、円谷英二ミュージアムができたりして、街が明るくなったそうです。
