善光寺西参道1 篠ノ井追分→間宿西条
「一生に一度は善光寺参り」
善光寺をお参りすると極楽往生できると江戸時代から言われてます。
善光寺に通ずる主な参道は二つあり、東は中山道追分宿から向かう北国街道(善光寺東参道)と、西は中山道洗馬追分から向かう善光寺西参道。
北国街道は一昨年に歩いているので、今回は善光寺西参道を、篠ノ井追分から洗馬追分を目指します。
2024.07.20
1.スタート地点まで

街道を本格的に歩き始て4回目の夏を迎えました。
歩き始める前に少し靴の話をします。
初代の靴はNIKE。
何も考えず家の下駄箱にあった、歩きやすそうなタイプを選び、機能性など考えずに歩いてました。

二代目の靴はKEEN。
アメリカのアウトドア・フットウェアブランド。良かったのですが、山道を歩くと甲の高さが私の足の形に合わず、よく豆が出来てしまい、後継種をどうするか悩んでました。

三代目の靴はasics。
靴に妙に詳しい仲間から、asicsのトレールランニング用の靴と、五本指靴下を勧められ、更に足裏を測り底敷を加工したところ、豆が全く出来なくなりました。
豆は摩擦で出来る火傷なので、五本指ソックスは、その摩擦わ軽減するのですが、これも個人差があるので、普通のソックスで豆が出来ない人は、そのままで良いと思います。

4代目もasics。
年に一度デザインが変わりますが、形はほぼ同じ。おそらくこの形式で今後も歩き続ける予定。
今日もこの靴で街道を歩きます。




今日は暑そうです…
雨が欲しい…



新幹線は速いです。
大宮を出ると長野までノンストップで55分。1998年の長野オリンピック開業に合わせて高崎と長野の間で開業。
今は福井県敦賀まで延長し、正式名称で北陸新幹線と呼ばれていますが、その当時は、北陸まで開業しておらず、そう呼べないので、長野行き新幹線と呼ばれてました。




篠ノ井駅の近くには、長野オリンピックスタジアムがあります。
パリ五輪まであと少しですね。
2.篠ノ井追分

今回の旅の供もちゃんと歩けるシリーズ。とても頼りになります。



篠ノ井追分。
左に向かうと善光寺東参道(北国街道)、追分宿で中山道と合流します。
千曲川沿いに城下町の上田宿・小諸宿を通る、自然と歴史が満喫できる街道です。
二年前の夏、北国街道を夫婦で歩いた時の記録はこちら↓





住宅の軒先に"おやき"の看板。
長野県らしい風景ですね。



雨が降ってきました。
暑くならないので恵の雨です。










三十三献燈祭。
ここ、山崎地区で8/9に執り行われる、三十三の燈篭を組み立ててこの地に飾り付ける祭事。
かつて山崎地区に三十三戸あったからなと諸説あり。これぞ地域のお祭りですね。












道標に東京と記されています。
江戸の表記はよく見ますが、東京は珍しく、明治以降に作られた道標である事が推測できます。


3.稲荷山宿




松葉屋。
1939年まで営まれていた料亭。店を閉じてから85年も残っている計算になります。



蔵し館。
稲荷山宿には蔵が多いと感じておりましたが、どうやら蔵の街の様です。


昨年から荷物は上の画像のショルダータイプにしてます。
リュックを背負った時の、背中の汗ストレスが無いので、慣れてしまうとリュックには戻れません。
難点は毎日の洗濯が欠かせない事ですが、もうそれも慣れてきました。







谷街道起点の道標があります。
谷街道とは、千曲川東岸を北上して信濃国飯山に至る街道。宿駅などは定められていません。







稲荷山宿は、善光寺西参道最大の宿場町であった様で、街並みがどこまでも続いています。




茶舗であった田中園、今はおやきを販売してます。店内で食べていたら、美味しいお茶を出してくださりました。
どちらも美味しかったです。
4.蔵の街








少し脇道に入ると、様々な形の蔵が生活の中に残されています。
かなり見応えがあり、磨き上げると鉄道会社のコマーシャルに使えそうなレベル。








5.間宿桑原


西京街道。
街道は向かう方向により呼び方が変わる事があります。
中山道から善光寺へ向かう道はは、善光寺街道・北国西往還・善光寺西参道など様々な呼称があります。
逆に善光寺から中山道方面に向かう場合は、京に向かうことから西京街道と呼ばれていました。




















祭りの告知がシンプル過ぎて芸術的です。




長野銘醸。
海外イベント参加のため臨時休業、世界に打って出ていますね。
参考までに国内の都道府県別の酒蔵数は、新潟県の約90蔵、長野県・兵庫県の約70蔵と続きます。







彼方に長野盆地が見えます。
善光寺を目指していた往時の旅人たちは、この付近からの長野盆地の景色の中に、善光寺を見つけて心躍らせたのでしょうね。
これから峠道に入りますので、長野盆地の風景は見納めかもしれません。
6.猿ケ馬場峠








くまに注意の看板。
この街道はくまが出るとの噂を聴いており、熊鈴を強めに振り回しながら前に進みます。





クマ出没注意の看板が大きくなってきました。緊張感が高まります。

この付近はかつて、"のぞき"と呼ばれてました。なんと有料の望遠鏡があり、善光寺本堂を見たい旅人たちは、何文かの銭を払っていたそうです。





火打石の一里塚。
山道に残る一里塚は、樹々に囲まれていても、その存在感は輝いて見えます。







杉や檜の植林され樹々の山道を歩くより、広葉樹が生い茂った山道を歩くと目も心も癒され、ホッとします。






熊の爪痕。
見たくないですが、現実を突きつけられました。
小走りで峠道を昇ります。
7.聖湖










聖湖の周辺は、釣り・ボート・レストラン・スキー場・宿泊施設などが集まる高原リゾートエリア。
とはいえ、こじんまりとしており、ほのぼのとした雰囲気でした。




くるみ蕎麦。
初めて食べました。くるみのタレで食べる蕎麦、お酒のアテに天麩羅をサービスしていただきました。
美味しかったです。











集乳所。
酪農家が生産した生乳を集める場所。かつてはこの付近にあったと思われます。









先程歩いた猿ケ馬場峠付近は、獣の糞の匂いや熊の爪痕や足跡に怯えながら歩き、今は里山で安心していたら、凄まじい獣臭が。
振り向くと山羊が草を啄んでます。
野生なのか家畜なのか、不思議な場所に佇んでいました。


道路の縁石の両端、アスファルトの隙間に花が植えられてます。
こんな場所でも花が咲いている驚きと、こんな場所に花を植えた人の、発想力に感動しました。
8.麻績宿





麻績宿(おみしゅく)。
この漢字は読めないですね。

更科紀行。
松尾芭蕉が奥の細道を歩く前の年に、中山道の木曽路経由で善光寺参りをする際に立ち寄っています。
その時の旅の記録が更科紀行。
先程通過した猿ケ馬場峠の先の姥捨山で、十五夜の月を鑑賞しています。












木曽義仲の愛馬が長旅の疲れから、膝をガッタリと折ってしまった場所。
木曽義仲(源義仲)は、源頼朝や源義経の従兄弟にあたる人物で、武蔵の国、秩父で生まれたが、木曽で育ったため、こう呼ばれている。










田舎の酒食 あかり。
なんと建物が貨車で出来てます。
飲み屋さんみたいですね、ここで飲んでみたい。






ナナフシ。
駐車場に停まっている黒い車に10匹くらい、休憩してました。
普段森の中だと枝みたいになってて、絶対気付かないと思うのですが、黒い自動車で休んでいたら一発で気付きます。
9.切通し












鐘馗(しょうき)さん。
京都でよく目にする守り神。
本日のスタート地点の、篠ノ井追分から善光寺に向かってすぐの旧北国街道の丹波島宿に、何故か鐘馗さんがたくさんおりました。





推測ですが、丹羽島宿の地名の由来に、丹羽国が関係しているとなると、京都の文化である鐘馗さんがこの地にいる事に納得ができます。
北国街道丹羽島宿を歩いた時の記録はこちら↓






小切通しと大切通し。
1580年に切り開いた、かなりの歴史がある見事な切通し。
往時の人々の力を岩肌から感じる事が出来ます。



街道を歩いていると、気付かない内にも多くの切通しを通過していると思います。
その中で印象的だった切通しを二つ紹介します。
長崎街道 日見新道

長崎市内から小倉に向かう、かなり急で過酷な日見峠の頂点付近を、明治時代に切り拓いた明治新道という道。

この時は旧街道を歩く事に拘ったので、切通しを通過すれば2~3分のところを、峠を昇り10倍くらいの時間をかけて通過しました。
長崎街道 日見新道を歩いた時の記録はこちら↓
陸前浜街道 平潟洞門

勿来の関付近の、切り立った岩を切り拓いた平潟洞門。
さすがに関所の近くは、交通の難所が多いですね。

陸前浜街道 平潟洞門を歩いた時の記録はこちら↓
10.青柳宿






円状の紐に、折紙の様な紙が貼り付けられている飾り物がありました。
祭事の飾り物だと思われます。



青柳宿は坂道に沿って街並みが続きます。平地が少なかったとは思えないに何故斜面にまるのか。
平地は川の氾濫が多かったからかもしれません。





今日は熊の爪痕に始まり、山羊・ナナフ・蛇、様々な生き物に会えます。





1665年設立の日本酒蔵、甍(いらか)酒蔵。
最高品質の日本酒製造を目指し、長野県内の松川村に製造施設を移転しております。
11.間宿西条












長い一日でした。
回るにはお店がほとんどないので、部屋で美味しい長野の日本酒を飲んで早めに寝ます。
