薩摩街道2 府中宿→南関宿
2024年1月に長崎街道を歩き終えてから1年が経ち、何故か身体が九州を求め始めました。今回は長崎街道との追分、福岡県筑紫野市の山家宿から鹿児島県鹿児島市の鹿児島宿まで、薩摩街道の約80里320kmを歩きます。
2025.02.25
1.府中宿


宿泊したホテルAZは本社が大分県大分市。九州を中心に90店もあり、宿泊代金は通年で4,800円朝食付きです。

街道まで離れているので少し歩きます。








只今の時刻は07:00。
誰もいない鐘撞堂の鐘が、突然大きな音とともに鳴り響きました。
びっくりして口をあんぐりさせていたのは私だけで、近くを歩く人々は平然としています。
時計台の様に、自動で鳴る仕組みなのですね。
昨年の3月に佐渡島の、佐渡相川街道を歩いた時にも、同じような仕組みの鐘撞堂を目にしました。

佐渡相川街道は、佐渡金山で採れた金を内地に運んだ道。
その道中にある西光寺に、自動鐘撞堂がありました。

実際に見に行くと、残念ながら破損した部品が散乱しており機能していません。お手入れが行く届いておらず、後継者不足がかなり深刻である事が窺えます。
佐渡相川街道は、金山の歴史・能舞台付きの神社・海辺の街並みなど、見どころ満載です。


特に感動したのが野生の朱鷺に遭遇できたことです。
羽ばたく瞬間の、翼の内側の朱鷺色と呼ばれる上品なピンク色は、いまだに鮮明に目に焼き付いています。

佐渡相川街道を歩いた時の記録はこちら↓











街道沿いの建物には、かつての屋号が建てられています。





明治末期に行われた、神社合祀(じんじゃごうし)と呼ばれる神社の合併制作の影響で、同じ神社の境内に複数の社殿が点在している姿は、よく目にします。
上の画像の祇園社・下宮社・幸神社は、合祀した三社が渡り廊下でつながっている、非常に珍しい社殿の構造です。
これから歩いて向かう鹿児島県は、明治初期に出された神仏分離令で、寺院は一つ残らず廃されたと聞いてます。恐ろしい話ですね。
2.駐屯地







昨日から多くの恵比寿様が、街道の道端に鎮座してました。




街道が駐屯地で寸断されていますので、少し回り道をします。



74式戦車と桜の木。
どんな光景になるのか、満開の時に来てみたいです。
3.慈母観音




現在の気温-2℃。
今日は風が吹いていないので、あまり寒く感じません。




観音様の中に入り、螺旋階段を昇ると雲仙まで見渡せるそうですが、まだ時間が早いので諦めます。

薩摩街道を歩き始めて、初めて国道3号に交わりました。
鹿児島まで何度も並走したり交わる事になるでしょう。








明治天皇が、陸軍大演習を統監された視察点。


ENEOSが交差点を挟んで2件並んでいます。


九州新幹線が見えてきました。
新幹線が近づくと長閑な田園風景が、国内どこに行っても同じ様な風景に一変してしまいます。
便利さとの引き換えに、失われる風景が必ずあります。残念ですが仕方ないですね。

次はあなたの板番です。
この看板が、昨日今日で一番多かったです

4.赤坂

筑後市の表札に、羽が生えた犬が描かれています。
何でしょうか?







休憩は、南九州のご当地ヨーグルトドリンク、ヨーグルッペ。
県外でも販売されているそうです。





























山頭火の句碑がありました。
お経あげて お米もろうて 百舌鳴いて
社日神社の裏手に山頭火が滞在した木賃宿があったそうです。
山頭火といえば、西国街道の宮市宿(山口県防府市)に生家がありました。
訪れた時はお恥ずかしながら、山頭火はラーメン屋さんの印象しかなく、料理人かと思っていたら詩人でした。

こちらが山頭火の生家。

山頭火生家前の句碑。
うまれた家は あとかたもない ほうたる
シュールですね・・・・

山頭火の小路、子どもの頃に歩いた道。

所々に句碑があります。

ラーメン屋さんの看板に、”とんこつ発祥の地 久留米”と記されています。
本日の昼食は、とんこつラーメンを楽しみに歩きます。
5.羽犬塚










先ほど筑後市の案内看板にあった、謎の羽がはえた犬のイラスト。
上の画像の羽犬の文字を見て、その理由が判明。ここは、羽犬塚宿でした。





6.船小屋







温泉街として栄えた頃の道筋を歩いています。



この地では昔から湧き水が吹き出てました。
近くを飛ぶ雀がよく落ちていたため、雀地獄と呼ばれる様になりました。

その後、難病で苦しんでいた老人が、もう死にたいと雀地獄の水を飲んだところ、長年の病気が治った事から、湯治湯としての船小屋温泉の開発が始まったそうです。。















堤防からの眺め。
往時の旅人が渡し舟から降りて、これから歩く街道の道筋を眺めた時と、同じ目線に立てます。




とんこつ発祥の地の久留米流ラーメンに期待しましたが、本日終了の看板。
人気店で売切れなのか、定休日なのかわかりませんでした。


美味しく頂きました。



7.みかんの町



生ごみ専用バケツ。
街道歩いていると、様々なゴミステーションを目にします。漬物の樽のような生ゴミ専用のバケツは初めて見ました。




薩摩街道を歩き始めて気がついたのですが、楼門がある神社が他の地域と比べると多いです。


長い祭事用の白い棒が2本、鳥居の前に幟を付けて立てる為に使うと思われます。立った時は壮観でしょうね。






恵比寿様がたくさん祀られてます。





長い階段の参道。
これは昇らないわけにはいきません。




昇りきると立派な楼門が、拝殿も立派でした。



長い階段の参道を見ると、一瞬昇るか躊躇うのですが、昇った先には必ずと言って良いくらい、街道の神様からのご褒美が待ってます。
河原内春日神社もそうでした。


みかんの無人販売が続きます。産地なのでしょうね。
2年前の同じ日に東海道の静岡県内を歩いた際は、みかん無人販売が1日に10件近くもありました。静岡県民は露店でしかみかんを買わないのかもしれませんね。



2年前の同じ日に、みかん無人販売繁忙期の、東海道を歩いた時の記録はこちら↓













あいさつ日本一宣言都市。
街道を歩いている際に心掛けているのは、駅や繁華街以外の人通りが少ない場所では、人とすれ違う時に挨拶をする様にしています。
面白いのは子どものリアクション。
昨日と今朝は子どもたちに見事に無視されましたが、みやま市に入ると元気すぎる挨拶に感動しました。




鏝絵(こてえ)。
鏝絵とは、左官職人が漆喰を塗り重ねて作る装飾。
通常は建物の壁面に飾られていますが、道標の間に設置されている極めて珍しいケースです。





要川古戦場跡。
ここは源平最後の決戦場の様です。



バイオマスセンター ”ルフラン”。
これを見て、先ほど全てのゴミステーションに、生ごみのバケツが置かれていた意味がわかりました。生ごみなどを集めてメタンガスを発生させ、タービンを回し発電する、バイオマス発電所をみやま市は運用していたのです。

バイオマス発電所の隣は、廃校跡を活用した飲食店。
リサイクル意識が高い自治体ですね。


双対屋根の家。
上の画像の建物、同じ形をした屋根がコの字型に繋がっています。
長崎街道を歩いた際に佐賀県内で何度か目にしました。



双対屋根の家の内部構造をみてみたいですね。
長崎街道で双対屋根を見ながら歩いた日の記録はこちら↓
8.南関宿

四里塚。
起点からの距離を示す道標、どこの起点から四里なのかがよくわかりません。






はなたれ小僧さま。
おもわずカワイイと声を出してしまいました。


はなたれ小僧さまは、”えびのなます”しか食べなかったそうです。

なんと、”えびのなます”がお供えしてありました。
なんだか、じ~んときます。








本日はここまで。
宿泊施設がないので、馬車(バス)で新大牟田駅前まで移動します。


新大牟田駅前に、一般的な像の2倍くらいの大きさの石像が立っています。

團琢磨。
大牟田市内にある三井三池炭鉱の発展に大きく貢献し、三井財閥の総帥となり日本工業倶楽部の初代理事長を務めた、日本を代表する実業家です。
團琢磨が開発に携わった、大牟田市内にある、三池炭鉱・三池港は、明治日本の産業革命遺産として、ユネスコ世界遺産に登録されています。






栄養をたっぷり補給し、明日に備えます。
