平戸往還1 日ノ浦→佐世保宿
平戸城から平戸瀬戸を渡った対岸の、日ノ浦から陸路を南下して、長崎街道の彼杵宿までの約60kmの往還。
平戸藩主松浦氏が参勤交代や長崎勤番に、伊能忠敬が測量に、吉田松陰が平戸遊学時に利用しています。
今回は唐津街道を平戸まで歩いた勢いで、2日間で一気に歩きます。
2026.03.24
1.日ノ浦

平戸往還の地図がどうしても見つかりませんでした。
峠道や市街地の道がかなり複雑で、感覚では歩けそうもなかったので、国土地理院の地図を印刷して街道地図を作成。
様々な情報をつなぎ合わせて、最後は歩く前日に平戸市役所田平支所で聞き込みをして何とか完成。
いい地図が出来上がりました。

昨夜は、炬燵でオーナー夫婦と、水戸黄門見をながらの夕飯。
一生忘れないと思います。


海を渡る船がないので、始発の馬車(バス)でスタート地点の日ノ浦まで移動。




平戸周辺では、かつては古式捕鯨が盛んな地域でした。
食べるだけではなく、油が工業用油、ヒゲ・歯が工芸品、骨が肥料など、命を大切にしていました。
その影響で現在でもクジラを食べる文化が残っており、長崎県のクジラの消費量は日本一です。

何気なく教会が見える風景、長崎県ならではですね。





たびら平戸口駅。
日本最西端の鉄道駅です。



平戸市役所田平支所。
昨日、平戸往還の一部区間の道がわからなくて聞き込みに行くと、職員さんがゼンリンの地図を持ってきて、丁寧に教えてくださいました。
ありがとうございました。


里田原(さとたばる)遺跡。
唐津街道沿いの地名で語尾に"原"が付くと、大抵"ばる"と読みます。
沖縄も同じなので、九州の大和言葉が琉球国に伝わったのかもしれません。


先ほどの道標に従って進んだら行き止まり。
少し先行きが不安になります。

左が唐津街道で右が平戸往還。

寒空の下、屋外での朝食。
通りかかった人に、
「もう少しで暖かくなるばい、辛抱辛抱」
と励まされました。

2.琵琶石峠




マムシグザ。
北海道から九州までに分布する、サトイモ科の植物。
上の画像のイチゴの様なものが実で、地面から出たばかりの模様がマムシに似ている事からマムシグサと呼ばれています。
甲州道中や日光道中でも見かけました。
九州とは形が違う実や、マムシの模様がよくわかる画像もありますので紹介します。

山梨県大月市

栃木県日光市






九州では熊の心配は要りませんが、猪がよく出る様です。
木の根を掘り起こした跡が、あちこちに残っていました。







上の画像の正面の人工池の底に、旧街道が続いていたそうで、水位が下がると街道の遺構が姿を見せるそうです。







伊能忠敬 木星観測之地。
伊能忠敬がこの地で木星を観測して、日本地図の測量をしました。
天体観測で地図を作成する方法は、何度か文献を読みましたが、理解できない難しさです。
伊能忠敬の旧宅がある、千葉県北部の佐原銚子街道の、佐原宿を歩いた時の記録がありますので紹介します。

千葉県香取市
佐原駅前では伊能忠敬がお出迎え。

千葉県香取市
街中には忠敬銅像の道標も。

千葉県香取市
29歳から49歳まで働いた商家。
その後江戸に出て天文学などを学び、55歳から17年かけて全国を歩き、日本地図を作成します。人生50年時代に成し遂げた偉業、スーパーマンですね。
佐原宿を歩いた時の記録はこちら↓
平戸往還に戻ります。


3.江迎宿





吉田松陰の座石。
私も僭越ながら、座らせて頂きました。
街道を歩いていて、僧侶(日蓮上人や弘法大師など)と、武将(信玄・信長・秀吉・家康など)以外で、故人が歩いた痕跡を記した記念碑の多さベスト5を、感覚ですが挙げてみます。
5位 伊能忠敬
4位 種田山頭火
3位 吉田松陰
3位 松尾芭蕉
1位 明治天皇
圧倒的に多いのが明治天皇。
江戸時代は、天皇が御所から外に出る事が殆どなかったため、明治になり国民に天皇の認知度を高める事などを目的に、全国を6度にわたり訪問しました。
天皇が御所の外に出る事を行幸(ぎょうこう)と呼び、明治初頭に全国を巡った行幸は、六大巡行と呼ばれています。
明治5年(1872年) 九州 西国
明治9年(1876年) 東北 北海道
明治11年(1878年) 北陸 東海道
明治13年(1880年) 甲州 東山道
明治14年(1881年) 山形 秋田 北海道
明治18年(1885年) 山口 広島 岡山
脱線しましたので平戸往還に戻ります。

千灯籠鉄塔。
毎年8月23・24日に開催される江迎千灯籠祭りで、この鉄塔に千の灯籠が飾られるそうです。

鉄塔の形が三角形になっているのは、江迎出身の天下の奇人・徳田真珠のこだわりと関連しています。
そのこだわりとは三角形、彼が利用する家具・調度品・皿・杯・箸・墓まで全てが三角形でした。佐世保市役所江迎支所内に、展示物があるそうです。









えむかえ繭玉まつりの期間中。
街道沿いの繭玉を、楽しむことができました。









江迎宿、もう一度訪れてみたくなる宿場町でした。
4.江里峠








経験上、通行人は絶対来ないと思われる峠道で、スポーツバッグ片手にジーパンにジャケット姿の、60代後半と思われる男性が上から降りてきます。
ちょっと怖かったのですが挨拶をすると、若い頃を思い出して佐々の街中から峠道道を歩いて来たそうです。
どう見ても、スポーツバッグに札束を入れた銀行強盗の逃走犯風で、妄想すればするほど可笑しくなってきました。









この付近も道が複雑で、地図を見ながら困り果てていたら、自動車で通りがかった男性が、詳しく道を教えてくださいました。





手作業風の見事な切り通し。
いつの時代に削ったのか知りたいです。



徐々に桜が咲いてきました。


5.佐々宿




この付近は往時と同じくらいの狭い道幅。
テンションが高まります。



まだ春休みなので、子どもたちが元気に遊んでいます。







天井画は81枚あり、1877年の神社再建を記念して描かれました。



きめ細かな味で美味しかったです。

ハンバーガーで有名な佐世保。
夜に食べられるか楽しみです。
6.半坂峠









本日三つ目の峠を越え、あとは下って佐世保宿を目指すのみです。
佐世保湾が見えてきました。

春の暖かな陽気のもと、菜の花と佐世保湾を眺めながら下る峠道。
ずっとこの時間が続いて欲しい、と思うくらい快適なひとときでした。


金閣寺みたいな建物、銀閣寺以外で初めて見ました。

7.中里宿









峠を下りた後も、小高い丘の上を道は続きます。



犬堂観音の由来の最後に、前の道は"殿さま道"とも呼ばれていると書かれています。
これを読むと、参勤交代で歩いていたことが身近に感じられます。


8.左石宿

佐世保市中心部が近づいてきました。
住宅地の中を街道は、縫うように進んでいきます。


犬も猫も人が来るとかならずこっちを見るので、撮影するとカメラ目線になり、毎回いい画像が撮れます。





左石。
平戸から長崎に向かう道中の左側にこの大石があったので、この地の名前が左石になりました。
伊能忠敬の記録にも、左石道端に大石あり、と記されているそうです。



佐世保島原ウルトラウォーク。
真冬の開催なので、夜中の寒さがかなり過酷だと思われます。
一度だけ100kmウォークを歩きました。やれば出来るんだという達成感が得られる一方で、街道を一歩一歩大切に歩く方が私の性に合っているとも感じました。
その時の記録はこちら↓






佐世保独楽(させぼこま)。
元々は漁師たちが暇な時に作ったとされ、約300年の歴史を持つ佐世保の伝統工芸品です。
道沿いのガードレールに、点々と飾られていました。


9.佐世保宿







亀山八幡宮。
軍港佐世保の鎮守神として、海軍将兵の信仰を集めていました。



建物の裏手の、駐車場なのか道なのかわからない場所を進んでいきます。


この先は、宮地嶽神社の社殿の下と思われる真っ暗な場所を潜り抜けて、下に降りてきました。

本日はここまでにしておきます。

洗濯と入浴を終えて、夜のパトロールに出掛けます。


この付近は米兵向けの店ばかり。
求めている雰囲気とは違うので、別の場所にに移動します。

さるくシティ4〇3アーケード。
さるくとは、長崎の方言で散歩するの意味。
4〇3とは、四ヶ町商店街の4、佐世保玉屋の〇、三ヶ町商店街の3の総称。
とてつもなく長いアーケードで、所々交差する道の上にアーケードが架けられていました。
一直線のアーケードとしては日本一の様です。

そのアーケードを抜けた付近に、気になる繁華街がありました。

黒服が案内される店が多く、客引きのお誘いを断りながらの険しい店探し。

いい店を見つけました。
立ち飲みでしたが、年齢を聞かれてよく考えたら今日が58歳の誕生日である事に気が付き、地酒が飲みたいと言ったら酒屋さんから一本届けてくださりました。


店主のみっちゃん、定年を迎えた太田さん、楽しいひと時をありがとうございました!


この日はよく歩き、40kmを超えていました。


ホテルに帰る途中、カウンター5席くらいのハンバーガー店がまだ営業をしています。

深夜0時に良くないとはわかりつつ、気になったので立ち寄りました。
とても美味しかったです。
