中山道6 熊谷宿→本庄宿
▽1991年3月
23歳 30年勤めた会社の入社前に、東海道を歩きました。
▽2021年3月
53歳 30年勤めた会社の退職後に、中山道を歩き始めました。
京都まで一気に歩く、"気力"、"体力"、"時の運"、が無いので、行けるとこまで歩く事を繰り返します。
2021.04.24
1.熊谷宿

大宮駅から高崎線快足アーバンに乗って熊谷駅に、2日かけて歩いたところを、たったの28分で到着。くぅ〜、なんて考えているとアホらしくなるので、歩きます。
駅構内には元気な看板が、埼玉県北部を中心にに7店舗展開するパチンコチェーンのasukaさんのの広告。ジャンジャンバリバリ元気が出そう、なんか素敵ですね。

地元の武将、熊谷直実(くまがやなおざね)さん。バスターミナルのど真ん中の島の中にあり、近づく事が出来ません。道路越しに撮影してたら、自家用車が停まって、撮影終わるのをまっててくれました。
いいぞ!熊谷!、ありがとうございました。
2.ラグビーの街熊谷



何故熊谷がラグビーの街なのか、1948年に熊谷市内の高校にラグビー部が出来、県内屈指の強豪校に。
その後1967年の国体でラグビーの教員部門チームを強化するために、ラグビー経験者の教員を多く採用した事が影響しているとか。
ラグビーワールドカップの会場になったり、パナソニックワイルドナイツが、群馬県太田市から熊谷に移転して来たり、ラグビー東の聖地とも呼ばれてます。

そうそう、この男もやって来ます!
3.旅の友

前回熊谷まで歩いた際に、夜もお付き合い頂いた、熊谷に住んで28年の"マサ高橋"くん(本名:
高橋政稔)が、なんと途中まで一緒に歩きましょう!と連絡をもらい、10:00に八木橋百貨店前で待合わせです!
"マサ高橋"って勝手に呼んでますが、マサ斉藤を想い出しますね。昭和のプロレスファンにはお馴染み、アントニオ猪木との巌流島決戦が懐かしいです。
旅行代理店に勤務していた頃、どうしても巌流島に行きたくて、ツアーの行程に組んだ事を思い出しました。船をチャーターして島を目指した時、気分はマサ斉藤でした。
関係ない方向に脱線しちゃったので中山道に戻ります。

こちらが、働いていた会社の熊谷支店。おそらく国内で1番看板が目立つ店舗、17号を車で走っていると、めちゃくちゃ目立ちます。
熊谷支店には、事業開発の勉強会をやりに何度か来ました。

飲んだ帰りに寄った、泣かせる名前のうどん屋さんが忘れられません。
4.八木橋百貨店

何故"マサ高橋"と八木橋百貨店前で10:00に待ち合わせをしたかというと、何と旧中山道が百貨店の中を通過しているのです!道路の区画整理や百貨店の敷地拡張でこうなったそうです?これは素通りする事は出来ませんので、開店時間に合わせて待ち合わせしました。


こちらが江戸寄りの入り口。


店内にも中山道の表記が!いい感じです。

京寄りのの出口。中山道愛に満ち溢れたひとときでした。
5.鰻の寝床

江戸時代、道路に面した土地の幅で税金が決まっていたそうで、街道を歩いていると、鰻の寝床のように、奥に長細い建物をみることが出来ます。熊谷は虫食いのように、空き地があるので、それがわかりやすく楽しかったです。


上の画像は、鰻の寝床の土地の隣がおそらく区画整理で道路が出来たので、長細い建物を作ったのでしょうか。
とても味がある建物でした。
6.一番街商店街


八木橋百貨店を抜けて、ワクワクするゲートをくぐり、一番街商店街を抜けていきます。
この手のゲートは沖縄に多くて、"○○社交街"と書いてあるパターンが主流でしたが、なんか社交の言葉にドキドキ感が満ち溢れてました。
余談になりますが、熊谷宿には、地元の反対で飯盛がいなかったそうです。



まったりとした街並みを歩きながら、熊谷在住歴28年ローカルガイド"マサ高橋"が、途切れる事なくウンチクを披露、私のしょーもない質問に、ほぼほぼパーフェクトに答えてくれました。

おおっ、昭和の香りがするマンション、デザインが素敵で、いつか文化財になれそうな佇まいです。

こちら、がってん寿司の本社。今流行りの一皿100円みたいには安くないけど、味は美味しい回転寿司。自宅の近所にあったので(今は吉野家)、よく家族で食べに行ってました。

この緑地帯は、東武鉄道妻沼線の廃線跡。長男と2人でサイクリングに来たのを思い出しました。
終点には国宝の妻沼聖天山が、東照宮の様な作りで、埼玉日光とも呼ばれており、日光市にある小西美術工藝社が修復などを手掛けてます。


一里塚跡や、藩の境目を示す石標を抜け、熊谷の街を後にします。
熊谷には城がなく、隣の行田市にある忍城(おしじょう)の忍藩の管轄内に、熊谷宿がありました。
忍城がある行田は中山道が通過しないので、↑こちらをご覧ください。
忍城を舞台にした映画のぼうの城、監督が私の兄なので、是非NETFLIXなどでみてくださいね!
7.カワイイ街道



"マサ高橋"と街道歩きをもっと国民的娯楽にするには、女子ウケするとかカワイイとかの発想も必要だよね、などと話をしてたら、そんなスポットが気になりはじめたけど、なかなかないです。
でもありました、イタリアンカフェや、大地の芸術祭みたいなオブジェが。
江戸時代の建物をオシャレなカフェが街道にたくさんあったら、人が集まるのかなあ?など妄想が膨らんできます。
8.持田先輩家庭訪問

中山道沿いにお住まいの持田先輩のご自宅訪問。ビールをご馳走になり、三人で深谷の街中の蕎麦屋さんを目指します。
盛り上がったのが町内会長の苦労話!

例えば、近所のお稲荷さんの鳥居↑の修復。塗装は飲み仲間に頼めるけど、おキツネ様の置物を製造する職人さんがなかなか見つからなくて、浅草の神社などにあたるもみつからず、ようやく京都にみつけた話などなど。

持田先輩、昔はこんな感じの家に住んでて、養蚕(ようさん)が盛んな地域なので、蚕(かいこ)の幼虫を育てる時期は、蚕に挟まれて寝ていて、一晩中蚕の幼虫が餌を食べる音が聞こえていたそうです。

JA幡羅(はたら)、こちらは養蚕が盛んな頃は、大盛況だったそうです。
この近くはとにかく大きなお家が多くて驚きます。大きくしないと、蚕を飼えなかったからかもしれませんね。

この立派な松の木がある家は、自転車さんだったそうです。それにしても立派すぎる松です。

道が狭いので、一列になって歩くおじさんたち。もっと並んでゆっくりと、お話を聴きたかったなぁ。



この辺りの古い家の敷地内に祠(ほこら)があります。
同行しているマサ高橋の自宅は日光市内中心地の日光街道沿道の旅館で、彼の自宅には祠が3つもあり、大変なのでそれを一つにまとめたそうで、今回同行してて私が祠に驚いている姿をみて、家に祠があるのは当たり前かと思ってた様です。
祠が3つもあったなんて、それ、すげえぞ、マサ高橋!

熊野大神社です。これをみたマサ高橋が、ウンチクを語り始めます。
鈴木さんという名前は、和歌山の熊野神社の神官である鈴木一族が、布教先に住み着いて次々と熊野神社を建立したためらしく、和歌山から船で太平洋沿岸に北上して広がったそうです。

持田先輩の自治会長話とマサ高橋のウンチクで盛り上がりながら、三人は深谷の街中に入っていきます。
9.蕎麦屋の昼食

さて、目的の蕎麦屋さんに到着。混んでいるので、店先で順番待ち。

待ち時間竹藪を眺めながらのおじさんトーク。
▽自治会長
これはモウソウチクだな、祭りに使う竹はマダケじゃなきゃ駄目で探すのが大変なんだ。
▽マサ高橋
竹で水鉄砲作って、旅館の板場の菜箸使ってよく怒られました。
などなど、待ち時間もあっという間です。

鴨肉、いたわさ、かき揚げ、などをツマミにビールで燃料補給してたら、なんと3本しか在庫が無くて、お陰様で午後から本庄を目指せそうです。
このかき揚げの、絶妙なかりかり加減が素晴らしく、マサ高橋は140度でギリギリまで揚げているなど、今度は旅館の息子らしいウンチクを語ってました。

〆の10割蕎麦、なんと790円!八ヶ岳山麓の蕎麦粉で打ってあり、10割とは思えない口あたり、どれ食べても本当おいしかったです。
お店のTwitterがシュールで面白いので、お時間のある方はぜひどうぞ。
持田先輩、ご馳走様でした!
この歳になるとご馳走になる事が少ないので、妙に嬉しかったです。
10.おせんべいやさん

深谷に本店がある、おせんべいやさん本舗、自宅の近くにもあるのですが、ここの"黒胡椒せん"は本当に美味しいです。
薄焼きで黒胡椒がこれでもかとまぶしてあり、贈答用は500円くらいから買えて、自宅用のわれせん一袋290円は酒のつまみに最高。
11.深谷宿

持田先輩と別れ、お昼食べたら帰るはずのマサ高橋も、ビールでフワフワしながら一緒に歩いてて、深谷宿に入りました。



日本橋から歩いて来て最も立派な屋敷、貫禄ある蔵、江戸時代から続く旅館など、歴史を感じさせる街並みが続きます。
12.渋沢栄一さん




大河ドラマで今年はたくさん人が来る事でしょう、バスも走ってました。普通は大河ドラマが終わると、パッタリ来なくなるのですが、次は渋沢栄一の一万円札が待ってます。とはいえどうなることやら…。
13.赤煉瓦の街






1887年に日本初の機械式煉瓦工場が、渋沢栄一さんにより深谷に出来たのがきっかけ。街のあちこちに建物が残ってます。酒蔵の煙突まで煉瓦というのには驚きました。
地震で崩れないのか心配になります。
赤煉瓦はみていて飽きませんね、何か温かみを感じます。
14.ふっかちゃん



ゆるキャラグランプリ2014準優勝のカワイキャラ、あちこちにいます。3枚目の写真は深谷駅のガラスのショーケースの中で、ぐるぐる回ってました。

常夜灯が現れて深谷宿とはお別れ。
15.漬物の街岡部

なんだ、まだ東京から80kmしか歩いてなかったんですね。
マサ高橋に、この先京都までどうやって歩くのですか?と素朴な疑問をぶつけられ、本当に答えられなかった自分に酔ってしまいました。
なんとかなるでしょう、きっと。



マサ高橋のウンチクが出ました、深谷市岡部地区は漬物の街らしいのです。確かに街道沿いに何件かありました。
調べたら、関東地方で一番の生産量で、工場の近くを歩いていると漬物の香りがしてきました。
16.小山川


街道は小山川に向かって街中から離れていきます。わかりづらいですが、遠くにマサ高橋の故郷日光連山がみえてきて、彼は遠くをみて目を潤ませてました。




素朴な風景が続きます。
鯉のぼりを眺められるのもゴールデンウイークまでですね。

この写真の屋根の上に小さな屋根がある屋敷は、群馬県に多い養蚕農家の独特の建築様式です。
採光や換気が出来る様に工夫してあり、蚕のことを、オカイコサマと呼び、大切に育てたそうです。
天の下に虫と書く、天が与えた虫、オカイコ様は別格ですね!


小山川は暴れ川と言われ、反乱を繰り返した影響で周辺は栄養満点の土が堆積して、この近くで獲れる野菜は美味しいそうです。
上の写真はネギ、下の写真は小麦、美味しい深谷ネギは、小山川流域で獲れるネギらしいですよ。

国の登録有形文化財、滝丘橋。1928年に開通したとは思えない広さの橋です。



橋の上からの眺めも、離れた場所からみた眺めも美しく、は渋沢栄一さんの生家が近くにあります。
17.本庄市に

滝丘橋を渡るとそこは本庄市。小麦畑の中を街道歩きのバイブル片手に北上します。
バイブルは山と渓谷社の"ちゃんと歩ける中山道六十九次“。シンプルでよても読みやすく、知り合いの街道歩き好きのおじさんたちも、みんな愛用してます。




クラシカルなドライブインに、ジブリとスターウォーズがコラボしている板金屋さん、マッサージとパブがコラボしているタイづくしの店、
本庄の街中に入ってきました。
18.パラリンピックホストタウン

本庄市は、パラスポーツへの長年の取り組みがご縁で、トルコのパラリンピックテコンドーチームのホストタウンに選ばれてます。
東京から離れてもオリンピック・パラリンピックのノボリが出ているのはなんか嬉しいですね。
19.深谷の関

昼過ぎに通過した、深谷市の中心地で薬局を経営している中里先輩、帰り道に挨拶なしで通過すると、関所破りの重刑に処されます。昼間は仕事してて、お会いできなかったので、帰りに高崎線で途中下車しようと考えていたら、なんと高級な駕籠(トヨタランドクルーザープラド)で吹上駅までお迎えに来てくださりました。
夕飯にお仕事帰りの奥様も合流頂き、楽しいひととき。
ご馳走にもなってしまい、本当にありがとうございました。

写真は中里先輩の店舗とご自宅。映ってませんが奥にお城みたいな自宅があり、4世代で15人位で賑やかに暮らしているそうです!
20.さらば マサ高橋!

お付き合いありがとうございました。
おかげさまであっという間の一日。
頑張って日光街道を歩いてくださいね!
