東海道 復路8 四日市宿→桑名宿
31年前、卒業旅行で東海道を江戸日本橋から京三条大橋まで歩いたので、今回は江戸に向けて歩きます。
調べたところ、大坂高麗橋が起点の様なので少し長めの、東海道"五十七次"の独り珍道中を始めます。
2022.12.06
1.四日市宿











午前3時過ぎまで、サッカーワールドカップ観戦。
本日は四里程度歩くと七里の渡し、キリがよく帰宅の予定なので、8時過ぎのスタート。陽が昇り街が動き出しておりなんだか出遅れた感があります。
2.三ツ谷の一里塚跡







川を渡り、堤防から眺める街道の風景が好きです。
往時の旅人は川を渡り終え、ホッとしてこの風景を眺めていたのでしょうね。
そこには、高確率で"神社"があり、中確率で"常夜灯"があり、低確率で運が良いと"川魚料理屋"が残って営業していたりしてます。
全て揃うと三冠王で、ここは一冠王。







なが餅のお店を昨夜から目にします。四日市の名物の様で、街のあちこちで見た大入道の長い首と関係あるのかなぁ、そんなわけないか…
3.伴走車

このお父さん、私の後ろから自転車でついて来てて、追い越したら話しかけて来ます。
1日何キロ歩くの?
そのペースはきつくない?
などなど。
70歳から二度四国のお遍路を歩いており、歩く人が立ち止まりたくない心境を心得ており、歩きながらの会話してくださり助かりました。
今歩いている付近は戦火から免れており、道幅が往時のままであったとか、子どもの頃のこの付近の話を聞かせてくれます。
私の亡き父と同年代であった為、もっと話をしながら歩きたかったのですが、ひととおり話をすると、すぅ〜と走り去って行っちゃいました。
父に会いたくなりますね…
















伊勢國に入ると、立派な常夜灯が頻繁に目につく様になって来ます。
これはお伊勢参りの講の人などが寄贈した名残で、往時はさぞ賑やかだったのでしょうね。
江戸時代に庶民が旅を許されたのは、参詣と湯治だけでしたので、お伊勢参りが賑わった光景が想像できます。








常照寺、楽しそうなお寺です。
一見俗っぽく見えますが、この姿が本来のお寺なのかもしれませんね。
4.富田の一里塚跡









アサノヤ印房。
立派なハンコ屋さんで在庫は2万本。これからハンコがどうなるかわかりませんが、生き残る領域は必ずありそうです。








力石が好きな街ですね。
触ったらグラグラ動きましたが、持ち上げたら間違いなく腰をやられそう…
お墓ディレクター、上手な言い回しで、頼みたくなりますね。













四日市市もここまで。
地名の由来は四日に市が立ったから。
国内で日付のついた地名があったら、ほぼ同じ理由からです。新潟県には、六日町・十日町といった地名が残ってます。
5.朝日町










街道の脇に水路がありました。
この水を生活用水としていた時期もあったのでしょうね。
6.三つ葉葵紋





徳川家とゆかりがあり、瓦に三つ葉葵が入っているため、参勤交代時に大名は一礼していたそうです。







焼き蛤を焼いてい絵を発見。
本日のお昼が楽しみです!







朝日町は家々の軒先の竹に、花が生けられていたりして、歩いていて心落ち着く町でした。仕出し屋さんを見ると、往時には蛤を焼いていた光景が目に浮かびます。
7.縄生の一里塚跡















桑名の街に入りました。
なんとなく華やかになった様な気がします。七里の渡しがあった頃は、さぞ賑やかだったことでしょうね。
8.伊勢神宮一の鳥居





伊勢神宮が仮座したご縁から、式年遷宮の時に一ノ鳥居が下賜されております。
あまりにも立派なので、暫く撫でてました。









桑名市内中心部に入ってきました。
また宿場町の色濃い雰囲気が出て来ませんが、そろそろの予感がします。
9.桑名宿









宿場町らしくなってきました。
社寺が多いですね。























桑名城の堀は海と繋がっているので、港の様な雰囲気。物資の運搬にはとても便利だったと思われます。
10.七里の渡し









到着しました。
ここから七里も船に揺られて宮宿に渡っていたのですね。
私もそうしたいのですが、大きな船を貸し切らないと行けませんので、次回佐屋街道を陸路宮宿目指して歩きます。





蛤に田楽に日本酒。
最高の組み合わせを堪能して、大津宿からの4日間の旅を終えて帰路に着きます。















電車を乗り継ぎ帰路に。
今回は4日間連続で1日平均35kmを歩きましたが、体力的に1日の25km位が良いのかなぁ、など考えさせられる旅でした。
次回は佐屋街道です。
