美濃路4 起宿→垂井宿〔完〕
2024年の夏は、中部地方を縦横無尽に歩く予定。最初の行軍は東海道宮宿と中山道垂井宿を結ぶ美濃路。どちらから歩くか悩みましたが、大好きな中山道を目指し宮宿から歩く事にしました。
2024.06.16
1.起宿


木曽川。
広すぎます。
ここから河口まで、30km以上あるのにこの川幅は圧巻です。
木曽川と言えば中山道、源流の岐阜県木曽村の藪原宿から、成長の記録を中山道の記録とともにお伝えします。
薮原宿
この流れは木曽川ではありませんが、薮原宿付近では綺麗な水が山々から注がれてきます。

宮ノ越宿
木曽川は次の宿場に到着するにつれ、徐々に川幅が広くなってきます。

木曽福島宿
木曽福島の関所を超え、木曽川に少しずつ風格が漂ってきます。

木曽の桟
中山道を代表する名勝、その道中で一番印象的な風景でした。

木曽町
木曽川は、大きな岩をも転がす、力強い流れになってきました。

太田宿
馬籠峠・十三峠超えで暫く離れていた間に木曽川は更に成長を重ね、太田宿で再開した時には、超大河に変貌していました。

中山道と木曽川は太田宿を最後に、それぞれ京と伊勢湾を目指し別れます。
ではそろそろ美濃路に戻ります。


是より美濃國。
中山道垂井宿まであと少しです。




木曽三川のひとつ、木曽川とはここでお別れ。この後、長良川・揖斐川と、大河を二度渡ります。






木曽川対岸の一宮市には、日本一のこぎり屋根の建物が残っています。
かつて繊維産業が盛んだった頃の名残りでその数約2,000棟、そこら中で目にしました。
のこぎり屋根の街並みを歩いた記録はこちら↓




地蔵菩薩の由来。
良い言葉が書かれてます。
お地蔵さんは、すべてのものを生み出す大地をつかさどる慈しみの母で、特に子供を守るといわれてます。
「心を込めてお参りしましょう」















及が橋。
中世には美濃路より及川の1.6km上流に鎌倉街道が通っており、そこに及が橋が架けられていました。
時代が変わり美濃路が主要街道になったのちに、洪水で及が橋が流されて、この地にあった橋の場所に流れ着いたことから、及が橋と呼ばれる様になっています。







この付近は、水田が開発されたお陰で、街道が寸断されており、暫くは水田の中を歩きます。





美濃路はこの先、長良川の支流境川の堤防上の道を進みます。
2.堤防上の道





境川の堤防上が街道であった為か、道沿いにある家は堤防の斜面に沿う様に建っており、堤防に面した2階部分に玄関がある、面白い構造となっています。
堤防の上の街道といえは、京街道の守口宿の文禄堤を思い出します。

文禄堤は、大阪から京都までの淀川左岸に、27kmの長さで築かれた京街道が通る堤防。
上の画像の、左右に通る高架の道が文禄堤です。

道の左右には、普通に家々が建っており、とても堤の上とは思えない光景です。


文禄堤を歩いた時の記録はこちら↓




沈下橋。
街道を歩いていて、沈下橋を目にしたのは、中山道 鴻巣市、川越児玉往還 坂戸市、長崎街道 直方市、長崎街道 飯塚市と、今回で五回目。



その中でも沈下橋が街道のルート上にあった例は、川越児玉往還で渡った埼玉県坂戸市の島田橋のみです。
突然現れるその姿に驚きました。




農作業の軽トラや、釣りを楽しみにきた小学生など、地域の大切な道として活躍していました。
川越児玉往還を歩いた時の記録はこちら↓






堤防の上にバス停留所までありました。珍しいですね。
堤防街道歩きもこの付近まで。
3.長良川






さぁ、二本目の木曽三川を渡ります。
長良川もかなり大きな川なのですが、先程渡った木曽川が凄すぎました。



新幹線車窓から見えた不思議な建物が、彼方に望めます。
その名はソーラーアーク。かつては家電メーカーSANYOの太陽光発電所でしたが後にPanasonicの所有にり、現在は稼働しておらず、解体されるとの噂があります。

4.墨俣宿





墨俣(すのまた)宿。
墨俣の渡しがあったので、さぞ賑やかだったと思われます。







脇本陣跡が、古民家再生のショールームになっていました。
手がけたのは地元大垣市の設計事務所"空間建築工房"。
古民家を自社のショールームにして活かすいう発想が斬新で、ビジネスとして見事に活用されており、往時の活気を取り戻している感じです。



普段の街道歩きですと、お昼はラーメン屋で、メニューも見ないで醤油ラーメンと瓶ビールを注文しています。
今回は歩き終えた翌々日に、人間ドック上下内視鏡付高級フルコースを控えているので、検査精度を高めるためにもアルコールも控えてます。
なので少し贅沢なお昼にします。

ひつまぶし。
メニューを見ずに注文したものの、よく考えたら人生初のひつまぶし。
いざ器を並べられたら食べ方がよくわからず、店員さんに食べ方を教えて頂きました。
美味しかったです。








墨俣城。
木下藤吉郎、後の豊臣秀吉が一夜にして築いたと伝えられています。
今回は時間がなくなってきたので、眺めるだけに。







建物壁面アート。
ハイクオリティです。この地域に何ヶ所か作品があると思われます。





白山神社。
堤防の斜面に建てられている珍しい構造の神社。街道に背を向けている点も珍しいです。







結神社の名の由来は、江戸明治期の合祀(ごうし)と呼ばれる神社の統合で、複数の神社が一緒になり結ばれたので、結神社と名付けたと言われてます。
市町村合併前、この地域の地名が神社の名前にちなんで結村でした。素敵な名前ですね。
5.揖斐川


さてここからが苦行の道。
往時でしたらこの場所から渡しに乗るのですが、現代は橋で渡ります。最寄りの橋までここから1.5kmあるので、往復3kmの無駄歩き。
心身ともにくたびれます。





三本目の木曽三川、揖斐川を渡ります。
美濃路の終点、垂井宿が、じわじわと近づいてきました。




垂井宿方面の空、雨雲に覆われてます。
街道歩きの雨はあまり気にならないのですが、宿泊せずに帰宅の途に着く日の最後の雨だけは嫌です。
何故ならずぶ濡れで帰ることになり、下手すると椅子を濡らしてしまうので、クタクタなのに座れないという、地獄を見るからです。

まぁそんなこと考えていても、なる様にしかならないので、邪念を払い一歩一歩前に進みます。





雨が降ってきました。
結構激しく降ってきました。







大垣サウナ。
サウナ好きの方々の中では聖地とされています。
そういえば爆発したサウナブームは、少し落ち着いてきた感じがしますね。






6.大垣宿







美濃路の西枇杷島にもありましたが、大垣宿にも山車蔵がたくさんあります。
祭りの時は凄そうですね。








大垣宿、まだ歩いている途中ですが、街の懐が深過ぎて素通りするには勿体無いです。







開発が進んだ街の中心に、本陣跡の土地の大切に残されています。
7.奥の細道むすびの地









船町界隈の風景、何もかもが素晴らしいです。
今日はゆっくりできないので、また来る楽しみが出来ました、




奥の細道で読んだ事がある場所。
ここから伊勢神宮の20年に一度行われる行事"式年遷宮"を見るために船で向かいます。
往時の芭蕉や曾良は、どんな気持ちで船を待っていたのか、想像しながら船町の風景を眺めていました。



舟運が盛んな頃の水門川の様子を見てみたいですね。
後ろ髪を引かれながら、垂水宿に向かいます。















8.光芒

大垣宿を出る頃、垂井宿方面に見事な光芒が。
あの光の方に歩いて行くのかと思いながらも、空に引き寄せられそうで、少し怖くなりました。






















国道23号から右に入り、終点の垂井追分を目指します。







最後の最後になって、急に激しい雨が降ってきました。
これも街道の神様が与えた試練ですね。
9.垂井宿




松並木の保存は大変だと思います。
落ち葉の清楚、伸びた枝葉の剪定、松に付く害虫の駆除、などなど。
自治体の方々に感謝です。



街道を歩いていると、私だけかもしれませんが、呆気なく終点がやってきます。
ドラマチックな事って、そんなに無いのかもしれませんね。




独りで歩いて辛かった時しかやらない自撮り。
本日は帰宅したら、ヘルスメーターの歩行距離が50kmになっていたので、結構辛かったのでしょう。





このままでは、お尻が濡れてて電車で座れそうも無いので、夕食を食べながら乾かすことに。

服が乾いたので、座って帰路につきました。
